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第77話 弱いんだったな

 人が立ち入らなくなった森の奥に、その石造りの建物は静かに存在していた。

 蔓や雑草が床や壁のほとんどを覆い尽くしているため、建物は陽の光を受けて緑色にきらきらと輝いている。

 茂みの中を虫たちが飛び回り、鳥の囀りが空のどこからか途切れることなく降り注いでいた。


 かつて修道院と呼ばれていた、精霊を信仰する人々が祈り、修練を積んでいた場所である。

 大気は瑞々しく、木々が風に揺れてざわめきだすと、人の世界などとっくに終わってしまったのではないかという気がしてくるとスティアは思った。

 硝子や木枠などはとっくに朽ちてしまった石造りの大きな窓に腰掛けて、陽の昇る東の空を見ていたスティアは、静かな息を吐いて東の空を眺めている。


「……眠りすぎたな」


 失った魔力を取り戻すために精神体となって眠りについた時、せいぜい数十年程度だろうとスティアは思っていた。

 しかし、目覚めたら数百年は経っているという。


「……だからって朽ち果てるのも早すぎだろう、人々の希望の象徴だったんじゃないのか、ここの連中は」


 精霊を信仰し、魔族との混じり子を禁忌とした教会は、今はもうその影も形も存在していない。魔族という存在すら、この時代では伝説と化して誰も見たことがないらしく、スティアにとっては拍子抜けを通り越して虚しくなってくる話だった。

 だがそれと同時に、理由の知れない苛立ちは増したのも事実である。

 魔族どころか魔物の脅威にさえ晒されることがなく、魔術という力さえ手放して、安全な場所でぬくぬく生きる人間たち。


「あぁ、弱いんだったな、人間は」


 だから、安全な場所でしか生きていけない。安全な場所がなければ生きてはいけない。


「可哀そうな奴らだ」



 弱いからこそ、脅威となり得ない弱い者たち同士で群れるしか、安全を作る方法を知らない。


「……硬い壁だな」


 腰掛ける石造りの窓も壁も、硬く冷たい感触しかなかった。

 せっかく生身の体を取り戻したというのに、廃墟で過ごしていては面白みも何もないというものである。

 スティアは目を閉じ、核となる意識をアルフェイムの自分の中へ移動させた。


「……そうだった」


 アルフェイムでは、分身の体はある家の中にあった。


「ここはここで面倒か……?」


 スティアは白いシーツの敷かれた、質素なベッドから身を起こす。

 死んだ息子だと勘違いされてから数日が過ぎていた。

 ここはその息子の部屋である。


 スティアは何度も母親の言葉を無視して去ろうと考えた。

 息子を亡くした母親のくだらない勘違いに付き合うなど、滑稽以外の何物でもないとは今でも思っている。

 だがその滑稽も、廃墟と化した修道院で延々と無為な時間を潰す暇よりはマシかと思い直したために、スティアの分身はまだこの家にあった。

 まだ早朝と言われる時間で、外は静かだ。


 そこでふと、スティアは眉をひそめる。


「なんだ、結構早く出たんだな」


 アルフェイムの村から南側にあるミッドガルドから弟の気配が移動するのを感じて、スティアはより気配を探ろうと、意識を南に集中させた。


(意外だったな)


 弟がミッドガルドを出て修道院に向かうのは、距離から見ても半月後だろうとスティアは思っていた。

 決戦の地として選んだ修道院まではミッドガルドから徒歩ではふた月ほどかかり、今出発すれば、修道院に着くのは新月の頃となるからである。


(新月だと面白くないだろう)


 魔族との混じり子であるスティアには、精霊のことわりである月の満ち欠けによる魔力量の上限の変化などはない。

 影響があるのは精霊との混じり子である弟だけである。

 新月に戦えば自分に有利なのは重々承知していたが、命懸けの戦いをするなら互いに最善の状態で戦った方が面白いというのがスティアの考えであった。

 ゆえに最後の戦いは満月の夜というのが暗黙の了解になっている。


(ミッドガルドにいればまた僕が変に手を出すと思ったか)


 それならば、早く出発した分だけ途中で旅のペースを調整するつもりなのだろうとスティアは考えた。

 結局、二ヶ月半後の満月が決戦の日になることは変わらない。

 そこまで思考を巡らせた時、スティアは何かに気付いたように片眉をぴくりと跳ね上げ、移動する弟の気配に意識を集中させた。


 気配の移動速度が、早いのである。

 修道院からでは、こちらに向かってくるのは分かっても、距離が遠すぎて速度の違和感には気が付かなかったに違いないとスティアは思った。

 だがここからなら、意識を集中させれば、ミッドガルドから西へと移動していく弟の気配が、その速度と共にハッキリ知覚できた。


「……次の満月で決着を着ける気か」


 恐らく、この時代の発明品である術車を使っているのだろうとスティアは考える。

 徒歩の旅ではないということだ。

 二か月半後どころか、半月後を目指しているのが明らかな速度ペースであった。

 にわかに予想よりも近づいた決着の時に、スティアは胸がざわつくのを覚える。


「……今度は、ちゃんと最後まで戦えるのかな」


 これ以上力の解放を続ければ生身を失うと悟った瞬間の弟の表情は、長い眠りを経た後でもスティアの記憶によく残っていた。

 同じ風になるのか、それとも、今度こそと命を賭して挑んでくるのか。

 結果が自分の生死に関わるというのに、スティアはどうしてもその先に興味が持てなかった。


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