魔獣暴走
各地で一斉に起こった魔獣暴走は、小規模ながらも確実に王国に被害を与えた。
王城の騎士団は半分が各地に散り、残り半分は王城を守る為に厳戒態勢に入った。貴族達は自分の領地を護る為に戦い、庶民平民も自分達の命を護る為に力を合わせた。それでも無事とは言い難い惨状が広がっている。小規模とは言っても、暴走している獣が集団で襲ってくるのだ。王城から遠い程、騎士団が駆けつけるには時間を要する。それも、こう、各地で一斉に起こっては、援護に赴けない場所もある。
森の近く、小さな集落はスタンピードに対抗する手段を持たなかった。
血の匂いが、更に魔獣達を暴走させる。
まるで国境から燃え上がった火が、中心にある王都を目指すかの様に、徐々に進行していた。
◇◇◇◇◇
「テオドール兄様…!」
ウィリアムの声に、テオドールは後ろから飛びかかって来た魔獣に手を上げ攻撃魔法をかける。しかし詠唱の間にも他の魔獣が次から次と襲ってくる。ウィリアムの作る土魔法の壁も、魔獣の衝撃に耐えきれず1度の体当たりで崩れてしまう。
だが、逃げる訳には行かない。と云うか、逃げる場所など無いのだ。外側から始まったスタンピードは勢いを増し、王都を焼き尽くさんと あちこちから魔獣の咆哮が聞こえる。
テオドールとウィリアム達、ディラン伯爵家は自領に戻って、スタンピードを抑える為に朝から働き詰めだった。
伯爵が指揮を取る中、次代伯爵のテオドールも防衛掃討に加わった。ウィリアムは子供達と共にシェルターに隠れるように言われていたが、兄が心配なウィリアムは頑として頷かず、自分も防衛掃討に加わると言って聞かなかった。
夜中に報告を受け、慌てて自領に戻って見れば、小規模と聞いていたのに、思っていたよりも被害は甚大で、正直 ウィリアムの参戦は有難かった。まだ幼いながら、ウィリアムは土魔法の才能があり、素早く移動する魔獣に対しても瞬時に土壁を作り上げ、幾度も兵士達の命を救っていた。
それでも、粗方の魔獣を倒し、日が陰る頃合になれば、立つ事も難しくなって来た。周りの兵士達も疲労は隠せていない。ウィリアムのお陰で、致命傷を負った者は居なかったが、それでもあちこちから血が流れている。
「…はぁ。思った以上に手強いな。小規模とは言っても、これだけ一斉に起これば歴史に刻まれるだろう…」
「テオドール兄様、大丈夫ですか?」
座り込んだウィリアムの隣に、どっかりと腰掛けながらテオドールが愚痴るように言う。
「それはこちらのセリフだ。お前こそ大丈夫か?もう魔力切れを起こしているんだろう。」
「……う、お恥ずかしながら…すいません。」
「いや、正直助かった。お前が参加してくれなかったら、被害はもっと拡大していただろう。…本来なら、護られるべき存在なのに、戦場に引っ張り出してしまって済まない…俺は不甲斐ない兄貴だな…」
「テオドール兄様!何を言うんですかっ!参加させて下さいってお願いしたのは僕の方です!そんな風に言わないで下さい!」
疲労のせいか、珍しくネガティブな発言をするテオドールに、ウィリアムが縋り付く。辺りでは魔獣の死骸に火を着け、弔いが始まっていた。
「…ウィリアム、お前は今夜は休みなさい。」
「テオドール兄様はどうされるのですか?」
「…スタンピードが起こっているのはここだけじゃない。近場に応援へ行く」
「…なら、僕も行きます」
「駄目だ。もう魔力が切れているだろう、休んで力を蓄え、明日から参加してくれ」
「…でも…」
今の状態の自分が、無理矢理ついて行っても、足でまといにしかならない事を ウィリアムは良く良く分かっていたが、テオドールを行かせるのが不安だった。テオドールだって疲労している。もし、魔獣に襲われ重傷を負えば、二度と逢えなくなってしまうかも知れない。
しかし、スタンピードは各地で起こっており、救援を必要として要る人は沢山居る。テオドールが向かう事で救われる命は多いだろう。板挟みの中でウィリアムは俯いた。
「何、無理はしない。これからジェームズ王子殿下を救い、ヘンリーを取り返さなくてはいかんのだ。そうだろ?」
優しく微笑むテオドールの顔は、泥や擦り傷で汚れていたが、今までで1番美しいと、ウィリアムは思った。今の自分に出来る事は、テオドールを憂いなく送り出し、しっかり魔力を回復して、戦力として防衛掃討に加わる事だ。
それに、突然スタンピードが起こってしまったが、元々の目標は、ヘンリーを狙う者達を一掃して 気兼ねなく兄弟仲良く暮らす事だ、その為にも、ここで倒れる訳には行かない。深呼吸して顔を上げたウィリアムは、ニッコリと微笑んだ。
「そうでした。僕達は、平凡な日常を取り戻すついでに、国を救うんでしたね。」
テオドールは、ウィリアムを1度強く抱き締め、それからその場を離れた。
*****
「わざわざ、こっちに来なくても良かったのに…」
「『王子殿下』がお忍びで へき地で戦ってるって云うのに、無視する訳には行かないだろう」
「テオドールに指示したのは、ディラン伯爵かな?内緒だって言ったのに…」
馬でかける事一刻、隣の村には なんと第一王子であるルーカスが私兵を率いて防衛掃討を行っていた。
「そんな訳にいくか、仮にもお前は『第一王子』なんだぞ。ジェームズ王子殿下が幽閉されている今、お前にまで何かあったらどうする!そもそも、王城でガッツリ護られてる筈のお前が、どうして覆面をして前線に居る?」
「『仮にも』って……。まあ、確かに僕は戦闘は得意じゃ無いけどね。でも、光魔法は、こういう時の為にあるんだよ。魔獣を鎮静化出来るのは光魔法使いである僕と陛下だけなんだから。」
そうは言っても、広範囲に広がる魔獣を一度に鎮静化出来るのかと言われれば無理な話で、精鋭部隊を率いて来たルーカスでも身体のアチコチから血が流れている。テオドールが加わり、辺りの魔獣は一掃出来たが、何しろスタンピードは各地で起こっている。休息をとったら、直ぐにでも次の地へ向かわなければ後手に回ってしまうだろう。
「手当をしよう、炎症をおこすと大変だ。」
諦めたようテオドールが言って、せめて手当をルーカスに勧める。何を言った所で、この少年は王城に戻らないだろう。彼は、友好の為にこの国に嫁いで来た母親と同様、この国をとても大事に思っている。それは一重に『国王陛下』が『王妃』に敬意をはらい、尊重しているからこそ、王妃は自分の役目を見失うこと無く、この国の為になろうとし、その意思は我が子にも引き継がれた。
テオドールはルーカスに薬丸の入った袋を手渡した。これは、今、ウィリアムが開発中の持ち運べる薬湯だ。
「なんだい?」
ルーカスは受け取った袋を目の高さに掲げ、テオドールに問いかけた。
「ウィリアムの薬丸だ。まだ開発中だが、効果は俺の身体で実証済みだ。病には効かないが、切り傷等の外傷には てきめんに効く」
「へえ!噂には聞いてたけど…、なるほど。それで君は傷ひとつ無くピカピカなんだ?」
「ピカピカの意味が分からないが…、そうだ。俺が強いのは間違いないが、流石にこの戦闘で切り傷ひとつ負わない訳が無いだろう。なんなら、お前よりも酷い傷を受けたが、この薬丸のお陰で直ぐに塞がった」
「とんでもない発明じゃないか!これが広まったら歴史が変わるよ?」
いつも微笑みを浮かべ、心根が分かりにくいルーカスが、酷く驚いたように目を見張る。
ただ、ヘンリーに苦い薬湯を飲ませたくないと云う 義弟想いから始まったウィリアムの研究は、それ程、国に刺激を与える物だった。
「ウィリアムは、成人したら僕の側近になって貰おうかな♪」
口笛でも吹きそうな笑顔でルーカスが言う。それは最上級の賛辞だったが、テオドールはムッとして言い返した。
「ウィリアムに王宮務めをさせるつもりは無いぞ」
「えー?今後、王宮で働いてる人間を大量に粛清しようとしてるのに、その穴埋めに協力する気が無いって事?」
「それはお前の仕事だろう」
「でも、ヘンリーはどうするの?ジェームズは離さないだろうから、ひとりで王宮暮らしをさせるつもり?側に、お兄ちゃんが居たら喜ぶんじゃないかなぁ〜」
「ヘンリーを嫁に出す気は無いと言っただろう!」
大人しくルーカスの戯言を聞いていたテオドールが、ムキになって怒鳴る。
「ハハハ、そう怒るなよ。こう言うのは当事者同士の気持ちが一番、大事で……」
「何が!王命に逆らえる人間なんかいるか!お前の一言で人の人生が決まるんだぞ!」
「まだ、王になってないよ…気が早いなぁ」
ヘンリーはテオドール達と血が繋がっていない。それどころか、生まれてから暫く 母親と共に隣の屋敷で暮らしていた為、ちゃんと顔を合わせたのもあの馬車事故の時が最初だ。ヘンリーを護る母親は既に亡く、小さな身体は傷だらけで、走る事も 満足に喋る事も出来なくなったヘンリー。
テオドールは、せめてこれ以上、苦難がヘンリーを襲わないように、手元で一生面倒を見ていくつもりだった。
それなのに、よりによって、人目を惹き 悪名高い第二王子が、ヘンリーに執着してしまった。彼の側では、平和のへの字も享受出来まい。ヘンリーの人生が翻弄される未来しか見えない。
しかし、ルーカスはそう思って居なかった。
あのジェームズが、唸る程の魔力を制御する術を身につけられたのは、ヘンリーの影響だと確信している。ルーカスが王として立つ時、その側には自分を支えるジェームズがいて欲しい。ジェームズはこの国の純血であるし、その魔力量は誰にも引けを取らない。もし、ジェームズに子が産まれれば、その子を次王に、となるのが自然の流れだろう。しかし、それでは母親の実家である隣国との繋がりが薄れる。
自分の後も、なんならその先もずっと、隣国の血がこの国に流れ続けるのが理想だ。勿論、血が入っているからと言って、戦争にならないとは断言出来ない。しかし、不安定な情勢を少しでも安定させる為に、ルーカスは打てる手を全て打っておきたかった。
だから、ジェームズがヘンリーに執着を見せた時は、心から喜んだ。王命を下す事なく、またジェームズが愛する人間と結ばれ、更に子が出来ないと来れば、これ以上の策は無い。
それが解るからこそ、テオドールは断固としてヘンリーの嫁入りを拒んでいた。
ルーカスは、王と成るべく育てられたお陰で、人の気持ちに疎い所がある。無意識なのだろうが、人間を盤上の駒として観ている時がある。自分の、思い描くストーリーと成るように、配置し、チャンスを与え、常に利を探す。
王と成るに相応しい資質である。
そして、彼に忠誠を誓い、最後まで味方で居ようと決めたのは、紛れもないテオドール自身だ。しかし、ヘンリーまで舞台に上げられては黙って居られない。ヘンリーにはこれから平穏な道を歩く権利があるのだから。
「…まだ怒ってる?」
薬丸を飲み、見る見る塞がる傷に大騒ぎしていたルーカスが、黙ったままのテオドールの側に来て首を傾げた。
「いや、それよりこのスタンピードについて考えていた」
「誰の仕業かって?」
「…小規模とは云え、これだけ一斉に起きれば『大災害』だ。そして、これが自然発生したとは思えない」
「ああ、魔獣を観察管理している防衛省でも、数年はスタンピードは起きないと云う目測だった。それが突然破られた。裏で誰かがスタンピードを無理矢理起こしたとしか思えないな…それも、これだけ国境をぐるりと囲むように発生させるなんて、いち個人の力じゃない」
「……第二王子の派閥だと思うのか?」
「こんな事をして、ジェームズが解放されると思うかな。それとも、もうこの国ごと滅ぼしてやろうとしてるのかも…」
「自分の利益にしか忖度しない奴らがか?有り得ないな」
「…まあ、どんな意図があるとしても、間違いなく言えるのは、これを起こした人間は常軌を逸してるね」
◇◇◇◇◇
どこの土地も似たようなものだった。
オアシスにいたダニエルは、いつも通り三体程倒すつもりで火魔法を繰り出していた。家族には止められていたが、生まれつき人より魔力の多いダニエルが魔法の練習をしようとすると、相手を傷つけてしまう為、いつも廃村となったオアシスで魔獣を相手に練習するのが常だった。
そして、その日もいつもと変わらなかった。
変わったのは三体目を倒した後だった。
突然、地響きがしたかと思うと、やがて土埃を立てながら数十体の魔獣がこちらに向かって来た。流石のダニエルもこれには腰を抜かした。今までと余りに違う。これが、本気の魔獣なのか。
「ダニエル君!」
その時、腕を掴まれて泉の中に引っ張られた。深く沈みこんだが、お陰で魔獣を凌ぐ事に成功した。
「プハッ」
「大丈夫?なんでここに居るの?!」
同じように泉に浸かったまま、見覚えのある男が問いかけてくる。この男は…そうだ、確か名を――――
「K?」
「ああ、覚えて居てくれたんだね。嬉しいよ、勇者くん」
「”第二王子の事件”は知ってる?」
魔獣をやり過ごし、泉から二人で上がった後、Kはそう聞いてきた。ダニエルとしては、さっきまでオアシスにひとりだったのに、突然現れたKについて聞きたい事は色々あったが、取り敢えず頷く事にした。それ程、第二王子が悪行を働き、幽閉されたという噂は信じられなかった。
ダニエルは第二王子について、良くない噂は幼い頃から聞いていたが、実際に会った第二王子は噂のような人では無かった。
「残念だけど…君が庇おうとしてるのは、人の皮を被った悪魔だよ…。君は”勇者”として、正しい道を進んで欲しいんだ」
そう言って語り出したKの話は、余りに信じ難いものだったが、実際、第二王子は地下牢に入れられている。『真実』と思って良いだろう。人は沢山の側面を持っているものだ。とても残念だが…。
Kの話は、それだけでは終わらなかった。
なんと、第二王子が魔獣達をけしかけ、この国を滅ぼそうとしているらしい。今の魔獣達もその一端なのだろう、もしあの規模で押しかけられたら、小さな村なんてあっという間に吹き飛んでしまう。
もう一刻の猶予もない、自分に何が出来るかは分からないが、一体でも多くの魔獣を止めなくては、と立ち上がったダニエルにKは、スラリとした剣を渡した。
アデルバード王国は、魔法使いの国だ。
よって戦う時も魔法の詠唱によって、技を繰り出すものだ。武器などを使うのは魔力の無い者達だけで、詠唱の邪魔になる武器を持ちたがる魔法使いは居ない。
しかし、Kが渡して来た刀剣は呪文がビッシリと書き込まれており、良く魔力が通る。詠唱しながら振りかざせば、今まで以上の力を出せるかも知れない。
何より、本気の魔獣を初めて見たダニエルとって、縋る物が有るのは有難かった。
各地の魔獣を倒し、王城に幽閉されている第二王子を倒す事を誓い、ダニエルとKは行動を共にする事にした。




