マッドサイエンティスト
暗い部屋で、一人目を覚ます。
「ここは……」
頭が痛くてズキズキする。
触ってみたら、真っ赤な液体がべっとりとついていた。
傷の渇き具合からして、もう気を失ってから丸一日ほど経っているのだろう。
確か、当主様に蹴られて意識を失ったのだった。
ガルルルル。
檻の外で、腹を空かせたのか、目を血走らせた魔獣がよだれを垂らして私を見ていた。
その数、およそ十数頭。
しかも、そのそれぞれがBランク以上はあるだろう巨大な魔物だ。
少しでも檻を出ようとでもすれば、すぐに魔物に食い潰されて終わりだろう。
恐怖に体を縮こまらせる。
薄暗い部屋はずいぶんと冷えていて肌寒い。
恐らくだが、地下牢に閉じ込められてしまったのだろう。
噂では、そこに入った奴隷のほとんどが生きて帰れないとか。
私はこの獣人国の当主様に仕える奴隷だ。
花の都カーレディアと獣人の国ビーストダリアでは、十数年ほど前に大規模な戦乱があったそうで、その後これ以上の争いを食い止めるためにその国境を閉じた。
その時にこの獣人国に取り残された人間は、捕虜として奴隷のように扱われている。
私もその一人だ。
奴隷は基本的に、大変な仕事をやらされることになる。例えば、ダンジョンの中から物資などを運び出しす‟運び屋”の仕事などだ。毎日のようにダンジョンの中の魔物達に狙われる危険な仕事で、生き残れた人々は本当に少ない。
また、私たちは当主様に情報を届ける仕事も義務として定められている。だから、獣人国にマリン様が来たという噂を聞き、すぐに当主様に連絡へ行った。少しでも手柄を上げれば、奴隷と言えども少しは昇格でき、報酬が貰えるかもしれない。そう思っていた。
その結果がこれだ。
完全に選択を間違えてしまった。もう少し慎重になるべきだった。何か当主様の機嫌を損ねてしまったに違いない。生き残る道はほとんど絶望的だろう。
打ちひしがれていると、コツコツと地面を歩く音が聞こえて来た。
足音は少しずつ大きくなっていく。
そこに現れたのは、豪奢な服を来た男だった。
薄暗い牢屋の背景に、飄々と立つ彼はどこか歪に見えた。
見ているうちに、少しずつ思い出した。確かこの人は、当主様の側近か何かだっただろうか。もしかしたら、ここから出してくれるかもしれない。
「た、助けて、ください。」
震えながら言った。
その言葉に、彼の足が止まる。
彼は詰まらなそうに私を一瞥すると、わざとらしくニコリと笑った。
「そうですね。あなたに最後のチャンスをあげましょうか。」
チャンス? じゃあつまり、私を生かしてくれるというのだろうか。
私は最後の希望を求めて顔を上げた。
「当主様の御命令を受けております。マリン様を連れてくるように、とのことです。ちょうど依頼を押し付ける相手もいなかったので、代わりにやっておいてくださいね。」
――ああ、もちろん失敗すれば処分させていただきますよ?
彼は付け加える。
そして、冷徹な瞳で檻の外からこちらを見た。
処分とは、抹殺されること。
つまり、この任務に失敗すれば私の人生はそこで終わりだ。
ゴクリと唾を吞む。
こうして、私の最後の任務が始まった。
◇◇◇
「も、申し訳ありませんでした!!」
土下座とは、両手両足を地面について深く頭を下げる謝罪方法である。
だが当然、この異世界にはそのような文化は存在しない。
つまり、私の誠意が籠った謝罪は誰にも伝わることなく、ただの奇行に映った。
「どうしたんだい、ミロウ」
アンドリューが突然謝り始めた私に、不思議そうに首を傾げた。
ダメだった。私の全力の謝罪は効果が薄いようだ。
仕方がない、もう一度試してみよう。
「す、すみませんでした!!」
少し言葉を変えて、再び頭を下げる。
「なんのことかな?」
「時計を勝手に売ってしまったこと、です。」
逆に、それ以外にも何かあっただろうか。もしかして知らない間に、他にも何かやらかしていたのかもしれない。プルプルと震えながら判決を待っていると、アンドリューは楽し気にクスリと笑った。
「その懐中時計は俺からミロウに渡したものだ。それを君がどんな風に使ったとしても、怒ったりするわけないだろ?」
ま、まさか、許してくれるということだろうか?
その言葉に、私の目から涙が零れそうになった。
「アンドリューさん……」
私は顔を上げて、アンドリューさんを見上げる。
心なしか、彼の背後に後光が差しているように見える。
「アンドリューでいいよ。」
この人、めっちゃいい人だ!!
私は感動のあまり、飛び跳ねたくなった。
今まで逃げ続けて来たけれど、本当はいい人だった!!
私、なんでこんないい人から逃げていたんだろう。借金取りなんて呼んでごめんなさい!!
感動しながらアンドリューを見ていると、彼は私の頭を見て首を傾げた。
「そう言えばミロウ、その角は何かい?」
頭を触ると、猫耳に変身させていた角が元に戻っていることに気づいた。
そう言えば、アンドリューさんに角を見せたことはなかっただろうか。もうリリサやエイスにも角を見せているし、別に構わないだろう。
「ああ、これは……」
説明しようとすると、アンドリューは背後に回り込んで私の角をしげしげと見た。
「へぇ。面白いね。黒い角は高位のドラゴンにしか現れないはずだけれど……少し調べてみたいな。ちょっとだけ見せてもらってもいい?」
「へ?」
あまりの勢いに、私はついて行けずに放心状態となった。
「うわぁ。すごい。近くで見ると複雑な模様をしているね。所々光っているようにも見えるし。神秘的で、装飾品なんかに使われていそうな素材だね。ダンジョンから取れるドロップ品にも似ているけれど……」
何がなんだか分からないうちに、頭を覗き込まれている。
一体何が?
「ちょっとこれ、先端を少し折ってみてもいいかな?」
アンドリューはすごい爽やかに微笑みながら、恐ろしいことを口にした。
いや、待って? 今、折るって言ってなかった?
(じょ、 ……冗談だよね?)
私はその異常なセリフに、頭が追い付かなくなって笑顔のまま膠着した。
「何かの素材に使えるかもしれないし、中身がどうなってるのか気になるからね!」
狂気を逸した言葉に、私の警戒心は極限まで上がりきった。
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああ」
一目散に逃げだす。
向かったのはダンジョンの中。
暗い道を必死に走っていく。
どんな魔物が出てこようと、アンドリューに捕まるよりはましだろう。
がむしゃらに足を動かして必死に逃げる。
この日、アンドリューの名前はミロウの中で‟借金取り”から‟マッドサイエンティスト”にグレードアップした。
アンドリューとミロウはちょっぴり仲が深まりました。
……悪い意味で。




