開幕
◆プロローグ◆
「ふう」
ため息をついて読んでいた歴史書から、視線を外に向ける。
僕の名前は、ノア・アードルフ。このアデルバート王国の中でも三大公爵と呼び声が高い、アードルフ公爵家の三男だ。公爵家は王家と親戚で、嫁に出したり嫁を貰ったりして由緒ある血筋を保っている。そのせいか、公爵家の人間は他の貴族や庶民よりも、祝福と呼ばれる特殊魔法が使える者が多い。
昔はもっと沢山の人間が魔法を使えて、それこそスラムにいる親のいない子も、強い魔法を使って生計を立てて居たらしい。
でも、それも ずっと昔の話。
今の人間には魔法を使う為の魔肝が無くて、あったとしても 凄く小さくて 魔法を使えば倒れてしまう。魔法学が廃れた要因は、練金学が台頭して来たからだと云う学者がいる。
錬金学は、物質と物質を掛け合わせて便利な機械を作る学問だ。魔肝の有る無しや強さなんて関係なく、その機械を使えば遠くにいる人と話したり、写真を撮ったり出来る。機械の品質によって出来る事は異なるし、勿論、値段は高いけど。
錬金学が発達して、世界は変わった。
僕は読んでいたこの国の歴史書に、また目を戻した。
この王国を築いた《女神・アレクシス》。豊かな大地と神聖なる水に恵まれた アデルバート王国。しかし、豊かな国は度々、近くの国に狙われた。
中でも千年近く前に大きな戦と魔獣暴走が重なり、国が滅びそうな程の被害を受け、当時の王様はその身と引き換えに何とか国を守った。
王国にいくつもある歴史書には、要約すると そういう事が書かれている。
でも、僕が図書室の棚を漁っている時に見つけた歴史書は、どちらかと言うと歴史書と云うよりも自伝小説に近い。誰が書いたのか署名は無かったけど、その古さから見ても、書いてある内容についても、千年前の人が書いた物かも知れない。
凄く強い保管魔法が掛けられていたから、もしかしたら、普通の人にはその存在すら気付かないかも。
僕はアードルフ公爵家の中でも、祝福持ちで舌に華印と呼ばれる痣がある。
華印は、それぞれの特殊魔法によって痣の形も、出る場所も異なる。
月魔法はツバキ、火魔法はアイリス、水魔法はオリーブ、木魔法はディモルフォロカ、土魔法はスミレ、そして、超珍しい 光魔法はスイレン、闇魔法はバラ だ。
そして、僕の祝福は 超珍しい闇魔法。
バラの華印を持って産まれた。闇魔法は全ての魔法を無力化出来る。だからこそ、この歴史書にも気がつけたし、読む事も出来た。
でもね、でもね、いくら超珍しいと言っても、現代に置いて、そもそも魔法が無く、魔法を無力化出来るからって何?て感じ。折角 授かるなら、もっとカッコよくて役に立つ祝福が良かったなぁー。
そして、中程まで読んだ歴史書…小説?から目を離して、読まなければ良かったかなって後悔し始めていた。
だってなんだか、救いが無いのだ。結局 みんな死んじゃう。
史実と云われたら、そうなのかも知れない。現実はいつだって非情だ。
「はぁ」
またため息をついて、ページを捲ろうしたら、次のページが真っ白だった。え?まだ半分もあるのに?こんな唐突に書くの止めたって事?
そう思ってよくよく見てみると、ページに閲覧禁止魔法がかかっている。なるほど、だからページが真っ白だったんだ!でも僕は祝福、それもバラ印持ち。こんな魔法 あっという間に解除出来るよ。
そして読み進めた結果、やっぱり読まなけれ良かったって、凄く凄く後悔する羽目になったんだ。
◇◇◇◇◇
「ヘンリー!あぁ、ヘンリー!しっかりして!」
暗くて良く見えない。身体中痛いし、全然動けない。
近くに同じように倒れている女の人が、一生懸命、僕に呼び掛けてる。うまく答えられないうちに、その人の声は段々、弱々しくなってやがて聞こえなくなった。なんだか とても悲しい。涙がいっぱい出て来て、何もみえなくなった。
◇◇◇◇◇
「うぁっ」
パッて電気がつくように意識が戻った。やっぱり全身がめちゃくちゃ痛い。どうして?ちっとも動かせないし、熱もあるみたいだ。目だけ動かして周りを見ると、全然知らない部屋だった。
でも豪華さと言うよりは気品を感じる部屋、伯爵…子爵家くらいかな?て思う。公爵家の僕の部屋は、もっと広くてアホみたいに豪華だから。いや、別に僕がそうした訳じゃないよ!産まれた時からそうだったんだから!貴族…特に公爵家なんて見栄の張り方が半端ないんだよ。そんな事言うと またお父様に怒られると思うけど…。
ところでここはどこだろう?
えーと、僕は何をしてたっけ?
「お坊っちゃま!目を覚まされたんですね!」
ぼんやり考えてると部屋にメイドらしき女の人が入って来た。目が真っ赤で憔悴してる。
「大丈夫ですか?今すぐ、旦那様をお呼びしてきます!」
そう言うと、パッと身を翻して出て行ってしまった。
旦那様?この家の主人かな? ちゃんと説明して迎えを呼んで貰わなくちゃ。
そうだ!確か僕、家の奥にある図書室で、歴史書を読んでたんじゃ無かったっけ?来週、学校でテストがあるからその勉強を……
「ヘンリー!!」
ふかふかのベッドに寝たまま、一生懸命思い出そうとしていると、やや乱暴な勢いで扉が開いて、壮年の男性が入って来た。
「あぁ、良かった…気がついたんだね。もう1週間も意識が無かったんだよ」
壮年の男性は立派な衣装を着ているけど、その顔は悲壮感に満ちていて、酷い顔色だ。貴方の方が大丈夫ですか?
「失礼します」
コンコンとノックが聞こえて、開いたままの扉から二人の子供がやって来た。兄弟かな?まだ少年だろうけど、イケメンだねぇー。
「ヘンリー、大丈夫かい?」
二人の子供は壮年の男性の傍から、僕に話しかけている。え?僕に?
「あのあの…」
びっくりして声を出そうとしたら、やたら幼い声が響いた。え?今のって僕の声? 子供達と壮年の男性、わらわらとやって来たメイド達も、おおお…と言って口元を押さえている。
ちょっと待って、何がなんだか分からない!
「ヘンリー、気分はどう?無理しないで、ゆっくり休むんだよ」
「凄く心配したよ、ヘンリー」
「ヘンリーは目を覚ましたばかりだ。ヤイヤイ言ったら混乱するだろう、しばらくそっとしておこう」
そう言って、メイドを一人残してみんな退室してくれた。あの人の言う通り、凄く混乱してるからそれはとても助かる。
ええーっと… ちょっと、どういう事?
◇◇◇◇◇
僕の名前は、ノア・アードルフだった。
どうやら『あの』歴史書のせいで過去?に飛んでしまったらしい。らしいって云うのは、僕の推理で 誰かに教えて貰った訳じゃないから、断言は出来ないって事!
それで…今の僕の名前は、ヘンリー・ディラン。四歳。伯爵家の三男です。
マズイ…これは、とってもマズイですよ…。
何がマズイって、僕が読んだ歴史書の中で、『ヘンリー・ディラン』は所謂、悪役令息で、敵対した義兄弟たちを暗殺して伯爵家の当主となり、暴君として国を傾ける『ジェームズ・オン・アデルバート』の片腕になるんだよね。しかも、途中で裏切られて斬り捨てられるはずなんだ。ああ、恐ろしい…。
でも、あの歴史書を見るかぎり、第二王子ジェームズ・オン・アデルバートの生い立ちが可哀想で、同情の余地もあるんだよなぁー。でも、暴君は良くないよね。
そうだ!出来るだけ、ひっそりと暮らそう。僕は三男だし、当主なんか目指さず、辺境にでも土地を買ってさ。
いやいや、一番は元の場所に戻れる事だけどね!
だけど、時戻りの魔法は、魔法の中でも禁忌の分類だし、発動したとて何処に飛ばされるかも分からない。僕は元々、公爵家の三男だったから 何処かに土地を買って暮らそうと思ってたし。
まあ、戻れるって言われれば、迷うこと無く戻りますけども。
ベッドの上でようやく背を起こせるようになって、ふかふかのクッションに背中を預けたまま、ぼーっとしている僕。目が覚めてから6週間。現代とは暦さえ違うこの世界に呆然としっぱなしだ。12ヶ月365日だったのに、ここでは春節、夏節、秋節、冬節の4ヶ月で、1節は100日。およそ3ヶ月ちょっと。1週間は10日で、それが10回。
現代換算すれば、もう2ヶ月くらい寝て過ごした事になる。それくらい僕の怪我は深刻だった。現代だったら間違いなく病院で入院、もしかしたら手術も有り得たかも知れない。
しかしこの世界には病院は無い。
みんな怪我や病気になると、教会で祝福持ちの人に木魔法をかけてもらって、癒してもらう。それだけ。
だから寿命も凄く短い。現代なら200歳から250歳くらい生きるのに対して、ここの人の寿命はたったの百年程度。厳しい世界なんだね〜。戦争もあるしね〜。現代には居ないけど、ここには魔物も居るんだもんね〜。そりゃ短命にもなるか。
「お坊ちゃま、薬湯の時間でございます」
ぼーっとしてると、お付きのメイドが緑色のお茶を持ってくる。見た目は抹茶みたいなんだけど、凄く苦い。凄ーく苦い。なのに、これを1日1回飲まないといけない…。
飲まないといけないのは、良く分かってるんだけど。ここまで元気になれたのは、間違いなくその薬湯のお陰なんだけど。でも、本当に苦いんだよ。無意識にお口がにゅっと、とんがってしまう。
「お坊ちゃま、そんなお顔をされても可愛いだけですよ。さっ お口を開けてくださいまし。」
「………」
毅然とした顔で咎めるメイド。お口が にゅっとしてるせいで答えられない僕。
メイドも、無理やり口をこじ開けようとはせず、ひたすら僕が口を開けるのを待っている。それでもお口を開ける事は出来ない…。
「ヘンリー、薬はちゃんと飲まないと体に悪いよ。」
そこへ勝手に部屋のドアを開けて現れたのは、このディラン伯爵家の嫡男、義兄のテオドール・ディラン。まだ13歳なのにしっかり筋肉を纏い、当主教育に忙しい。事故に遭う前はほとんど顔を合わせたことも無い。
それが 僕が目覚めてからは、こうやって ちょくちょく様子を見に来てくれる。
「テオにぃさま…」
「ほら、俺が飲ませてやろう。口を開けなさい」
言い方はぶっきらぼうだけど、その顔は心配そうに歪んでいる。そんな顔しててもイケメンはカッコイイなぁーと思ったら、自然に口が開いてしまったらしい。
すかさずスプーンを口に入れられる。うう、苦い…!
「ほら、ヘンリー。まだだ、口を開けて」
「ううーっ」
「キチンと一杯飲めたら、スイーツも食べさせてやるから」
「すいーつ…?」
「そう、イチゴのゼリーだ。好物だろう?」
この世界では甘味が貴重だ。砂糖が なかなか採れないからかも知れない。王家や公爵家ならいざ知らず、伯爵家では 日常的に食べるものでは無い。
スイーツと言えば蜂蜜を使ったドーナツが主流。蜂は養蜂をしてるので、砂糖代わりに使ってるみたい。
「わっ、ほ、ほんとうですか…?」
「ああ、勿論。ほら、ちゃんと用意してある。だから、口を開けなさい」
テオ兄様は傍に控えたメイドに目配せをすると、甘い匂いのする容器を持ってこさせた。ゼリーだ!!!
貴重なデザートの中でも、プルプルのゼリーは作るのが大変なのに、薬を飲んだ後に 高確率で出して貰えている。有難い。こんなに大切にされていると思うのに、ヘンリーは母を殺されたと逆恨みしていた。
これは、僕が歴史書を読んだから知っているんだけど、ヘンリーの母親は三大公爵家の娘で、身分違いの男の 子供を身篭ってしまった為、世間体の為に、断れない伯爵家に押し付けられる様に嫁いで来た。
だから、ヘンリーはディラン家の誰とも血が繋がって無い。大元を辿れば貴族なんて皆、親戚なんだろうけどね!
しかし母親は迷惑を掛けている自覚があるから、ディラン家とはあまり交流してなくて、冷えた夫婦仲を社交界では 面白可笑しく云う連中も多い。
腹の大きな花嫁が嫁いで来た訳だから、距離の取り方に躊躇してただけかも知れないけど、みんなのよそよそしい態度にヘンリーは傷ついていた。
そして、唯一の母親を馬車の事故で亡くし、あれは面倒事を始末する為の暗殺なんじゃないかと云う噂話を信じてしまったヘンリーは復讐に燃える。
そこからは…まさに『悪役令息』て感じだったよね…。
でも、ヘンリーは母親としか交流してなかったし、その母親が居なくなってしまったら、そりゃ控えめに言っても地獄だよね…。家族だと思ってたのに、血が繋がってないと知った時のヘンリーも凄かったなぁ…。
「ヘンリー。良く出来た。ほら、今度はゼリーだ、口を開けなさい」
時間をかけて顔を顰めながら、ちょっとずつ薬湯を飲んでた僕に、テオ兄様が ほっとした顔をしながら、ゼリーをスプーンで掬ってくれる。
「あぅっ」
苦味から解放されたい僕は、大慌てで口を開ける。
少し笑いながら、今度は甘いゼリーを口に入れてくれるテオ兄様。お世話おかけします。
僕の口は小さくて、薬湯を飲むのも、ゼリーを食べるのも、凄く時間がかかるのに、急かすことも誰かに代わりをさせることも無く、ひたすらスプーンを僕のお口に運んでくれる。不思議。テオ兄様、勉強や剣の鍛錬でめっちゃ忙しい筈なのに。
全部食べ終わると口元を拭いてくれて、頭を撫でてくれる。ぎこち無い動きで、慣れてない感が凄い。そりゃそうだ、今までほとんど会った事もないもんね!だから、テオ兄様の手に頭をグイグイ押し付けて、ありがとうございますって意思表示をしてみる。そうすると、テオ兄様の顔が緩むからだ。
テオ兄様も、決して甘やかされて育った訳ではない。それどころか、嫡男、次の伯爵家当主として小さい頃から勉強勉強で、”頑張って当然・出来て当然”の人生を歩んで来たのだ。涙を禁じ得ない。
この人なりの歩み寄りを、ヘンリーは全部突っ撥ねて逆恨みする。悲しいすれ違いに あぁ、涙を禁じ得ない…。
兄弟は仲良しが一番。甘え甘えられ、支え支えられ、家内安全が一番!!!
そして、ふと思う。
そう言えば本物のヘンリーは何処へ行ってしまったんだろう。
僕がこっちに来たって事は、代わりにヘンリーは、未来の世界の、ノア・アードルフになってるのかな?
あっちの兄様達は、こっちの兄様達より わかり易く優しいと思うから、甘えられてると良いんだけど…。
「ヘンリー、体の具合はどうだい?」
テオ兄様にコネコネと頭を撫でてもらってる時に、今度は次男のウィリアム・ディラン 9歳が部屋に入って来た。
「ティムにぃさま…」
中身は18歳なんですけど、4歳のヘンリーのお口は 僕の思った通りに動かない。怪我のせいか、それとも幼児だからかな?ウィリアムって言えなくて、ティムになっちゃうんだよ。テオドール兄様も『テオ』になっちゃうし、まぁ、愛称で呼ぶのは 家族の特権でしょ。
「ウィリアム、勉強は終わったのか?」
テオ兄様がティム兄様に向ける目は、とっても優しい。長男として無表情になりがちなテオ兄様にとって、ティム兄様の存在は特別だ。溺愛って言ってもいいと思う。
一緒に育つに連れて、ヘンリーには向けない愛情が、ティム兄様だけに注がれるのを見て、より拗らせてしまったのかもなぁ。悲しみ。
でもそれは、ティム兄様を産む時に、前妻のジュリア様が亡くなられたからだと思う。自分が産まれたせいで母親が死んでしまったと暗くなりがちなティム兄様を励ます為なんだ。
でもヘンリーは、そんな事 知らなかったからさー。
「はい。今日の勉強は終わりました。先程、家庭教師が帰るのを見送りました」
「そうか」
ハキハキ答えるティム兄様。そして微笑むテオ兄様。あー兄弟愛…。
この世界にはまだ学校がないみたい。基本的なマナーや勉強は、専門の家庭教師を雇って、自宅で勉強する。
だから、家庭教師の値段とかで質も変わるし、教わる内容にもバラツキが出る。高位貴族にもなると、専属の家庭教師を何人も家に住まわせてたりとかして、下級貴族の子は教わる事すら出来なかったりする。
能力に差が出る原因だよね!
今思うと、一律で基礎から教われる学校って、良いシステムだったんだなぁ。
短命なせいかな?テオ兄様もティム兄様も、凄くしっかりしてる。未来の世界の10歳頃なんて、赤ちゃんと変わらないよ。あの頃の僕なんて、庭の芝生に いかに素早く転がる事が出来るかって言う遊びしか してなかった。
「ヘンリー、ちゃんと薬を飲めたんだね。偉いね」
そう褒めてくれるティム兄様。でも心の距離があるから、頭を撫でたりはしない。たしか、もう ヘンリーの事情を知ってるから、どう接するべきか迷ってるんだよね。
「はぃ」
だから、渾身の笑顔を向けて返事をする。本当は ”ありがとうございます”って言いたいんだけど、まだ 無理なんだよね。せめて顔だけでも…!敵意が無い事を伝えねば…!
そうして、兄様達と少しずつ交流をしながら 療養して更に2週間。そろそろ春節が終わろうかという頃。
なんと、遂に『あの方』がお見舞いやって来ました。
「ヘンリー。具合はどうだ?」
4人掛けのソファの真ん中に、ちょこんとお座りして そう聞いてきたのは、問題の暴君『ジェームズ・オン・アデルバート』第二王子殿下だ。
まあまだ、10歳の子供なんだけど。王子殿下が自宅に見舞いに来るって凄いよね?公爵家ならいざ知らず、ここは伯爵家だよ?こんな子供の頃から接点あったんだ?
「はぃっ」
取り敢えず、心持ち大きな声で返事をする。まだ距離感が掴めない。すると傍にいた侍女が補足してくれた。
「第二王子殿下、お話中に言葉をかける非礼をお許しください。ヘンリーお坊ちゃまは、事故の影響で、長文を話す事が出来ないのです。そして今のは『第二王子殿下、ご心配痛み入ります。貴方様に心配されるとは無上の喜びです。ありがとうございます。』と言っておられます。」
そこまで言って無いけど…まあ良いか。侍女のレイラは凄く気が利くし、きっとそれが正解なんだろう。だって、ジェームズ殿下が 怪訝な顔もしないで、凄く心配してくれたから。
そして、すっと立ち上がって、向かいのソファに座る僕の隣に移動して来た。これはちょっとびっくり。お付きの人も目を大きくしてる。そして、なんと更に人払いまでした。
えっ なになに? いっぱい喋れないって今、レイラから 聞いたよね? 暴君、怖っ
「ヘンリー…。可哀想に。きっとお前達の馬車が襲われたのは、ディラン家のせいだろう」
突然、飛んでもない事を言い出した。え!何 言ってんの?!
「いつか、こんな日が来るんじゃないかと心配していたんだ。ああ、予感が的中してしまった…。お前とエイダン夫人を救えなくてすまない…」
えっ えっ!! ヘンリーが復讐を誓う事になった、噂話って、暴君が言ってたの?! そりゃ、第二王子殿下自らそんな話したら、幼児のヘンリーなんて簡単に信じちゃうでしょ!何やってんの?!
予想外の展開にびっくりが止まらない僕。暴君は、今の話を聞いて驚いてると思ってる。いや、まさしくソレで驚いてんだけど!
「大丈夫だ、ヘンリー。お前は僕が守るからな。」
「でも…」
思わず口を開くと、暴君が更にぶっ込んでくる。
「こんな事を言うのは辛いが…お前は、ディラン伯爵の子供では無い。しかし、エイダン夫人の子供である事は間違い無い。エイダン夫人は元オーブリー公爵の娘で、僕のお母様の妹君だ。だから、僕にはお前を護る義務がある。」
あれ?その話って、ヘンリーは別の人間から聞いたような…、たしか、もうちょい大きくなってからだったような…。
もしかして、ヘンリーの中身が入れ替わっちゃったから、歴史書通りに進まないって事?
勿論、悪役令息になる気なんか無いから、歴史が変わるのは大歓迎だけど、それって”良い方”なのかな?
「あぅあぅ…」
お口をパクパクして焦っていると、暴君がニッコリと笑った。
王家の人間は銀髪に青い瞳が特徴的だけど、ジェームズ殿下は産まれた時から魔力が膨大で、その影響が外見に出ていた。濡れた様な黒髪に、青色を煮詰めたような紫色の瞳。整った顔に、更に凄みを与えている。
度々起こる魔力暴走でのせいで敬遠されているのは確かだけど、この顔面偏差値の高い顔のせいも多いにあると思う。歴史書に挿絵は無かったから、間近で見る高位イケメン、半端ない…。これがイケメンの力…。
暴君は孤独だ。第二王子殿下と云う肩書きも、周りの期待と畏怖も、母親ですら滅多に会うこともないらしい。
誰にも心を許せる人が居ない中、幼なじみの女の子 アシェル・アードルフに恋をする。
そう!未来の世界の僕、ノア・アードルフの御先祖様だね!
アードルフ公爵家の娘、アシェルも祝福持ちで、しかも貴重な ”木魔法” の使い手!木魔法は癒しの魔法で、幼い頃から沢山の人を治癒して、もう『聖女様』なんて呼ばれてる。まだ11歳なんだけどね。暴君も癒されちゃったクチなんだろうね〜。
でもでもでも…アシェルは第一王子殿下の婚約者になる予定なんだよ…。それで、暴君が拗らせて拗らせて、大暴君が完成すると云う…。悲しみ。
言いたい事だけ言うと、暴君はすんなり帰って行った。
果物とかスイーツとかいっぱい持って来てくれたみたいで、それは有難いけど。
暴君はディラン家が ワザと僕達を襲わせたと思ってるんだな〜。まあまだ10歳だし、周りに色々言われて思想も偏っちゃうのかもな〜。
この事件、実はディラン家は全然関係なくて、本当に事故だったんだよね。
この世界はまだ馬車しかないし、馬車ってのは生きてる馬が引いてるわけだから、悪路で足をとられて転倒…とかも、残念だけど割と良くある事なんだよ。
そしてあの日は大雨が降ったのと、近くの野犬に遭遇して 回避しようと馬を速く走らせたのが原因で馬車が転倒…落ちた場所も悪かった。道もまだ整備されてない所が多いし…。
完全に事故だったにも関わらず、暗殺説が流れて、ヘンリーはディラン家を逆恨みして、悪役令息街道 爆進。
暗殺説もさ、それを鵜呑みにしちゃうような家族関係だったから余計なんだよね。
でも今ヘンリーなのは僕だし、何とか平和に暮らしたいよね…。
「お前は俺が護る」宣言の後、暴君ジェームズ第二王子殿下は、ちょくちょくディラン伯爵家に来るようになった。
母親同士が姉妹と言っても、王子殿下が伯爵家に入り浸るのは、政治的にも宜しくない。ディラン家はそれで野心が燃え上がるタイプじゃないのだ。ハッキリ言うと普通に迷惑。
「ヘンリー、今日はモモを持って来た。滋養に良いそうだ」
毎週、当たり前のように僕の部屋に入ってきて、一緒にお茶して帰る。珍しい果物とか持って来てくれるのは嬉しいけど、義父がお返しに困るから、控えて欲しい。
でも、歴史書を読んだ身としては、暴君殿下の境遇とか孤独とかが分かるから無下にも出来ない。いやそもそも、身分差があり過ぎて否応も無い。母親は公爵家の娘だけど、父親は確か、詩人だったはず…。
今どうしてるのとかも分からない。歴史書には無かったから。
テーブルには綺麗に切られた瑞々しいフルーツ。4人掛けソファの真ん中に、僕と暴君殿下。
にこにこしながら、モモを刺したフォークを僕の口の前に持ってくる。
「ほら、口を開けよ」
「あ…」
僕の口の中に甘いモモの味が広がる。美味しい〜!
モチモチお口を動かしてると、また小さく切ったモモをフォークで刺して、口を開けろと言ってくる。
暴君殿下にこんな世話させちゃって、僕大丈夫?不敬罪にならない?
でも勝手にやってる事だしなぁ〜。これで叱られても困るんですけど!
「体の具合はどうだ?歩けるようになったか?」
フルフルと顔を振って返事する僕。まだいっぱい喋れ無いんだよね。それどころか、今後も事故の後遺症で走る事はおろか、歩く事も出来ないだろうって言われてる。
最初は腕も上げられなかったけど、今はアチコチ動かせるようになったから、そのうち歩けるようになるんじゃないかなって思っては居る。まだ若いし。
「…そうか。いや、大丈夫だ。安心しろ。お前が歩けなくとも俺が世話をしてやる。何も心配は要らないぞ」
暴君殿下は自分が歩けないと宣告されたみたいな顔で、そんな事を言う。僕を元気づけてくれてるんだろうな…。
思い込みが激しいとこはたまに傷だけど、結構良い人なんだよね。悪役令息回避の為、暴君殿下には近寄らないつもりだったけど、既にガッツリ関わってるし、このまま暴君になるのを黙って見てるのは良くない。
この先の未来がどうなるのか分からないけど、暴君からガキ大将くらいに収まるように、見守って行きたい。
そうすれば、スタンピードが起きた時に皆で力を合わせて乗り越えられるかも知れないし!あの歴史書の悲惨な運命を少しでも変えられるように頑張ろう!
そう決意した僕は、未来の世界で白紙のページを読んだ事をすっかり忘れていた。時空を超えたせいかも知れないし、大事故にあって生死の境をさまよったせいかも知れない。どちらにせよ、白紙のページを思い出すのは、もっとずっと先の事だった。
◇◇◇◇◇
「第二王子殿下には、キチンとお断りしておいたからね」
あくる日の夕刻。仕事であまり屋敷に居ない義父が唐突にそう言った。
ここはいつも通り僕の部屋で、向かいのソファには義父、僕の両脇にはそれぞれ義兄達が座っている。事態が飲み込めず、キョトンとする僕。何の話?
「ヘンリーが第二王子殿下と懇意なのはわかっているよ。エイダンが第二王子殿下の母上と姉妹なのも、確かに事実だ。しかしね、だからと言ってヘンリーを王家に嫁がせる気は無いんだよ」
王家に嫁がせる?! ちょっと待って!本当に何の話???
「ヘンリーは、俺達の弟だ。ヘンリーが不自由な体だとしても、それがなんだと言うんだ。ヘンリーはずっとこの屋敷に居れば良い」
右隣のテオ兄様がキレ気味に言う。
「第二王子殿下はヘンリーの従兄弟だから親身になっているつもりなんでしょう。でも、何でも過ぎれば毒になります」
左隣のティム兄様も、言葉使いこそ丁寧だが、辛辣過ぎる。不敬罪待ったナシ!!!
と言うか、嫁って何?!僕は男なんですけど!!確かに男同士で婚姻を結ぶ事も、まあ あるけどさー!政治的な要因とかでさ〜、でも、まだ4歳だよ!色々 ツッコミが追いつかないよ〜!
いや、でも待てよ、なるほど…、そう言えばこの前来た時に、『俺が一生世話する』的な事を言ってたな…。どう伝わったのか謎だけど、結果としてディラン伯爵家が 全員激おこプンプン丸なんですけど。
でも、こんな風に手放すのを拒んでくれるとは思わなかった。正直、不自由な体ではお荷物になるくらいしか出来ないし、事故前の 交流がほとんど無い家族関係だったら、すんなり売り渡されてた可能性すらある。『それがあの子の為になる』とか言って…。
良かった…、媚びと言われたら媚びなんだけど、媚び売りまくって可愛がられるなら大成功でしょ。
この世界の貴族は お家の為の政略結婚が当たり前だから、家族関係も、未来の世界の僕とは価値観が違うと思うけど、やっぱり家族の仲が良いに越したことはないよね!
でもまあ、暴君殿下のやる事は突飛だけど、あれも一応、暴君殿下なりの優しさなんじゃないかな…。だって暴君殿下はディラン伯爵家が僕を殺そうとしてると疑ってる訳だから。こんな危険な場所に不自由な体で逃げられもしないとなれば、自分の保護下に置いて置こうと思うのかも。どうしてそこまで僕に肩入れしてくれてるのかは、分かんないんだけど。
でも、義父も断ってくれたらしいし!あれ、でも待てよ、王子殿下の命令?を断って、ディラン伯爵家は大丈夫なのかな?お咎めない?
キョロキョロしっぱなしの僕に、ティム兄様が優しく言う。
「大丈夫だよ、ヘンリーは怪我を治す事だけ考えようね。後のことは、お父様がちゃんとしてくれるからね」
「…ぁい」
取り敢えず 頷いておくか!面倒おかけしますが、宜しくお願いしますよ!義父!