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第85話 私はいつも冷静でしょう?

 サラが返す言葉を見失い、場に沈黙が降りた。

 しんとした車内に、静かな衣擦れの音が響く。


 シオが運転席に顔を出したが、サラは俯いたままだった。


「俺の家系は精霊降ろしの血筋だ。契約している者の見分け方も知っている」

「…………」

「方法が見つからなければお前、それを使うつもりだったろう?」

「………………」


 サラは否定も肯定もせず、ただ沈黙を続けている。

 だがシオにとってそれは、肯定も同然だった。


「それなのに、ルイのことはただの仲間だって言うのか?」

「……私、は」

「老婆心かもしれないが、心配なんだ。ルイのことも、サラのことも」

「私は……っ」


 何を言おうとしたのか分からず、サラは言葉が続かない。


「……、っ」


 サラの脳裏に浮かぶのは、あの幼い日に見た、苦しみも悲しみも呑みこんで、独りで全てを背負おうとする姿。


「初めて会った時……、何か辛そうだったから、聞いたの。そしたら泣いて……、でも何でもないって、そればっかり……」


 あの日以来、サラは今日までルイの涙を見たことがなかった。


「あの時の私は、ルイにとってはまだ誰でもなかった……。でも、だから……。そういう相手だったから、一瞬見せた油断たったのよ」


 サラは、胸元で手のひらをぎゅっと握りしめる。


「精霊に愛されてなんかないって……言ってた。何もないって」


 言いたいことも分からないまま話し始めたサラの言葉を、シオは黙って聞いている。


「アスカが……ルイがみんなの為に犠牲になって戦わなくちゃいけないのなら……、私はルイ一人の為だけに戦うって決めたの……」


 消え入りそうな声だった。


「それだけよ……。理由なんて考える必要ある……?」


 術車を停めてある広場の隅は、街灯がないために非常に薄暗い。月が出ていない今夜は、星だけが唯一の光源である。

 夜の蒼い光が、俯いたサラの顔に影を落としていた。


「……そうか」


 静かに、シオはそう答えた。


「……すまなかったな。余計な世話だった」


 シオのその言葉の後、サラは意識的に体から力を抜き、一度だけ深呼吸をする。


「契約のこと、知ってるのはシオだけね?」

「あぁ」

「絶対に言わないで」

「言えるわけがないだろう、こんなこと」

「ならいいの」

「待て。方法は見つかったんだ。契約は破棄するんだろう?」

「しないわよ」


 強い意思でサラはそう答えた。


「方法はいくつあってもいいでしょ?」

「……その方法は最悪だぞ」

「最悪でも何でも、生きてないと後悔もできないじゃない」

「……だが、そんなもの、ルイが使うはずないだろう」


 険しい顔でシオは呟く。運転席の背もたれに置いた手をぎゅっと握り締めた。

 サラはシオの方を見ないままだ。


「分かってる。だから知らせないの」

「知らせないで使わせる気か?」

「知らなかったは免罪符になるでしょう」

「待て。冷静になれ。考えろ。後からルイがこのことを知ったらっ」

「私はいつも冷静でしょう?」

「は?」

「冷静で、前向きで、正しいことを言うでしょう?」


 サラはやっと、シオを振り返って視線を合わせた。


「ルイが嫌な思いをしても、自分が正しいと思ったことを言うし、してきたわ。私は正義感が強いタイプだから」


 それをルイに綺麗ごとばかりだと指摘されたのは、ついこの間のことである。


「だからこの契約も、自分の中の正義に従ったまでよ」

「……サラ、本当に……何も言わないつもりか」


 シオが言った『何も』に含まれている意味を、サラは正確に捉えている。

 『精霊との契約』と、それを用意するに至った『自分の想い』の二つである。

 だが、サラはシオの問いには答えずに、ふっと緊張を解いて息を吐いた。


「大丈夫。万が一の話だもの。魔蓄機(タンク)の作戦が上手くいけば、使わないまま終わるわ」

「サラ。俺は……」

「心配かけてごめんなさい」

「……俺が、契約を代わる。知らなかったふりはお前がするんだ」


 サラはゆっくりと首を振った。シオがそう言うのを予想していたような反応だった。


「もう駄目よ……間に合わない」

「…………」


 シオはぐっと言葉を詰め、それからふと力を抜いて息を吐き、のろのろと運転席に移動して身を沈めた。


「使わないことを……本当に……祈るよ……」


 呟いてシオはふと視線を上げて夜空に月を探した。

 だがすぐに、今日が新月であることを思い出す。


「次に丸い月を見る頃には、全てに答えが出ているだろうか」


 随分遠くまで旅をしてきたものだとシオは思った。

 今自分たちのいる時代は、数百年も未来の世界なのだ。

 当時の討伐隊のうち、一体誰がそんなことを想像したろうか。その長い旅の終わりが、すぐそこに迫っている。

 それを少し恐ろしいことのようにシオは感じていた。


 スティアを討つこともできずに、こちらが全滅するような最悪の終わりにはならないと、誰も保障してくれはしないのだ。

 最悪ではなかったとしても、最良でない限り望まない結果は含まれるだろう。

 そして、そう簡単に最良の結果が得られる程世界は甘くないということを、シオは知っている。

 ゆえに、旅が終わるということは、嫌が応でも何かしらの悪い結果を受け入れなければならないということになる。


 それは、長い旅に慣れてしまったシオにとっては恐ろしいものであった。

 しかし終わらせなければ、悪い結果も出ない分、良い結果も出ないのだ。

 臨むしかない。

 最後の戦いに。


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