第三章-1-
《アシェル嬢と異世界者》
教会の地下へと続く階段を慎重に降りていたアシェル嬢は、合流する筈のルーカスとテオドールの話し合う声を聞き、思わず身を隠してしまった。そして二人の話に 聞き耳をたてるのに夢中になり過ぎて、忍び寄る『女神の使者――K』に全く気が付かなかった。こうしてまたしても囚われの身となったアシェル嬢は、両手に金属の枷を嵌められてしまい、木魔法使いのアシェル嬢では反撃出来なくなってしまった。せめてこの枷が金属で無く、木や草であったなら、祝福を使い、枯れさせる事も出来たのだが。
アシェル嬢を連れたKは、明らかに焦っていた。
彼女の背を押しながら「急げ急げ」と急かす。Kは二体目の大魔人を解放した後、最後の大魔人も解放する気でそこへ向かっていた。暗く長い通路を小走りで通りながら、アシェル嬢は教会の地下に、これ程 迷路のように通路が張り巡らされている事に驚いていた。まだ生まれて11年ほどであるが、きっと父ですら この地下迷路の事は知らないのではと思う。一体、この教会の地下迷路は、なんの為に、そしていつ 造られたのだろうか。
しばらく進むと、大きな古びた扉が現れた。
ギィィと音を立ててKが扉を押すと、意外にも中は広く明るかった。
「K様…!」
中には男がひとり、氷漬けにされた大魔人の傍に控えていた。
「ロジェ、予定が変わった!大魔人は全て解放して ここから出るぞ!」
大声で叫びながら、ロジェと呼ばれた男の所まで行く。
「…!ダコールは、勝てませんでしたか?かなり強くなった筈ですが…」
「いい所まではいったんだけどね。さすが歴史を変えるだけある悪役だ。ダコールは灰になったよ、さっき二体目も解放して来た所だ。」
それを聞いて、ロジェが目を見張る。
(あそこまで強くなったダコールでも駄目なら、もう我々に勝てる要素が無い。)
ゴクリと喉がなる。
「…しかし、K様、ここで彼を解放しても、我々が襲われるのでは?彼はもう…自我が…」
「大丈夫だ、教会の奴らが敷いた転移魔法円がある。解放したら俺たちはそれで外へと逃げれる!」
「ねえ、ちょっと良いかしら?」
男達が計画を話し合う中で、アシェル嬢が口をはさんだ。二人が同時にアシェル嬢へと目を向ける。
「貴方はどうして、そうまでして ジェームズ王子殿下に敵意を向けるの?」
「ハッ…それは君が何も知らないからだ。聞けば、皆 納得するよ。」
呆れ顔でKが言う。
「なら教えて。貴方の目的はなんなの?」
真剣な眼差しを向けられ、Kはひとつ咳払いをすると言った。
「…良いだろう。これは君の”未来”に関する話なんだからね。」
Kは、今まで他の人間に話して聞かせたように、アシェル嬢にも 自分が女神アレクシスによって召喚され、世界の命運を託された経緯を話した。その間にも どこかから地響きが聴こえてくる。
「――――と、言う訳で。『正史』に戻す為に動いているんだ。感謝されこそすれ、反抗される言われは無いよ。」
「でも、ジェームズ王子殿下は貴方が言うような人じゃ無いわ。」
「君もダニエルくんみたいな事を言うんだね…。だ、か、らぁ、それはこれからの話なんだよ!今はまだ彼らは子供だ。これから、愛憎を拗らせ国を巻き込んだ内乱が勃発する。問題なのは、それだけじゃない!ジェームズが 片っ端から勇者軍を処刑してしまったから、未来で起る魔獣暴走に対抗出来る人間が居なくなったんだ!結果、国は大きく損害を受け、没落寸前まで行った!そうならない為に、俺は頑張ってるんだよ!」
うまく行っていた計画が大きく狂い、感情的になったKが怒鳴る。こんなに、勝手に召喚されて怒っても良い身分でありながら、Kにとっては他国の問題に奮闘してると云うのに、まるでこちらが悪役のような言い方に怒りが沸く。
(俺は、こんなに頑張っているのに…!)
喚くKに気圧されて、それでもアシェル嬢が口を開く。
「その人は…、貴方を召喚したと云うその人は…、本当に『女神アレクシス』だったの?」
「…なんだって?」
そんな事を聞かれて、Kが思わず聞き返す。
「だって、貴方は『異世界』の人間なんでしょう?どうして、召喚した人が『女神アレクシス』だと分かるの?貴方は教徒でもないのに。」
「………」
そう言われてKが少し黙る。
「それは…だって…、女神じゃ無いなら、なんの為に俺にこんな事をさせたんだ?」
「私に聞かれても…」
「否、――確かに名乗った筈だ。女神アレクシスとは言わなかったかも知れないが、この歴史を聞かせてくれた時も嘘をついている感じはしなかったし…。そりゃ、異世界に呼ばれて多少は浮かれて ちゃんと話を聞いて無かったかも知れないけど、真摯にこの国を心配していたよ。」
来た時を思い出すように目を瞑って喋るKに、またアシェル嬢が質問を飛ばす。
「それなら、どうして女神は何も信託を下されないの?」
「信託?」
「ええ、そうよ。女神アレクシスは、この国を創った創成者。でも一度だって信託を下した事は無い。これまでだって、国にとって大変な事は沢山あったのに。それがどうして今回は、異世界から召喚してまで歴史に介入しようとしてるの?もし、本当に貴方のいう事が正しいなら、ひと言、『国王アーヴィンは子を成すべからず』と信託を下せば、そもそも諍いとなるルーカスとジェームズは生まれないわ。」
「…………えぇ、だって…そんなの酷いだろ…」
「今更、ジェームズ王子殿下を殺す方が、よっぽど酷いと思うけど?!」
Kがアシェル嬢に理論で押されている。それを観ているロジェの脳裏にも同じ疑問が湧いていた。Kに命令されて意図的に起こした魔獣暴走、ジェームズに責任を被せる為だとしても、この国を護る為に生きて来た筈なのに、目の前に広がる惨状。泣き叫ぶ村人に壊される家屋。これが、本当に、この国の為になるのだろうか。
「ねえ、ちゃんと思い出して!貴方を召喚した人は、どんな人だったの?」
「どんなって…姿は無かったよ。光があるだけでそこから声がした。澄んだ女の人の声だ。この国を…助けて欲しいと…」
「ねえ、それならどうしてこの国の人間に言わないの?異世界から貴方を召喚するよりも、この国の人間に問いかける方がよっぽど合理的でしょう?」
「だから…きっと、何か制約があるんじゃ無いか?力が使えなくて信託は出来ない…とか…」
「貴方を召喚する力はあるのに?」
「うっ……確かに、俺に透明化をくれたもんな。なら…お前達に言っても、聞いてくれないと思ったんじゃないか…?」
「でも、貴方だって言う事を聞いてくれるとは限らないじゃない、異世界の人間なんだし。教徒の方が確率は高いわよ。」
「それは俺が――――いや、…」
「『俺が』?」
「……いやその…」
「俺が、何よ?!」
段々興奮してくるアシェル嬢は、いつの間にかKと立場が逆になっている。
「俺が…その。女神の言う通りにしたら、その暁に…違う世界へ移動させて貰う約束をしたんだ…」
美少女のアシェル嬢にキツめに尋問されるのに弱いのか、話さなくていい事までKは話始めた。
「違う世界?!」
「そーだよ…その世界へ行く為に頑張ってるんだから…あーいや、ゴホンッ。この国の事も気の毒に思ってるよ?勿論!」
「成程、契約を結んだのね。私はね、これでも敬虔な信徒なの。だからこそ、もしその人が女神を語っているのなら、絶対に許せないわ!」
「君だって、本物と会った事無いだろう?偽物かどうか、分かるのか?」
「分かるわよ!なら、その人をここに呼び出してみてよ!」
「それは無理…」
「なんで無理なの?貴方のボスなんでしょ?!」
「いや、ボスって…。女神とは召喚された時しか話して無いよ。何度か話せないかと色々試してみたけど、応えてはくれなかった。」
「そう――…この国の中では、女神と話す事は出来ないのね。なら、信託を下せないというのも解るわ。」
「ほら!だろう?俺の言ってる事の方が正しいんだ!」
途端にKが勢いづく。
「待ちなさい!…そもそも、ジェームズ王子殿下が私に恋心を抱いているというのがオカシイわ!」
「何でだよ?そんなに可愛かったら、男なら誰だって君に恋するだろ?」
キョトンとした顔をしてKが言う。それを聞いて、呆れたように首を左右に振るアシェル嬢。
「ジェームズ王子殿下はね、ヘンリーくんを愛しているのよ!そして、ヘンリーくんもジェームズ王子殿下を愛しているわ!」
「!な、何言ってるんだ?アイツらは男同士じゃないか?」
「男同士、というのは大した問題じゃ無いわ。この国では男嫁を貰うのは普通の事だし。彼らはね、巨大な敵の前でも互いを庇い合うのよ!自分の命を賭けてでも!」
アシェル嬢が枷に嵌められたままの両手に拳を握る。やや、言い過ぎな感じはあるものの、アシェル嬢の言は間違っては居ない。
「――でも…ジェームズは君と結婚したくてルーカスを蹴落としたんだぞ」
「それは、聞いた話、でしょう?貴方が体験した事じゃ無いわ。」
「ええ…そんな事を言われたら――俺の存在意義が揺らぐんだけど…」
「今現在、この国に仇を成してるのは、貴方よ!」
「イヤイヤ…そ、そんなはずは…だって俺は…」
二人の話に夢中だったせいで、ロジェは自分の後ろの大魔人の氷にヒビが入る音に気が付かなかった。
ピキ…ピキピキ… パキ……
ダコールに 失敗した大魔人を拘束させ、司祭達の中から、水魔法使いの祝福を使って氷漬けにした。しかし、二体目と云う事もあり、その拘束は不完全なものだった。最初から幾つか亀裂は入っていたのだが、急いでいた黒い影はそれに構っている暇が無かった。
そして、それは 今、大魔人が解き放たれるのに問題無い大きさにまでなっていた。
「きゃあ!」
「あっ!」
「…!」
ガラガラと凍った破片が崩れ落ち、中から咆哮を上げた大魔人が現れる。話し込んでいた三人は動く事が出来ず、壁際まで吹き飛ばされてしまう。
咄嗟にアシェル嬢を庇ったKは頭を打ち、意識を失ってしまった。
「ちょっと…!ねえっ」
慌ててアシェル嬢が声をかけるも、返答は無い。
「いけない!彼を連れてあそこまで走って下さい!」
「貴方は?!」
「私まで一緒に逃げたら追いつかれます!ここで時間を稼ぎますから…ッ」
「でも…!」
「早く…!分かるでしょ、数分も持ちませんよ…!」
「尚のこと置いていけないわ!」
「外に出て、応援を呼んで下さい!ここに居たって全滅するだけです!」
そう言っている間にも大魔人が水魔法を繰り出して来る。このままここを去れば、この人は間違いなく生きては居られないと確信し、アシェル嬢の膝が揺れる。しかし、このままここに居ても、何の役にも立たない。歯を食いしばってアシェル嬢は約束した。
「…分かったわ!応援を呼んでくる!絶対に、応援を呼んでくるわ!」
そしてガタガタと震える膝をパシリと叩き、自分よりも大きなKを担ぐようにして魔法円まで引きずっていく。
大魔人は自我が無く、見当違いな方へ攻撃を飛ばす。それが幸いした、もし自我があれば、きっと逃げられなかっただろう。ロジェは木魔法使いだった。治癒士であるロジェに大魔人を攻撃する術も、身を護る術もない。二人が魔法円の中へ入り、姿が消えるとロジェもそこへ向かって走り出した。しかし、飛んで来た瓦礫を避けられずその場に倒れる。その上に、幾つもの瓦礫が落ちる音が辺りに響く。
大魔人は、喚きながら壁へと突進し、それを繰り返す内に、何かに導かれるかのように、ヘンリー達の所へと現れた。




