ブラウスの苦労
メリークリスマス!!
『Sランク最弱』
それが、俺につけられた呼称だった。
これでも、冒険者歴は随分長い。
十歳で活動を始めて、今ではすでに三十歳を超えた。
それにも関わらず、俺は他のS級と比べてあり得ないほど弱かった。
レドやアンドリューのような後輩達のように魔力が多いわけでもなく、マイリンのように勘が冴えている訳でもない。ダリとイズのようにチームワークが物凄い訳でもない。ましてや他のS級達のように華々しい功績を残している訳でもない。
それなのに、化け物みたいな同業者の中で良くやっていけたものだ。
今まで生き残ってきたのが奇跡みたいなものなのだろう。
だが、そんな俺でも、一つだけ他のS級冒険者より誇れるものがある。
それは、危機察知能力だ。
何度も恐ろしい相手と戦っているうちに、自然と相手がどれだけ強いのか直感で分かるのだ。
おかげで、二十年間も魔物達に追いかけられ、食われかけながらも無事に生き残れたとも言えるだろう。
そして今、俺のS級として培ったすべての力が、俺に逃げろと警鐘を鳴らしている。
それほどまでに恐ろしい怪物が目の前に現れたからだ。そいつ……いや、彼女はニコニコと笑っている。だが、その笑い方が俺の目には不気味にしか映らなかった。
そのバケモンを一言で表すなら、底が見えない、だ。
S級冒険者たちがあれほど変わり果てた理由も理解できる。
物陰に潜みながらこっそりと様子を窺う。
どうやら、獣人国の冒険者と何か話をしているらしい。
(あの化け物に話しかけるなんて、あいつは正気じゃない。危機管理能力がバグってるんじゃないのか?)
そんなことを考えていると、俺の隣にいたはずのマイリンがいつの間にか化け物の隣にいた。
「あら? じゃあ私が案内しましょうか?」
「ちょ、ちょっと待て!!」
俺は慌てて止めようとした。そう、止めようとしたのだ!!
だが、マイリンは止まらない。
いつの間にか、討伐対象と仲良くなっている。
(なぜだ、一体なぜなんだ……頼むからやめてくれ!!)
俺の心労を知ってか知らずか、化け物は不思議そうに首を傾げている。
「じゃあ早速、獣人国を案内するわね!!」
そう言ってマイリンは歩き出す。
俺は心の中で悲鳴を上げながら、恐る恐るマイリンたちの後を付いていった。
「おい、マイリン、どういうつもりだ⁉」
俺はミロウという怪物から少し離れた場所で、マイリンに小声で話しかけた。
マイリンは不思議そうに首を傾げている。
「なんでわざわざ話しかけたんだ? あいつ、今回の討伐対象だろう?」
「油断させた後に倒すのよ。当たり前でしょう。」
そう言って、マイリンは拳を握る。
(いや、無理だろう……)
いくらマイリンが強かろうと、S級だろうと、あの化け物には敵わない。
油断させるよりも、絶対に闇討ちでも仕掛けた方が早いと思うのだが……
(マイリンは何を考えているんだ……)
「まあまあ。いざとなったら私が守ってあげるわよ。仕方ないわねぇ」
そう言ってマイリンはドヤ顔をするが、正直不安で仕方がない。
俺は、本日何回目になるか分からないため息をついた。
◇◇◇
その頃——
獣人国の中心部にある巨木の中で、一つの蝋燭がゆらりと揺れていた。部屋は薄暗く、一つの窓から入って来た僅かな光が部屋を二つに分けている。
赤いカーペットが敷かれた先で、一人の男が豪華な椅子に座っている。その男の目は、暗闇の中であるにも関わらずほんのりと光っていた。
コツ、コツと地面を小さく蹴るような音がして、扉が開かれた。
「当主様、ご報告があります。」
そう言って現れたのは煤のような色の髪をした少女。手には紙の束が乗っている。彼女は青白く細い指先で、ゆっくりと紙をめくった。
「どうやらマリン様が、獣人国に帰って来られたようです。」
その言葉に、男の指がピクリと動く。
「今は、『マイリン』と名乗っているとか。」
「……あの家出娘。ようやく帰ってきおったか。」
その声は、驚くほど冷え切っていて、まるで感情がないかのように凪いでいた。
男はゆっくりと立ち上がる。そして少女の方へと向かって行った。
「当主様、資料はこちらに……」
そう言って、少女は紙を差し出す。
男は紙を受け取ると、それを地面に叩きつけた。
紙は音を立てずに地面に散らばる。
少女は息を吞み、一歩後ろに下がった。
だがその瞬間、彼女は壁に叩きつけられた。
ガホッ
少女はえずいて血を吐く。真っ赤なカーペットに血が滴った。
「弱い。」
その言葉に、少女は身を強張らせた。
地面に這いつくばって、許しを請うように頭を下げる。
「弱い。弱い弱い弱い弱い弱い弱い。」
男は狂ったように呟きながら、少女を蹴り続ける。
そのたびに、少女は痛みで震えた。
「人間が、俺の部屋に入って来るな。」
男がそういった頃には、少女はほとんど動かなくなった。
「弱者に、生きる価値などない。」
男は、まるで演説でもするような口調で言った。
「お前は強くなっただろうな、マリン?」
男はそう言って、部屋の外に出る。
血を吐く少女の前で、扉は音を立てて閉じていった。




