一寸先は闇
はあ。人生と云うものは、いつどうなるか、本当に分からないものですね。
ディラン伯爵家三男のヘンリーです。
僕達が静養という名の建前で 身を隠している御屋敷に、この国の第一王子と第二王子が揃ってやって来てから数日。テオ兄様とルーカス王子殿下は、二人で良く険しい顔して内緒話をしているけど、まあ平和な日々を過ごしてました。
暴君殿下とこんなに一緒に居るのは初めてて、最初は ちょっと気を使ったけど、「ここではアムスだ!」って言い張るし、朝から晩まで遊んでいれば もう兄弟みたいなもんだよね。
珍しく晴れ間が見えたある日、お外で遊ぼうかって暴君殿下とティム兄様と話し合ってたら、突然 地震が起こったんだ。ドーン!って地鳴りがして、物凄い横揺れ、立ってる事も出来ないくらい。ティム兄様が僕を抱いて、レイラがティム兄様ごと抱きしめる。暴君殿下の侍従も身をていして暴君殿下を護る。棚から物が踊り出て、窓ガラスは割れた。恐怖一色の数秒…何時間にも感じられたけど、揺れてたのは実際 数十秒だと思う。
ティム兄様が ドーム状の防壁を作ってくれたから、誰も怪我をしてないと思うけど…、テオ兄様達は大丈夫かな…。少し揺れが収まった時、皆で慌てて外に飛び出して屋敷から離れる。すると、少し遅れて玄関の方からテオ兄様達が走って来た。
「テオドール兄様!大丈夫ですか?!」
ティム兄様が僕をレイラに預けて、真っ青になって駆け寄る。テオ兄様が、肩から血を流していたからだ。ルーカス王子殿下を庇って怪我をしたみたい、ルーカス王子殿下が険しい顔をして皆に指示を出してる。暴君殿下もそっちに走って行った。だから、僕も そっちに行こうとしたんだ。大して役には立たないと思うけど心配だから。レイラが止める声をあげたのに。
足を踏み出した、その瞬間。また大きな揺れ。
転びかけた所に、後ろから黒いものがバッと目の前に広がって、僕は意識を失った。
◇◇◇◇◇
今から考えれば、あれは犯人の手で、きっと薬か何かを嗅がされて気を失ったんだと思う。
頭が痛くて、ぼんやり目を覚ましたら、両手と両足を縛られて転がってた。荷馬車の中かな?グラグラ揺れてる。薄暗いけど、後ろの布がヒラヒラ揺れてるから、そこから光が差し込んでる。あれからどれくらい経ったんだろう?お腹は空いてないし、日の加減から言っても半日は経って無いはず。
幸い?後ろ手に縛られてる訳じゃ無いから、ぼんやりした両目をゴシゴシ擦ってみる。良く見ると僕の他に荷台には何も積んでない。僕の下にはフカフカの毛布もあるから、結構丁寧な扱いをしてくれてるんだね?だって、こんな床の上に転がされて ゴトゴト揺れてたから、体が擦り傷だらけになっちゃいそうだもん。
朝ごはんを食べて、暴君殿下と遊んでいたのに、今はこんな所に縛られて超ピンチの僕…。信じられない。一寸先は闇。
これって誘拐なのかな?
いや、誘拐って家に居る時にされるもんだっけ?
そもそもあの地震の混乱の中、良く素早く僕を攫えたよね。
犯人は、どういうつもりで僕を連れ出したんだろう。殺すつもりなら、僕を気絶させた時に出来たよね?どこへ運んでるんだろう?でもまあ、このまま大人しくしてても、いい事は無いよね。兄様達も心配してるかもだし、テオ兄様の肩の怪我も心配だ。僕が強化魔法を掛ければ薬の効きも良い筈だし!そうだ、こうしちゃ居られないっ!
ニジニジとお尻で移動して、ヒラヒラしてる布の所まで行こうとする。その向こうは外だから、逃げられる筈…縛られてる上に走ってる荷馬車から落ちたら大怪我かな?ううん、待てよ。下手に動かない方が良いのかな?ムムッとどうしようか考えてると、荷馬車が止まった。
そして、足音が近づいて来て、シャッと布を捲る。
僕の近くまでやって来たのは若めの男だ。二十歳くらいかな、襟足長めの黒髪に黒い瞳、スラッとした体に貴族風の衣装が良く似合う。甘めの顔立ちだけど、異国の人間だと分かる。言葉は通じるのかな…。
「目が覚めたかい?坊ちゃん」
あ、言葉が分かる。大丈夫そうだ。
こくんと頷く僕。
「ん?君、喋れないのか?」
不思議そうに首を傾げる男。喋れなくは無いけど、ここは黙っていた方が良さそう。また こくんと頷く。
「へぇ…そんな話は無かったが…。まあ良い。俺は俺の仕事をするだけだ。」
ドキドキ…、僕はこれから どうなるの?
ひょいっと抱き上げられて、荷馬車から下ろされる。右半分は砂漠が広がってて、左半分は森だ。きっとここは二刻離れた所にあるオアシスだ。御屋敷に着いた時に、テオ兄様が言ってた。後で連れて行ってくれる約束だったけど、色々あって、結局来れていなかった。
男は森の中に入ると、僕を下ろして太い木の根元に座らせた。スっと男がしゃがんで話し出す。
「子供の足じゃあ、どこへも行けまい。オマケに喋れないときてる。お前に恨みは無いんだが、『ヘンリー・ディラン』は いずれこの国を傾ける暴君の片腕となる。お前さえ居なければ、反逆が成功する事はない。」
えっ! あまりにビックリして開いた口が塞がらない。
「だから、お前には生きて居てもらっては困るのさ。安心しろ、暴君の方も、これからちゃんと同じ所へ行けるようにしてやるからな」
凄く良い顔でニッコリ笑う。
ちょっと待って!どうして『それ』を知ってるの?!
僕が歴史書で見た、この先のストーリー。
正確には僕がヘンリー・ディランになっちゃってるから、『その』未来は訪れないとは思うけど…。この人も未来の世界から来たのかな? 確かめなきゃって思った頃にはもう男の姿は無かった。置き去りにされた!ああ、僕のバカバカ!でも、凄いビックリしたんだもん、しょうが無いよね…うぅ。
それからそこに座ったまま、考えを纏めようと居直った。
あの人が未来から来たのなら、歴史を変えようとして僕と暴君殿下を亡きものにしようとしたのは分かる。ヘンリーの中身が入れ替わってるなんて知らない筈だから、子供の内に始末してしまえば安心だと思ったんだろう…。暴君殿下の方が警備が厳しいから、先ずは僕から始末しようとしてたのか…。なるほど。
でもこれじゃあ、益々、あの歴史書と違うストーリーになる。未来の世界からの人間が二人も居るなんて…、しかも、どっちかと言うと あの人の言う事は正しいし…。いずれ僕は悪役令息になっちゃうかも知れない身だもん。ならないように頑張っては居るけども…。
国を傾ける暴君殿下と僕が居なければ、この国はルーカス王子殿下が王になり平和な世が続く筈…。
ゴロンと横になってみる。確かにあの人は『正義』かも知れない。でも、このまま死んじゃうなんて嫌だよ!暴君殿下だって、前より良い子に…なっては…いないかも知れないけど…、いや!ルーカス王子殿下が可愛がり始めたもん!きっと兄弟仲が良くなって、反逆なんかしない筈…!そうだよね…?!暴君殿下!!!
もしアシェルをどうしても嫁に欲しいって言い出したら、僕が一生懸命止めるから!暴君になんてさせないから!だから…僕達、生きてても…良いよね…?ぐすん。
ダメって言われても聞かない!だって、僕『悪役令息』
だもん!ふんっ。絶対、兄様達の所に帰るんだから!
うーん、でも帰るとは言っても、ここは御屋敷から二刻も離れているし、兄様達と連絡が取れる様なものは持ってない。未来の世界だったら、携帯電話ですぐ呼べるのにな…、まあこの砂漠じゃあ、電波が入らないかもだけど…。手足は縛られてるし、立つ事も難しい。そもそも縛られてなくても、僕 歩けはするけど、走る事が出来ないんだよね。馬車事故の後遺症で。
二刻なんて歩けるわけない。このオアシスに村でもあれば助けて貰えるんだけど、随分前に魔獣に襲われて、村は無くなったってテオ兄様が言ってた。まあ、だからあの男はここに放置して行ったんだけど…、え、待って、まさか、まだ今も魔獣が出たり、しないよ…ね…?
もし魔獣が出たら、僕、秒で終わるんですけど。
ガサッ
「ぎゃあーーーーー!!!」
「うわっ?!」
突然、後ろの草むらが動いて、絶叫を上げて転がる僕。
「おいおい!人の子か?! お前こんな所で何してる?!」
「ひっ…ひぐっ…」
心臓が口から飛び出すくらい驚いた。顔面ぐちゃぐちゃですよ。草むらから出て来たのはテオ兄様と同じくらいの少年だった。でも、説明する前に、僕の意識は飛んだ。
*****
「おいおい、マジかよ」
少年の名は、ダニエル・ジュード12歳。廃村となったオアシスの村にたまにやって来ては、魔獣相手に自身の火魔法の練習をしている。産まれた時から魔力が大きく、人間相手では怪我をさせてしまう可能性がある為、危険だと分かっていながら こうしてやって来ては魔獣を討伐している。
相手が魔獣なら本気で技を掛けられるし、治安維持にも貢献出来るので 一石二鳥だと本人は思っているが、子爵家の両親からも兄からも、「絶対に止めてくれ」と懇願されている。だがその親心も彼には届かない。
今日も今日とて、三体の魔獣を討伐し、意気揚々と帰ろうとしていた。
だが、森の入り口に近くと不穏な気配を感じたので、そっと覗いてみた。すると赤子と見間違う程の子が、悲鳴を上げて気絶した。良くよく見れば 手足を紐で縛られている。抱き起こしてみると 顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったが、仕立てのいい服を着ている。それに見事な銀髪だ、王族か、公爵家の人間かも知れない。そうで有れば、こんな所にいる理由も 薄々想像が着く。仕方なく、ダニエルはヘンリーを縛る紐を解いて抱き上げた。
こんな所に居ては、一刻もしない内に魔獣に襲われてしまうだろう。ダニエルは馬に乗り、ここからそう遠くない自身の屋敷へ向かって駆け出した。
◇◇◇◇◇
「…………」
誰かが呼んでる。誰だろう、テオ兄様かな…?それともティム兄様かな……。
「……い、おーい。大丈夫か〜?」
ううん、大丈夫……、でもまだ目が開かないよう。
「おい、水くらい飲め。脱水になるぞ」
すぐ耳元で声がして、背中を支えて起こしてくれる。あれ、どこ?ここ…。
「ほら、飲めるか?」
「ん…」
冷たいお水だ。おいちい。ごく…ごく…。ぷはっ。
「よし、飲んだな。もっかい寝ろ」
そう言うとまたベッドに寝かせてくれて、胸元まで柔らかい毛布をかけてくれる。気持ちいい…。ああ〜寝ちゃいそう………。
◇◇◇◇◇
ヘンリーが見ず知らずの人に助け出されていた頃、ディラン伯爵家は上から下への大騒ぎだった。大地震が起きて建物が半壊し、何人かが怪我をしたのも大事だったが、その混乱の最中にヘンリーの姿が消えてしまったからだ。
初めは落ちてきた瓦礫の下敷きになったのでは無いかと、ウィリアムが片っ端から瓦礫を持ち上げて捜索していた。勿論、土魔法を使える護衛達も総出で捜索したが、一向に見つからなかった。
テオドールは第一王子のルーカスを庇い左肩を裂傷していたし、ウィリアムは長時間の捜索により魔力枯渇を引き起こしていた。指揮を執るルーカスに半狂乱の第二王子ジェームズ。場は混乱を極めていた。
そして夜もふけた頃、王都から ディラン伯爵家当主であり、彼らの父 ベンジャミン・ディランが隊を率いて駆けつけた。
テオドールは、肩の処置は済んでいたが熱が上がり、薬湯を飲んで寝込んでいた。ウィリアムは、自分がヘンリーの手を離してしまったからだと酷く落ち込み、魔力が枯渇しているにも関わらず、まだ探そうとして全員に止められていた。ジェームズは半狂乱の末に魔力が暴走してしまい、無事な屋敷の更に半分を壊してしまった。最早、倒壊と言っても良い佇まいだったが、それでもこの程度で済んだのは、ルーカスが必死になって、弟を止めたからに他ならない。
足の踏み場もない屋敷を、ベンジャミンは土魔法を使い、一刻程で完全に修復してみせた。流石は騎士団中に名をとどろかせる偉人である。ベンジャミンの祝福は建物の状態回復。完全に壊れてしまっても、部品が揃っていれば元通りにする事が出来る。とわ云え、流石にこの屋敷全てを元通りにするのは骨が折れたが。
その後ジェームズも寝かせ、ルーカスは元通りになった応接室で、ベンジャミンと向き合う事になった。その姿はグッタリとして、疲れを隠す余裕も無かった。
「はあ、すまないな、ディラン伯爵。俺が居ながらこんなザマになってしまった。次期王太子が聞いて呆れる」
深いため息を吐き、ソファに沈みこんで天を仰ぐルーカス。
「いいえ、ルーカス殿下。私の方こそ、貴方様を巻き込んでしまい、心よりお詫び申し上げます」
ベンジャミンが神妙に頭を下げる。
「良い。この件を預かると言い出したのは、他でもないこの私だ。まさか、相手がここまでやるとは思わなかった。川に引きずり込んだと聞いた時点で、もっと警戒すべきだった…。」
「…この屋敷には強い防御魔法が施してありますからな。侵入出来ず、誘き出す事にしたんでしょう。相手は透明化が使えます。見えなければ刃を突き立てる事も出来ません。どうか、お心を安らかに…」
そう言うベンジャミンの顔には苦悩が浮かんでいる。本人は気づいて居ないのだろうが、握りしめた手の平には爪がくい込んで血が滲んでいた。
「しかし、伯爵の祝福は凄まじいな。あれだけ瓦礫の山だった物を、ここまで完璧に直してみせるとは…」
噂を聞いてはいたが、間近に見るのは初めてだった。関心して賛辞を贈ったが、ベンジャミンの顔は暗いままだった。
「…お誉めに預かり恐縮です。『物』で有れば、元通りにする事は出来ます。私に出来るのは、ただそれだけです。」
「…!」
失敗した、とルーカスは後悔した。彼が馬車事故でヘンリーの母親を亡くしてからまだ一年も経って居ない。政略結婚ではあったらしいが、ベンジャミンは結婚した以上は生涯護り通すつもりだったのだろう。そういう男だ。『物』だけでなく『人』も、元通りに出来たら、どんなに良かっただろう。
ルーカスは いつもなら、こんな失言をする事は無いが、流石に今日は疲れ過ぎていた。いくら次期王太子との呼び声が高くとも、彼もまだ13歳の子供なのだ。
「…すまないね、余計な事を言った。」
眉を下げてルーカスが詫びる。
「とんでもありません。謝罪をすべきなのは、私の方です。」
そう。皆、最善を尽くした。誰も責められない。責めるとすれば、ここで子供達を守れなかった自分だ。
あの日誓いを立てたと云うのに、とうとうヘンリーを連れ出されてしまった。
今、生きているかも疑わしい。気が触れそうになるのを堪えて、ベンジャミンは、頭の中で目まぐるしく回転を始める。ヘンリーを奪い返す為に…。