第六皇子エスクード 1
記憶に残った真っ白な廊下は、まだ鮮明に思い出せる。
地面には赤い絨毯が敷かれ、その先には金色に縁取られた重厚な扉があった。
国王の間。そこに入る直前で、少し立ち止まる。
一つ、深呼吸した。
その時、右から何人かの人が歩いて来た。
『エスクード、何ぼさっと立ってんのよ。早くその道をどきなさい。』
そこにいたのは、二人の黒髪の少女。
声を掛けてきたのは、気の強い方の妹であるクローネだ。
『ああ。すまないクローネ。……今日は父上に呼び出されていてな。』
『いつも雑用なんてしているくせに父上に呼び出されるなんて。調子に乗らないことね。』
クローネは口元を扇で隠しながら言った。
後ろに立ったクローナも、睨むように静かに俺を見た。
一応異母妹であるはずなのだが、俺は二人に嫌われてしまっている。
『ああ。……分かってるよ。』
『ふん。ならいいわ。行きましょう、クローナ。』
そう言って、二人は従者たちを引き連れて道を歩いていった。
視線を戻し、再び父上の部屋を見る。
今日は、久しぶりに父上に呼ばれた。
一体何の用だろうか? 正直、父上はいつも威張り散らしていて苦手だ。いつも兄弟の中で俺だけ見下されている。
ため息を堪えて、扉を開いた。
『お呼びでしょうか、陛下。』
部屋に入り、頭を下げる。
大きな椅子の上にふんぞり返っているのが、一応俺の父親だ。ちなみに、『陛下』と呼んだのは、俺は『父上』と呼ぶことを許されていないからである。
『エスクード、商会は順調か?』
商会、とは母の実家が経営している物のことだろう。第一側妃である俺の母はこの国で最も勢いのある大商家で、王子としての義務の元、経営の資料がいつも俺に送られてくる。
王子としての義務、というのはただの建前で、ただ単に雑用を押し付けられているだけだ。その証拠に、いつも与えられる仕事は愚にもつかない面倒なものばかりだ。
正直、資料を見れば順調かどうかぐらい自分で判断できるだろう。内心、そんなことを聞かされるために呼ばれたのかと苛立ちが募るが、俺は苛立ちを飲み込んで小さく微笑んだ。
『ええ。何事もなく。』
『ならいい。今度はこの書類を持って、さっさと出ていけ。』
頭を下げて部屋を出る。
父上は、いつも兄であるドラクマゴナのことばかり大切にしていて、他の子供には基本的に無関心だ。今回呼び出されたことも、仕事を押し付けるためだけに過ぎないのだろう。
(陛下は、ドラクマゴナのことばかり気に入ってるからな……)
一番上の兄であるドラクマゴナは父上に気に入られていて、いつも金遣いが荒い。
さらに、俺と同じ第一側妃の子供であるリンギットは気が強くて商売も得意だ。
俺は必然的にあいつと比べられてきたため、いつも落ちこぼれ扱いされてきた。
兄弟の中でも存在感が薄くて目立たない存在。それが俺。
だが、そんな俺でもこいつにだけは勝っているだろうと思う相手がいた。
それが、レアルドだ。
唯一の弟であるレアルドは、俺以上に家族に嫌われている。特にドラクマゴナとシリングはレアルドに対する当たりがきつく、場合によっては殴られていることもある。
体も弱いのか、剣で戦っても、魔法を使っても、いつもボコボコにされている。
だが、前に剣の指導を受けた時に筋が良いと褒められていたので、本当は少し強いのかもしれない。それなのにシリング達にいじめられてもやり返そうとしない辺り、才能はあるのに努力はしていないのだろう。自業自得だ。
俺は父上から呼び出された後、俺は地下へと向かった。
王城の地下は侵入者を防ぐために入り組んでいて、まるで迷宮のようだ。
冷たい風が頬を撫でる。
しばらく歩いたところで、奥から物音が聞こえて来た。
音の鳴った方へと歩いていくと、そこには想像通り、足を抱えて座り込むレアルドがいた。
いつものように、怪我をしているようだ。何度も蹴られたような赤い痣がある。
今日はドラクマゴナの奴に絡まれたようだ。
シリングに絡まれた時は、木剣で殴られたような痕が残る。
『大丈夫か、レアルド?』
レアルドの横に、小さな瓶を一つ置いた。一応、傷に良く効く薬だ。
『ああ。ありがとう、エスクード。』
レアルドは柔らかい微笑みを浮かべながら、薬を受け取った。
その袖から見える細い腕には、いくつもの痣が残っていて痛々しい。
普通なら、可哀そうとか憐れだとかそういう感想が浮かぶだろう。
だが、俺の心に浮かんだのは優越感だった。
(俺の方が、こいつよりはましだ。)
そう考えただけで、思わず笑みが零れてしまう。
父上にも、母上にも、ドラクマゴナにも嫌われているが、レアルドのように殴られたりしたことはない。せいぜい、無視をされるか馬鹿にされるかするぐらいだ。
俺より下の人間がいる。
その事実は、俺にとって唯一の救いだった。
『いつも薬を持ってきてくれてありがとう。エスクード。おかげでいつも助かっているよ。』
『ああ、気にするな。』
(それに、あいつがドラクマゴナの鬱憤晴らしになっている間は、こっちに矛先が向かないで済む。)
だが、俺がそんなことを考えているとも知らないレアルドは、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
◇◇◇
それからしばらくして、父上に書類の報告書を持って廊下を歩いていた。
だが、途中で一人の男に呼び止められた。
『やあ。エスクード。最近見なかったけど、元気だったか?』
『どうしたんでしょうか? ドラクマゴナ兄上。』
ドラクマゴナ=アルスフィード。この国の次期国王であり、王座の継承権第一位を持っている男だ。
『ドラクでいいぞ。気軽に呼べ。』
そう言って、彼はニコリとほほ笑んだ。
継承権の低い俺に話しかけても、何の意味もないのに。
一体何がしたいのだろうか?
何を考えているのか読み取れなくて、思わず探るような視線を向けてしまう。
すると、彼はむしろそんな視線を楽しむように笑った。
『なぁお前、レアルドと仲がいいのか?』
『いや、そんなこともない、かな?』
ドラクマゴナとあまり関わりたくなかった俺は、曖昧な表現をして誤魔化した。
『ふ~ん。そうか。詰まらないな。』
彼は、退屈そうな表情を浮かべた。
『なんで、そんなことを聞くんですか?』
わざわざ呼び出してまで、そんなことを聞く理由が分からない。
『いや、もしそうだったら面白いって思っただけだ。』
どういう意味だろうか?
首を傾げていると、ドラクはニコリと笑った。
『お前がレアルドと仲がいいんなら、お前を苛めればあいつは嫌がるかなって思っただけだよ。』
笑うドラクマの口元に、獲物を見つけた肉食獣のような尖った歯が覗く。
それを見て、少しヒヤリとした。
恐らく、警告しているのだろう。
これ以上、レアルドに肩入れするな、と。
だが、丁度にいい。
レアルドは、ただ優越感を満たすためだけに面倒を見ていただけだ。
別に、縁を切った所で困ることなどない。
『じゃあな。また会おうぜ。』
そう言って、ドラクマゴナは俺が元来た道を歩いて行った。
その時、歩いていく使用人に交じって、レアルドが俺の横に通りかかった。
レアルドは俺を見るなり、目を丸くした。
『エスクード……? ドラクマと、なんの話をしていたんですか?』
彼は不思議そうに首を傾げて、俺の袖を握る。
『触るな。』
その言葉に驚いたのか、レアルドは手をびくっと震えさせた。
このままこいつと一緒に居たら、俺までドラクに睨まれてしまう。
そんな面倒なことはしたくないし、こいつのためにそんな目に合うつもりなんてない。
正直、自分さえ無事ならそれでいい。
『ごめんな、レアルド。』
俺はレアルドの手を振り払った。
大粒の涙が溜まった金色の目が、最後に目に入った。
俺は振り返ることなく歩いていった。




