魔獣暴走2
「駄目に決まっているだろう!」
王城から程近い所にあるアードルフ公爵家で、久しぶりに顔を合わせた父親は随分疲れていた。それもその筈、各地で一斉に始まった魔獣暴走は小規模ではあったが、確実に被害を出しながら王都を目指し広がっているからだ。
王城の騎士団や、領地を守る貴族達によって沈静化された土地も多いが、手がまわらず壊滅状態になっている土地も多い。
それに、始まりこそ”小規模”とランク付けされていたが、今や血の匂いが魔獣達を更に狂わせ、その暴走はとても”小規模”とは言い難いものになっていた。
何とか食い止めようと、国中の魔法使い達が動いている。アシェルも屋敷で大人しくしているつもりは無かった。それで、父親に防衛掃討に参加したいと申し出たのだが、アッサリと却下されてしまった。
「何故です!各地で多くの怪我人が出ていると聞きます、こんな時こそ、木魔法使いの出番では無いですか!」
「…木魔法使いは陛下が手配して各地に散っている。お前が出る必要は無い。」
「ですが、お父様…っ!規模は広大です、木魔法使いはそれでなくとも数が少ないんですよ?。1人でも多くの人を救うには…っ」
「お前はまだ子供だろう!『聖女』だなんだと担がれて居るようだが、お前はまだ戦場も知らぬ子供だ!そんな奴が居ても足でまといになるだけだ!そしてその身はいずれ『王妃』となるのだぞ!後の事は我々『大人』に任せて部屋から出て来るな!」
そう言うと、父親はアシェルの言葉も待たず身を翻して屋敷から出て行った。
「…いずれ『王妃』と成るなら…、この災厄を収めてみせなきゃ、じゃない?」
アシェルは大人しく護られているような性格では無い。かと言って無謀という訳でもなく、単身で戦地と化した場所に行ったとしても、父親のいう通り、足でまといになる可能性が高いのは良く分かっていた。しかし『護られるべき』と云うなら、王城で厳重に護られている筈の第一王子が、姿をくらましているのはどうした事か。
ルーカスとアシェルの基本的思想は一致している。『民を救う為に自分に出来る事をやる』アシェルと違ってルーカスにはそれを実行出来るだけの手数がある。
アシェルはため息をついた。
自分が戦場に行った所で、全員を救える訳ではない。この広い国を全て救えるなんて思って居ないが、ひとりでも多くの命を繋ぎ止める事は出来る。死んでしまったら、如何に『聖女』と呼ばれるアシェルでも、生き返らせる事は出来ないのだから。
被害は、まだ国土の外側から10分の1と云う所だ。魔法使いの国と云う事もあり、流石に王都にまでスタンピードが到達する事は無いだろう。
しかし、これが王都で発生したら?
そもそも、こんな風に国境をぐるりと囲んでスタンピードが発生するなんておかしい。誰かが仕込んだと云う方が納得出来る。で有れば、王都にスタンピードを発生させる事も出来るのでは無いか?
そこまで考えてアシェルは背筋が冷たくなるのを感じた。王都には魔物が居ないから、暴走させるのは難しいと思うけど、何らかの方法で連れてくれば不可能では無い。魔獣が1度暴走してしまうと、それに連鎖して他の獣も暴走するし、血の匂いは更に凶暴化させる。
王都の警備は地方よりも厳重だ。しかし地方よりも人口密度が多いし、貴重な施設や国の政策に関わる機関が多い。ここでスタンピードが発生すれば国を揺るがす大災害に繋がる可能性が高い。そうならない為に様々な対抗策は講じてある筈だが…、こんなスタンピードを発生させられる者だ。
このスタンピードは、誰が、何の為に、起こしたものなのか?
アシェルは深い思案から静かに目を開くと、教会に行くと言って屋敷を後にした。
◇◇◇◇◇
昨日まで村であった場所は今は焼け焦げ、煙と血の匂いが立ち込めている。黒い外套に身を包んだ男は木の影からその様子を伺っていた。
「ダンシエール様…」
外套の男の後ろから、同じような黒い外套を被った女がソッと声を掛ける。
「そろそろ戻りましょう。人目は無いと思いますが、あまり留まるのは…」
「…分かっている」
心配気な女の問いかけに、振り向きもせず答えるダンシエールは、自分のした事が本当に正しかったのか猜疑心に苛まれていた。
否、正しいに決まっている。
敬虔な『女神アレクシア』の信徒であるロジェ・ダンシエールは、あの日、女神の使徒が降臨するのをこの目で見た。花びらと共に空からゆっくりと降りてくる様はまるで奇跡のように美しく、天使の歌声さえ聞こえてくるようだった。
以来、女神アレクシアを信仰すると共に、女神の使徒にも忠誠を誓った。”あの方”が間違う筈が無い、これで正しいに違いない。
そうは思うものの、この踏み躙られた地を見れば見る程、本当にこれで良かったのか疑問が生まれて来る。
自分は、ひとりでも多くの人間を助けたいと思っていた筈だ。毎日女神に祈りを捧げ、木魔法を使い病人を癒していた。そもそもこの計画も、この国の民を救う為のものだった筈だ。
魔獣用に特別に調合された薬を飲ませれば、ただでさえ気の荒い獣達が暴走するのはわかり切っていた。それでも、村人達が逃げ隠れる時間は充分にあると思っていた。要は、暴走した魔獣達が王都を目指すようにすれば良かったのだ。
しかし、結果はどうだ?
魔獣達は真っ直ぐに村人を狙った。血しぶきは他の魔獣を呼び込む。一刻も経たぬ内に村は蹂躙されてしまった。元より田畑を耕して暮らしている人達だ、魔獣相手に大技を繰り出せる人間など居ない。
「ダンシエール様…」
解ったと言いながら動く気配の無いダンシエールに、女がもう一度、声を掛ける。それでようやく、そこから動いたダンシエールは移動すべく馬車に乗り込んだ。
◇◇◇◇◇
「おいち♡」
柔らかい白パンを頬張った僕、ヘンリー・ディラン4歳です。
昨日は、地下牢という名の隠し屋敷で暮らしてる僕と、ジェーちゃこと ジェームズ・オン・アデルバード第二王子が、図書室で開いた本の中に囚われてしまうと云う珍事件に遭遇した。その中には”本物”の女神アレクシアが監禁されていて、僕達はそこから抜け出すついでに、女神アレクシアを救い出す事に成功した。
女神アレクシアは不死鳥と呼ばれる四羽の内の一羽で、青い鳥の姿をしている。勿論、美しい令嬢の姿にもなれるけれど、ここは隔離された屋敷なので、突然 令嬢が現れたら説明が難しい。
しかも相手は、この国を興したとされる一神教の女神だ。
だから青い鳥の姿のまま、僕の肩に止まって、優雅に毛繕いをしている。
僕はと云えば、グッスリ眠って元気いっぱい!朝食の白パンに夢中だ。
「ヘンリー、白パンばかりで無く、野菜や肉も食べるんだぞ」
同じ朝食を食べているジェーちゃが、テオ兄様みたいな事を言う。ここで暮らすようになって数日だけど、ディラン伯爵家が恋しいなぁ〜。でも、皆、僕とジェーちゃの為に頑張ってくれてるから、我慢しなきゃね。
「あい、どーじょ!」
サラダをフォークで刺して、魔女さんに差し出すと、可愛いクチバシでチョンチョンと啄む。美味しいかな?
でも今は青い鳥さんの姿をしてるけど、立派なレディにもなれるんだし、サラダだけじゃ足りないかな?
僕の今日の朝ごはんは、モチモチの白パンにフルーツサラダ、コーンスープにミニステーキと茹でたじゃがいも。どれもとっても美味しいんだけど、魔女さんはどれが好きかな?
僕がキョロキョロと食卓の上を見回していると、ジェーちゃが咳払いをして言う。
「ヘンリー。鳥の食事はちゃんと用意させてある。それは全てお前の栄養を考えて出されているのだから、残さず食べねばならない。」
「はっ」
そうなんだ…!そっか、じゃあこの食事は全部 僕用のだから、ちゃんと食べないとシェフさんに悪いよね。
コクリと頷いて、ミニステーキにナイフを入れる。ディラン伯爵家で食事する時は、いつもティム兄様のお膝の上で、お口に運んで貰ったものを食べるだけだったけど、ここに来てからは ちゃんとひとりで食事の練習をしてるよ!
勿論、たまにジェーちゃが「あーん」してくる事はあるけど、『人前に出る機会が増えるから、きちんとしたマナーを覚えて欲しい』ってお願いされたから、頑張ってるんだ。
でも、人前に出る機会って何だろ。
まあ何にしても、僕もディラン伯爵家の息子な訳で、キチンとしたマナーは学ばないといけないんだよね!元々、ノアだった頃も公爵家の三男だったから、一応、マナーは分かってるんだけど、分かってるのと体が動くのでは また違うからねぇ。それにヘンリーの身体は、馬車事故の後遺症で、滑らかに動かない事も多いし。あ、ステーキ美味しい♡
*****
「ちょっくら、外を散歩して来ようと思ってんだけどね」
朝食を食べ終わり、部屋のソファで寛いでると、魔女さんがそう言った。鳥用の餌を用意してもらって、お腹いっぱい食べたらしく、羽でお腹をさすっている。
「おしゃんぽ?」
「ひとりで行くつもりか?」
僕とジェーちゃの声が重なった。
「お前は囚われの身だった自覚はあるのか?フラフラと外に出て、また捕まったらどうするつもりだ?」
眉間に皺を寄せてジェーちゃが不機嫌に言う。
そーだよねぇ、誰が『女神アレクシア』を監禁したか分からないけど、魔力を抜く事が出来なくなれば、あの本の中の牢獄から魔女さんが抜け出したってバレる訳だから、必死で探す筈だもんね。
「フンっ、もうあんな手には乗らないよ!大体、ここはアタシが作った国なんだ、そのアタシがどうして逃げ隠れしなきゃならないのさ!」
青い羽を大きく振りながら魔女さんが言う。
「だから、まんまと捕まった癖に良く言う。次も助けてやれるとは限らないんだぞ?もっと慎重に動くべきだ。」
へえ、やっぱりジェーちゃは魔女さんが心配なんだねぇ。そうだよね、ジェーちゃは敬虔な信徒だもんね。
「…そんなに言うなら、アンタ達と一緒なら良いだろう?」
ジェーちゃが心配してるのが伝わったみたいだけど、お外を散歩したい気持ちは変わらないみたい…。
「…簡単に言うがな…。俺達はここに幽閉されていて、自由に外に出る事を禁じられているんだぞ」
「はぁあ?。アンタ、王子って言って無かったかい?そんな身分のヤツが、なんで幽閉なんてされてんのさ!」
「…色々、事情があるんだ。…まあ、もしかしたらお前の事情と俺達の事情は無関係では無いかもしれんが…」
「ちょっとどういう事だい?アタシに分かるように話なよ」
そこで、ジェーちゃはこれまであった事を魔女さんに話す。僕が持ってる情報のが多いんだけど、何分、上手く説明出来ないし、”異世界転生者だ” なんて言う訳にもいかないからね、ジェーちゃの隣で大人しくお座りしてるよ。
一通り話を聞いた魔女さんは唸りながら何か考えこんでる。
「ふーん…透明化使い、ねぇ…」
やっぱりそこが気になるんだね、ステルスなんて祝福を持ってる人、長い歴史を見ても数人しか居ないし、それに魔女さんはずっと閉じ込められていた訳だから、魔女さんに成り代わろうとした『誰か』がその祝福を与えた訳だ。
「ステルスは色々制約があって万能じゃないけど、それでも使い用によっては国を滅ぼす事くらい訳ないよ。だから、よっぽど綺麗な魂を持って無ければ与えないし、乱用して使い過ぎれば、透明になったまま戻れなくなるほど危険な祝福効果なんだ。」
「ええっ?!」
「なんだと?!。そんな祝福を良くも与えようと思ったもんだな…っ」
魔女さんの言葉に、また僕とジェーちゃの声が重なった。
「だから、基本的には与えないって言ってるだろ…。でも聞いた感じだと、そのステルス使いは悪用してるみたいだし、このまま黙ってる訳にはいかないねぇ」
「お前に何が出来るんだ?与えた祝福を取り上げる事は出来ないのか?」
「アンタ、良くそんな事を思いつくね…。祝福ってのは、言わばプレゼントだよ?人にあげたモンを返せって言うヤツなんか、居るかい?!」
ジェーちゃの提案に、ドン引きしながら魔女さんが応じる。えー、僕もそれ、良い案だと思ったんだけどなぁ〜。ステルスが使えなくなれば、一先ず安心だし。
「…ヨシ!そんじゃ、アンタらにも祝福を与えてやろう。脱出させて貰った恩もあるしね」
「いや…俺達は既に祝福を受けているが…、まさかひとりに幾つも祝福を与える事が出来るのか?いや、そもそも”祝福”は産まれた時にしか与えられないのでは無かったか?」
「今はそんな決まりになってんのかい?アタシが祝福を与えてた頃は、産まれた時じゃなくて、ある程度育って分別がついた頃に、ソイツに合う祝福を与えてたよ。勿論、全員になんて与えてない、アタシが気に入った子だけにね」
魔女さんがウィンクして答える。
僕はノアだった頃の闇魔法の祝福『鑑定』と、ヘンリーの月魔法の祝福『魔力譲渡』と、2つ持ってるから(魔力譲渡は使った事無いけど、何しろ発動条件は大人の関係にならないといけないからね…きゃっ!)ひとりにひとつ以上の祝福を与える事は出来ると思う。
「と言うことは…俺達に更に祝福を与えてくれると言うことか…?」
ジェーちゃのお顔がキラキラ高揚してる。既に祝福が与えられているだけでも凄いのに(普通の人は属性の魔法しか使えない)信仰する女神に、更に祝福を与えて貰うなんて、国王陛下ですらあやかれない奇跡に近い。
「勿論!アンタ達には世話になったからね!それにこれから外を散策するのに、ピッタリなヤツを与えてやるよ!」
サッと立ち上がると、魔女さんは青い鳥さんの姿から女の人の姿へと変わる。ジェーちゃが何か言う前に魔女さんは呪文を唱え出す。何を言ってるのか分からなかったけど、ジェーちゃの周りに魔法円が浮かびあがって青白い炎が現れた。かと思うと、その炎はジェーちゃの中に吸い込まれ、キョトンとしたジェーちゃだけがその場に立っている。
僕は急いで祝福の『鑑定』を使った。いつもは使わないけど、これはちゃんと確認しなきゃだしね!
…あー!忘れてた!何でも載ってる鑑定画面だけど、何故か祝福と祝福効果だけは載って無いんだったぁ〜!
「おい…俺は一体…」
「うん!久しぶりだったからチト不安だったけど、ちゃんと出来たね!アンタの新しい祝福は、『飛行』だよ!」
『飛行』?! 飛行って、あの空飛ぶ、飛行?!
「ひ、飛行…だと?」
ジェーちゃもビックリしてる!そりゃそうだよね!
「ああ、そうだよ。鍛錬次第では国の端から端まで、ひとっ飛びする事も出来るだろうねっ」
えー!凄い!ジェーちゃ、良いなぁ〜!空飛ぶ祝福なんて、聞いた事が無いよ!
まだ衝撃から立ち直ってないジェーちゃをそのままに、魔女さんはくるりと僕の方を向いた。そして、少し考えると、また呪文を唱え出した。さっきのジェーちゃと同じ、座っている僕の周りには魔法円が浮かび上がり、青白い炎が揺れている。
その炎がすうっと僕の中に収まる。全然熱くないし、何の違和感も無い。これで本当に新しい祝福が付与されたのかな?
「まじょたん…」
「ああ、ヘンリー、アンタの新しい祝福は『言語通信』だよ!」
げんご…つうしん…?
「何だ、それは?」
いつの間にか立ち直ったジェーちゃが、僕の変わりに聞いてくれる。
「ヘンリーが自分の魔力を渡した人間なら、どれだけ遠く離れていても、互いの言葉を送り合う事が出来るのさ!」
んー、つまり未来の世界の電話みたいな事かな?
それは便利だね!この世界には手紙か伝令しか無いから、直ぐに連絡を取るって言っても、半日以上はかかっちゃうもんね。
「???」
僕と違って理屈が分からないジェーちゃは、まだ首を傾げている。
「まあ、口で説明するより実践してみりゃ良いだろ!」
そう言ってジェーちゃに僕の魔力を渡すように言われたので、素直にジェーちゃのお手手を握って無言で詠唱する。フワリとした光がスルリとジェーちゃの中に入る。多分、これで大丈夫だと思うんだけど…。
突然、魔女さんが僕を抱えると、窓からバッと外へ飛び出した。文字通り、大空の中を飛んでいる!凄い!
((ヘンリー!!!))
あ、ジェーちゃが叫んでるのが聞こえる。ほほー!これも凄い!
((ジェーちゃ!))
((へ、ヘンリー?! 一体、何処から…?!))
姿は無いのに、僕の声が聞こえてきて驚く声が響いてる。
「ヘンリー、アイツにここまで飛んで来るように良いな」
ニヤリと笑って魔女さんが言う。僕は言われた通り、ジェーちゃに飛んで来てって伝える。
でも、さっき与えられたばっかりの祝福を、ジェーちゃはうまく使えるのかな?ちゃんと教えて貰って無いのに…、僕は電話を知ってたから、まあ使えたけど…。
なーんて心配は杞憂でした!
ジェーちゃが物凄い速さでバーッと飛んで来た。忘れてたけど、ジェーちゃって天才なんだよね。魔力量もこの国1とか言われてるし。魔女さんから僕を奪い返すと、飛びながら文句を言い始める。そんな余裕もあるんだね、いや〜流石です。魔女さんは楽しそうに笑ってるけども。
そして、僕達は魔女さんと共に空中散歩と洒落込むのでした。




