7話
「故郷の森を、追われた……?」
俺は、シルフィの言葉を繰り返した。その一言に込められた重みが、ずしりと胸に響く。
シルフィは、苔のベッドの上で膝を抱え、俯きながら静かに語り始めた。その緑の瞳には、深い悲しみの色が宿っていた。
「私の故郷は、ここからずっと西にある『迷いの大森林』。私たちエルフ族は、何百年もの間、森と共生し、外界との関わりを絶って静かに暮らしてきました」
彼女の声は、まるで澄んだ泉のせせらぎのように、静かで美しかった。
「しかし、数年前から、人間の国が森の木を無秩序に伐採し、私たちの聖域を脅かすようになったのです。森は悲鳴を上げ、動物たちは住処を失い、精霊たちの力も弱まっていきました」
人間の、国……。その言葉に、俺はガイオンたちの顔を思い出していた。彼らもまた、王国の命を受けて魔王討伐の旅をしていた。彼らが守ろうとしている「人間」が、エルフたちの森を破壊している。皮肉な話だった。
「森の長老たちは、人間との争いを避けるため、森のさらに奥深くへと移り住むことを決めました。人間たちの好きにさせておけば、いずれ飽きて立ち去るだろう、と……。それが、森の平穏を保つための、最善の道だと信じていたのです」
彼女は、そこで一度言葉を切り、ぎゅっと唇を噛んだ。その横顔には、悔しさが滲んでいる。
「ですが、私は反対しました。森は私たちの母です。それを、土足で踏みにじる者たちに、黙って明け渡すことなどできない、と。武器を取ってでも、私たちの聖域を守るべきだと、長老会議で訴えたのです」
「……それで?」
「結果は……これです」
シルフィは、自嘲するように、ふっと息を漏らした。
「長老たちは、私の言葉を『過激で、森の和を乱す危険な思想だ』と断じました。人間と事を構えれば、多くの同胞が血を流すことになる、と。そして……森の掟を破り、同胞を危険に晒そうとした罪で、私に『森からの永久追放』を言い渡したのです」
永久追放。
それは、森と共生するエルフにとって、死刑にも等しい宣告だ。森の精霊たちの加護を失い、同胞との繋がりを断たれ、独りで生きていけと、そう言われたのだ。
故郷を、仲間を、すべてを愛していたからこその訴えが、結果として彼女からすべてを奪った。
なんて、理不尽なんだ。
「私は一人で森を出て、人間たちの手が及ばない場所を探して、このダンジョンに辿り着きました。でも、ゴブリンに襲われて……あなたに見つけてもらえなければ、今頃……」
そこまで言うと、シルフィは言葉を詰まらせ、俯いてしまった。震える肩が、彼女の無念さを物語っていた。
俺は、かける言葉が見つからなかった。
彼女の物語は、俺が経験してきたことと、あまりにもよく似ていたからだ。
パーティーの役に立ちたい。その一心で尽くしてきた俺が、最後には「役立たず」の烙印を押され、ゴミのように捨てられた。
故郷の森を守りたい。その一心で声を上げたシルフィが、「和を乱す者」として追放された。
正しいと信じた行いが、結果として自分たちを孤独へと追いやった。俺たちは、同じだった。
「……そっか」
俺は、ただ、それだけを言うのが精一杯だった。
同情や憐憫の言葉は、きっと彼女を傷つけるだけだろう。俺は静かに立ち上がると、新しく創った泉のほとりに行き、両手で温かい霊泉の水をすくった。
「これを」
俺が差し出した器を、シルフィは戸惑いながら受け取る。
「俺も、アンタと似たようなもんだよ」
俺は、自分の身の上を、ぽつりぽつりと話し始めた。
勇者パーティーで雑用係をしていたこと。スキルが【土いじり】だと思われ、無能だと蔑まれていたこと。仲間から日常的に暴力を振るわれ、残飯を漁って生きていたこと。そして、ダンジョンの奥で、罠の盾として捨てられたこと。
シルフィは、何も言わずに、ただ静かに俺の話に耳を傾けていた。その緑の瞳は、驚きに見開かれ、やがて、深い共感の色を帯びていく。
俺が全てを話し終えると、部屋には再び静寂が訪れた。
「……ひどい……」
やがて、シルフィが絞り出すように言った。
「そんな……仲間から、そんな仕打ちを……。あなたも、ずっと、一人で戦ってきたのですね」
その声には、俺の境遇への同情だけでなく、俺が生き延びてきたことへの、確かな尊敬の念が込められているように感じられた。
「まあ、でも、そのおかげでこの力が覚醒したんだから、結果オーライってやつかもな」
俺は、わざと明るく言って、壁に手を触れた。
「見ててくれ」
俺が念じると、何もない壁の一部が、まるで花が咲くように、美しい水晶の結晶体へと姿を変えた。水晶は、光ゴケの光を乱反射させ、部屋中にキラキラとした虹色の光を振りまく。
「わ……」
シルフィが、子供のように目を輝かせて、その光景に見入っていた。悲しみに曇っていた彼女の顔に、ほんの少しだけ、笑顔が戻る。
それを見ているだけで、俺の心も、なんだか温かくなった。
「ここは、安全だ」
俺は、彼女に向かって、はっきりと告げた。
「このダンジョンは、俺が支配してる。ゴブリンも、他の魔物も、もう君を傷つけることはできない。もちろん、君を追放したエルフたちも、俺を捨てた勇者パーティーも、ここには絶対に入れない」
俺は、シルフィの緑の瞳を、まっすぐに見つめて言った。
「だから、君が望むなら、ここにいればいい。追放者同士、仲良くやろうぜ」
それは、プロポーズでも、契約でもない。
ただ、同じ痛みを分かち合う、一人の人間としての、素朴な提案だった。
シルフィの瞳が、潤んだ。大きな雫が、一つ、また一つと、彼女の白い頬を伝って流れ落ちる。
だが、それは悲しみの涙ではなかった。
「……はい……!」
彼女は、涙に濡れた顔で、今までで一番美しい笑顔を見せて、力強く頷いた。
「ここに、いさせてください。ユキナ、様……」
「様なんてよせよ。ユキナでいい」
「……はい。ユキナ」
孤独だった楽園に、最初の住人が生まれた瞬間だった。
俺たちは、世界から見捨てられた追放者同士。
だけど、ここには、温かい光と、癒しの泉と、そして、互いを理解し合える仲間がいる。
俺たちの新しい生活が、今、本当に始まろうとしていた。




