第86話 気に入らないな
人に宿した精霊との混じり子であるルイと違い、スティアは実体化した魔族との混じり子である。
そのため、ルイが力を解放しなければできないことが、スティアには何の準備もなしに行うことができた。
術車で一日二日程度の距離を移動することなど、数時間もあれば可能だった。
さらに言うなら実体を解くなら移動は一瞬である。
物理的な存在が失われるのだから、物質世界での距離などあってないに等しい。
しかし、精神体から再び実体化する為には大量の魔力を必要とする為、スティアは体を保ったまま、直接その距離を移動した。
「……精霊との契約、ね」
街の出入り口にある大型術車が停められている広場の一角。
古びた二階建ての建物の屋根の上に腰掛けながら、膝に頬杖をつきながらスティアはそう呟いた。
距離についての制限が常人とは違うスティアにとって、視界に収まる範囲の会話を聞くことは造作もないことである。
たとえそれが、締め切られた術車の中の会話でもだ。
「人間たちは悪あがきが好きだな」
空からの僅かな光しかないここでは、屋根に座っている人物の姿は小さな影にしか見えない。視線がそれを捉えたとしても、そこに違和感を感じる人間はそう多くないだろう。
それ以前に人通りも少ない。
活気ある人の気配は町の中心付近に集中している。
「………………」
スティアは明かりの多い町の中心部へ視線を向けた。
(アスカの気配は、向こうの方だ。ここにアスカがいれば、気付かれずにこの距離までは来れない)
生身への依存が大きいとはいえ、精神体である精霊との混じり子であるルイは、ある程度の距離ならばスティアの気配を捉えることができる。
今のスティアは本体でないが、生身を維持できるくらいの力をもっており、術車にルイがいたならばこの距離まで気付かれずに近づくことは不可能である。
(……で、ここにある力は何だ?)
生身の人間が十人弱はいるのではないかというような魔力の圧が、荷台の中から感じられ、スティアは首をひねった。
(いや、現代人の魔力で考えれば、三十人は下らないな……)
そんな人数が詰め込まれているわけもない。
そもそも、それ自体に人の気配というものがないのだ。
「……都のあちこちにもあったのと同じものか?」
ミッドガルドでは、生き物を核とするはずの魔力がその原則を外れてそこら中に流れ、溜まっていたことをスティアは思い出す。
魔法エネルギーという現代の発明だと結論付けてからは、面白いとは思いつつも、大して警戒はしていなかったものである。
魔力溜まりも流れの動線も決まった位置から動かなかったためだ。
「なるほど。いざとなれば動かせる類のものだったのか。人間も数百年経てば本当に面白いことを考える」
スティアは口の端をあげて笑う。
普通の人間は、どれだけ魔力を使おうが、一日で己の許容量限界まで回復をする。
しかし、スティアやルイのような混じり子は、許容量限界の桁が違う。普通の人間よりも一日の魔力の回復量は多いが、それでも、完全に消耗した状態から限界まで回復しようとすると十日以上はかかってしまうのだ。
決着の日に、どれだけ許容量限界ぎりぎりまで魔力を回復、温存させられるかで、戦いの結果は大きく違ってくる。
(その許容量の足し、か)
放置すれば、最後の最後で決定打になってしまう可能性は大いに有りうる。
「気に入らないな」
スティアは言葉とは裏腹に、少し楽しげな様子で立ち上がった。
今ここで、目の前の忌々しいからくりを壊すことは可能である。
ルイはこの場におらず、見張りの修道士二人などスティアには問題ではない。
だが、ただ今ここでからくりを壊して終わりでは面白くないと思った。
「そうだな……。では、暇つぶしの余興といこうじゃないか」
スティアの影は屋根から消えていた。




