黄金王
国王アーヴィンが私室に戻ると、直ぐにドアがノックされ、王妃であるフローラが入室して来た。
「おや、ここを訪れるなんて 珍しいね」
「先触れもなく押しかけてしまって申し訳ありません。ひとつ、確認したい事があったものですから」
美しい赤色の瞳に少しの不満を乗せて、王妃フローラは臆する事なく国王アーヴィンの前に進み出た。普段であればこんな真似はしない。二人は愛し合ってこそ居ないが、深い信頼で結ばれているからだ。
「何かな?」
「第二王子ジェームズを地下牢に入れたと聞きました。ちゃんと精査されたのですか?」
(情報が遅いな…)と国王アーヴィンが胸の内で思った。何せ さっきまでジェームズは戦場の中を駆け回っていたのだから。しかし、彼女の置かれた境遇を思えば、それは寧ろ速い方だと言えた。
王妃フローラは、あの事件の事を聞いても、ジェームズがそんな事をする筈が無いと信じている、だから瞳だけでなく、言葉にも不満を乗せて国王アーヴィンに言い募った。
「そう言えば、今日はプルクラと恒例のお茶会の日だったね」
王妃フローラの問いには答えず、国王アーヴィンは側妃であるプルクラから話を聞いたのか、と返した。
「いいえ、プルクラ様がそんな事を言う訳がございません」
プルクラは公爵家の娘で、元々アーヴィンの婚約者として育てられた。しかし、激しくなる隣国との戦争を前国王が終着させ、友好の証として隣国の第1王女であるフローラが嫁いで来る事になり、誠意を示す為に『王妃』とする事に急遽 決まった。
勿論、顔を潰された公爵家は黙っていない。あの時も、あわや内乱かと騒がれたが、何とか表面上は抑える事に成功した。
当人であるプルクラが側妃になる事を宣言し、身内の居ない敵地へ単身やってくるフローラに同情し、世話役になる事を望んだからだ。
アーヴィンは幼い頃からの婚約者であるプルクラに親愛を感じていたし、プルクラと結婚する事に何の疑問も持って居なかった。それが急展開してしまった事で、”自分が誰を愛していたか” を良く良く自覚する事になり、深く悩んだ。だが、フローラの境遇にはアーヴィンも同情していたし、何とかしてやりたかったが、動き出してしまった波を変える力をアーヴィンは持って居なかった。
プルクラは宣言通り、右も左も分からないフローラに優しく接した。定期的にお茶会も開き、それは14年経った今でも続いている。立場を考えて表立った事は全て控え、最愛の息子に会う事すらしないプルクラは、そうする事で愛する人達を守っていた。その気持ちを尊重して、国王アーヴィンもプルクラに会う事は控えていたが、手紙のやり取りは続けている。
『ジェームズを断頭台へ連れていくのなら私を倒してからにしろ』と書かれた手紙が届いた時は、真っ青になって直ぐにプルクラに会いに行ったが。しかし、話せる事と話せない事がある。結局、信じてもらう他ない。
「ジェームズの事はどうやら齟齬が合ったらしい。最近、忙しくしていたせいで、精査出来ていなかったんだ。時期に解放されるだろう」
手落ちで息子を地下牢に入れてしまったようだと嘆く振りをすれば、王妃フローラは やっと表情を緩ませ「良かった」と言った。
「要らぬ心配をかけてしまったようだね。すまない」
「いいえ、アーヴィン様もお忙しい方ですから、そういう事もあるかも知れないと思っていました。ですが、ジェームズには良く良く謝ってあげてくださいましね?」
ニコニコと笑うフローラに含みは無い。フローラはルーカスも、ジェームズも、我が息子として分け隔てなく接している。それは親切にしてくれているプルクラへの尊敬から来るものではあったが、ジェームズが幼い時から度々起こしてきた騒動のせいでもあった。魔力が強すぎるのは、本人のせいでは無いのに、簡単に悪役にされてしまう。
「ああ、そうしよう。許してくれると良いんだけどね?」
ふざけて言うアーヴィンにフローラも軽口をきく。
「あら、ジェームズはそれで許さぬ程、器量の持ち主ではありませんよ。黄金王ならいざ知らず。もし許してくれないなら、アーヴィン様の謝り方が良くないんですわ」
「…黄金王、か……」
思わぬ名が上がった事で、アーヴィンは言葉を失う。
「…あら、ごめんなさい。悪ふざけがすぎましたわね」
アーヴィンの気落ちした様子を見てフローラは直ぐに謝る。
「いや、気にしないでくれ。何も ”禁忌” と云う訳じゃない」
「黄金王、いえ、前国王は 私は良く存じませんけど、素晴らしい方だったのでは…?」
長く続いた戦争を終結させた立役者だ。そのせいで単身嫁に来る事にはなったが、以来、両国とも平和な日々が続いている。その立役者は権力を誇示する事なく、アーヴィンが戴冠する日に、隠居を宣言した。
「父は、激しい人間だったよ。自分の信念を決して曲げない。使える物は何でも使い、膨大な魔力で次々と戦争を勝ち取った。殆どの人間は畏怖を込めて”黄金王” と呼んでいたよ」
「そうでしたの…」
「ああ、父の特性をジェームズは、継いでいるのかも知れないね。私達 兄弟は、至って普通だったから」
「まあ!戯言を…。リーフ様、貴方の兄上様の行方は、まだ分かりませんの…?」
「ああ、もうこの世には居ないのかも知れないね。でも、大丈夫だ。私はこれでも賢王と呼ばれる程、理性の塊だから」
おどけて両手を揺らすアーヴィンに、フローラはぎゅっと抱きついてプルクラに会いに行くよう進めた。
◇◇◇◇◇
「黄金王?」
日も落ちようとする逢魔が時、倒した魔獣に弔いの火が着けられ、辺りは光々と燃えていた。
「そうだよ、知ってるだろう?私のお爺様にあたる」
「それは承知しているが、先代国王が隠居されたのは、この辺りなのか?」
服の泥を叩きながらテオドールが、覆面をしたままのルーカスに問いかける。
「うん、ほら、あそこ」
ルーカスが指さす先には、一際大きな炎が上がっていた。辛うじて、人影のようなモノも確認出来る。
「え…つまり、あそこで戦っていたのが、黄金王…?」
「多分ね、話に聞いていただけで、実際 会った事は無いんだけど」
「しかし…黄金王は、魔力を全て失ったんじゃないか?」
それは公式に宣言されている事なので、テオドールの認識は間違っていない。
「うーん、私も聞いた話だからね…これは国家秘密なんだけど…」
声を潜めてテオドールに耳打ちするルーカス。
「国家秘密を俺に洩らすなよ…」
呆れ顔をするテオドールだが、拒否する気はない。いずれヘンリーとウィリアムの身柄を拘束される身としては、どんな情報も必要だ。
「黄金王はね、とても激しい人間だった。それは彼の生まれにもよる。あの頃の王宮は腐敗に満ちていて、王様は沢山の愛妾を抱えるだけじゃなく、使用人にも手をだすような人間だった。その使用人との間に出来たのが、後の黄金王デーストルク・ティオ・オン・アデルバードだ」
デーストルクは、認知はされたが使用人として暮らしていた。それは生まれた時から膨大な魔力を持っている事が判明したからだ。なにかの際に便利に使おうとして側で育てさせたのだろう。で無ければ直ぐに殺されていた筈だ。その頃の王宮は賄賂と暗殺が御行し、沢山生まれた王子も次々と不審な死を遂げていた。
政務も適当だったせいで国も大いに荒れていた。
そんな時、ある戦が元で王様は寝たきりの生活を余儀なくされる。これ幸いと、ひとりの王子が「自分こそが、次代の王だ!」と宣言した。やりたい放題の父親と同じ素質を充分に受け継いだ王子は、デーストルクと懇意だった美しい令嬢を、勝手に婚約者にしてしまった。
そこでデーストルクは王子の名乗りを上げる。彼から令嬢を取り返すには、そうするしか無かった。二人は立ち会いの元、決闘を行い、勝ったのはデーストルクだった。
15歳で王と成ったデーストルクは、側姫を娶らず生涯の愛をただひとりに捧げ、ひたすらに国を立て直す事に奮闘した。その過程で、残虐と取られる行為も、怯むこと無く遂行し、人々から”返り血を浴びた王”と陰口を叩かれる事もあった。それでもデーストルクは自分の信念にしたがい、使える物は何でも使った。
そんな激しい気性は生まれた2人の王子には受け継がれなかった。
第1王子は気が弱く、また祝福も持たずに生まれた。第二王子は父親と同じ火魔法使いとなったが、父親程の力は無かった。そんな彼が兄王子を抑えて王に成ったのには、祝福である『浄化』が関わってくる。本来、王家は光魔法使いが多かった。『浄化』は光魔法使いの能力である。何より、兄王子に王位継承の意思が無かった。
「それで、私の父――アーヴィンが王位を継いだんだ。そこまでは良い、問題はそこから…」
アーヴィンを王太子に指名し、政務の引き続きなどを1年程かけて行った後、アーヴィンが戴冠する日に黄金王デーストルクは突然隠居を宣言した。
宣言しただけでは無く、王族貴族が集まる中で、デーストルクは自身の炎で喉を焼いた。
武器を持たない魔法使いにとって、攻撃は詠唱のみ。その何よりも大事な声を、自分で潰してみせた。これにより、最大の権力を誇っていたデーストルクは、自身の無力化を衆人に見せ、隠居する事に同意させた。
「愛する王妃とひっそり暮らす事が最大の願いだったらしい」
ルーカスの言葉に、テオドールが圧倒される。世代が違う事もあり、先代国王は病により引退した事になっていたので、テオドールは疑う事もなくそう信じていたのだ。
それが、自身の炎で喉を焼いたとは…確かに、激しい人間だったのだろう。
「だが、ルーカス。そこで赤赤と燃えているのは、黄金王の火魔法なんじゃないか?」
「そうだよ、テオドール。これはどういう事だろうね?喉を焼いた、と云うのは見せ掛けだったのかな?」
立ち話に夢中だった2人は、話が話だっただけに、近づいてくる人影に全く気が付かなかった。周囲に敏感な2人としては珍しい事である。それだけ、かの者は気配を消すのに慣れて居るのかも知れない。
話し合う2人の間にスッと立ったのは、美しい銀髪と黒い瞳を持つ壮年の男だった。身なりから察するに、かなりの高位貴族と思われる。無言で立つ男に、ルーカスとテオドールは丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります、先代国王陛下」
「…………」
男は無言で手を振り、着いてこいと身振りで示し歩き出した。
「ルーカス…」
テオドールが呼びかける。
「うーん、間違いなく声は焼かれているね。喉元を隠してあったけど、あの下には酷い火傷があるんだろう」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
瞬時に祝福を使い、男の素性を調べたルーカスが言う。
「ま、よく考えたら、私も無詠唱で祝福を使ってる訳だし、声を失ったくらいであの黄金王が無力化出来る訳が無いよね」
そうなると、これまた厄介な問題が盛り上がってしまう。国を揺るがす程の力を持つ伝説の王を、野放しにする訳にはいかないのだ。
「それもそうだが…彼は本当に本人なのか? 歳を思えば50歳は超えている筈だろう?」
もう老人と言ってもいい年頃だ。それなのに、今、自分達の先に立って歩いている男は、下手をしたら父ベンジャミンよりも若く見える。これはどういう事だろう。
「実は不老不死だったりして…」
軽口を叩くルーカスに、テオドールはひとつため息をついただけで返答はしなかった。
さっきまでこの国の創世の女神、アレクシスと共に魔獣を討伐していたのだ。ルーカスが『不老不死』とふざけるのも分かる。空を飛ぶジェームズに、言葉を繋げるヘンリー、今更 『不老不死』が追加された所で どうと言うことも無い。驚き過ぎて何も感じなくなっていた。
◇◇◇◇◇
「ジェーちゃ?」
「…起きてしまったか、ヘンリー」
ソファで仮眠をとっていたジェームズは、日が出る前に目が覚めた。しかし腹の上にはヘンリーがスヤスヤと眠っていて動けない。どうして寝室で寝て居ないのか、今日はこっそり出て行くつもりだったジェームズは、ヘンリーを起こさないように何とか起き上がろうとしていたが、その努力虚しくヘンリーは目を開けた。
「おあよ、ごじゃます…」
まだ眠いのだろう、両手でゴシゴシと目元を擦りながら、ヘンリーがおぼつかない口調で朝の挨拶をする。
「おはよう、ヘンリー。今日はお前は…」
留守番だ、と言う前にヘンリーは首元にしがみついて、「いっちょ!」と宣言した。
ヘンリーは今日も着いて行く気満々で、置いていかれぬようにジェームズの腹の上で寝ていた。それに、国王陛下にも宜しく(?) 頼まれたのだから、留守番なんてする筈が無い。
「しかしだな、ヘンリー。魔獣暴走はもうすぐ沈静化しつつある、だから、俺ひとりでも…」
危険な戦争にヘンリーを連れて行く事も気になるが、何よりヘンリーに強化魔法をかけられる事に慣れるのが嫌だった。
常に鍛錬をしている者ならば、自身の力が何倍にもなれる機会を逃す筈が無い。あの高揚感を1度でも味わってしまえば、強化魔法の無い攻撃なんて、何の意味もない。強化魔法に飢えてしまう。
そうして、『あの俺』はヘンリーに依存し、それだけでは飽き足らず、ヘンリーの祝福を奪い、ヘンリーの意思に関係無く、その力を引き出し続けた。
そうなるのが、怖いのだ。
何者からもヘンリーを護りたいと思う気持ちとは別に、強さを求める者にとって、ヘンリーは余りに魅力的な果実だ。1口食べてしまえば、もっともっとと、際限なく欲求が暴れ出す。俺は、『俺』からヘンリーを護りたいのに。
だが、こちらの気持ちなどお構い無しで、ヘンリーは側を離れないし、いくらでも強化魔法を注いでくれる。こんなに俺に魔力を渡したら、ヘンリーの魔力が枯渇してしまうのではないかと、それも心配だ。
そもそも、こんな所で匿って貰う羽目になったのも、自分の勘違いのせいだ。あれもこれも、上手くいかず、ジェームズは自分に失望していた。
「ジェーちゃ?」
キョトンとした顔で見つめられ、ジェームズは自分が俯いていた事を知る。
「ああ、いや、何でもない」
ヘンリーの真っ直ぐな瞳で見つめられると、何もかも見透かされているのでは無いかと、不安になる。こんな暗い感情は、ヘンリーに見せていい物じゃない。
「ヘンリー…」
懲りずにヘンリーに留守番をさせようと、ジェームズが説得を再開すると、
「ん!るーかしゅおうじ、しゃま!」
ヘンリーが目を見開いて、兄の名を告げる。それと同時に頭の中に声が響く。
((えーと、ちゃんと繋がってるかな?ヘンリー。そこにジェームズは居る?))
((兄上!))
ルーカスがヘンリーとの『言語通信』を試したようだ。ヘンリーは直ぐにジェームズとも繋げる。響いた声に反射的に応えたジェームズ。
((ああ、ジェームズ!良かった。ちゃんと繋がったね。ありがとうヘンリー))
((何だお前、ヘンリーの事を疑っていたのか?昨日も大勢で喋ったじゃないか))
ルーカスの後にテオドールの声も聞こえる。ヘンリーが勝手に繋げたのだろう。
((テオドール!兄上に向かって失礼だろう!))
ルーカスとテオドールの仲がいいのは最近知ったが、だからなのか、ルーカスに対する言葉使いを隠すのをテオドールは止めていた。しかし、ジェームズにとっては偉大なる第一王子ルーカス兄上であるからして、無礼な言葉を咎めない訳にはいかない。
((おや、聞いておりましたか、第二王子殿下。それは失礼しました))
少しも悪びれなく謝るテオドールの後ろでは、ルーカスが声をたてて笑っている。ルーカスは、気難しく塞ぎがちだったジェームズが、テオドールと口喧嘩をする様を心から楽しんでいる。
((ジェームズ、あのね、魔獣暴走は昨夜の内に収束したんだ。だから、もう戦闘する必要は無いんだよ。))
((え!もうですか?! とても昨夜の内に収束するとは思えませんが…))
規模が規模だけに、あと2日はかかると思っていた。ルーカスが読み間違う筈は無いと知りながら、思わず疑問を口にすると、とんでもない返答が返ってきた。
((うん。本当に収束したよ。あの『黄金王』が、あっという間に沈静化してくれたんだ。))




