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第8話 楽しい時間は終わりだな

 耳元で何かが転がる音がしてリズは目を開けた。

 体を動かすと瓦礫の欠片がころころと散らばる。


「……二人とも、無事……?」


 傍にいたはずの二人がいない。視線をめぐらせて、リズは体を強張らせる。

 誰かが、立っている。


「……誰」


 キッチンの勝手口からの光が逆行になっていて、顔が分からない。

 土煙が舞い上がっていてよく見えなかったが、背格好はルイにもノエルにも似ていない。店の方にいた父親にもだ。そもそも男か女かも判然としなかった。


「楽しい時間は終わりだな」

「……え?」


 相手の独白らしき言葉の意図するところがリズには全く分からなかった。


 ちらと髪がゆれ、肩越しの視線がリズを射抜く。

 刺さるような冷たい眼差しにリズは息を呑んだ。


「可哀そうに」


 恐ろしい冷気を含んだ声が響き、びくりと体を震わせたリズは反射的に目を閉じる。


「…………」


 次に目を開けた時、その姿は初めからなかったかのように消え失せていた。


「…………な、に?」

「う……」

「あっ、ノエル!?」


 小さなうめき声に反応してリズは体を起こし、後ろを振り返る。

 ノエルがいた。


「ノエル! 大丈夫!?」

「あぁ、なんとか」

「ルイは……!?」

「……うー、ここ……」


 近くからルイの声があがった。

 変な声色でないことに安心したリズは、ひとまずほっとして立ち上がる。

 床は物がひどく散乱しており、足の踏み場はほぼなかった。

 仕方が無いのでとりあえず床に散らばったものをそのまま踏みつける。


「……なに、これ」


 辺りを見回して呆然とリズは呟く。

 家の中は、爆発でもあったのかというくらいぐしゃぐしゃだった。物は落ち、割れ、散乱し、家具の類は全てバラバラに倒れて中身をぶちまけている。

 天井の一部が斜めに落ちていて、下敷きにならなかったことが奇跡のような有様であった。


「……これ、何」


 見慣れたはずのキッチンが、どこか全く別の知らない場所のように感じられ、リズは呆然と呟く。

 こんなにもあっけなく突然に、日常が無くなってしまうことが、リズには信じられなかった。

 一週間、一ヶ月、半年……いくらなんでも一年たてば日常は戻っているだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていた時だった。


「リズ! ノエルが怪我っ」


 リズははっと息をのんで後ろを振り返った。



   ***



 どれくらい、意識を飛ばしていたのだろうか。

 ふと気が付くと、ノエルが腕を押さえているのが目に飛び込んできた。

 その指の隙間から、赤い血が流れ落ちている。


「リズ! ノエルが怪我っ」


 おれはそう叫びながらノエルの傍に駆け寄った。


「ノエル! 大丈夫!?」


 立ち上がって部屋を見渡していたリズも、慌てて駆け寄ってくる。


「気をつけろ。その包丁みたいだ……」


 ノエルは痛みに顔をしかめながら床に落ちている包丁に視線をやった。

 さっきチョコを刻むのに使っていた包丁だ。血がついている。


「ごめん、あたしたちを庇ったから……!」

「んなこと気にしてんな……」


 ノエルは自分で傷口の様子を確かめ、傷口をもう一度手のひらで押さえつけると呪文を唱え始めた。


「お、おれ、ノエルが医療魔法強くてほんとに良かったって今思った……」


 おれは震えそうになるのを必死で堪えながら呟いた。

 リズも涙目になりながらこくこくと頷く。


「本当……、あたしたちじゃ、こういうとき役にたたない……」

「馬鹿、泣くなよ……」


 ひとまず応急処置を終えたノエルは血のついてないほうの手でリズの頭をくしゃっとなでた。


「もう治したの?」

「傷口塞いだだけだ。この状況じゃ、魔力は温存したい」

「…………お、お父さん!」


 他にも怪我人がいるかもしれない、というノエルの言葉の意図に気付いたリズは声をあげる。

 エリックさんが店の方にいたはずだ。


「お父さん! 大丈夫!?」


 家具や瓦礫を避けながら進むリズをおれも追いかける。

 だが、ぱっとノエルに腕を掴まれた。


「お前、具合はっ?」

「えっ? ……あ、あぁ……、あれ、大丈夫……」


 そういえば、さっきまで、おれは調子が悪かったはずだ。

 でも今は何ともない。


「そうか……、でもまた具合が悪くなったらすぐ言えよ。……行くぞ」


 よく分からないが、今のこの状況ではうんうん悩んでいる時間もない。

 立ち上がったノエルと共におれはリズの後を追った。



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