第6話 お前って幸せの定義広いなー
「うーん……」
クッキー用に買ったチョコと紅茶を持ってノエルと帰り道を歩きながら、おれは首をひねった。
「ん? どうしたんだ?」
「いや……なんか……、うーん……?」
「やっぱり具合悪いんじゃないのか?」
「あ、いや……はっきりとそういう感じでもないんだけど」
頭痛が起こる前触れみたいな変な違和感がするだけで、はっきりと頭が痛いわけでもなければ、体がだるいとかいうわけでもない。
基礎魔法の授業が嫌すぎて、脳がダメージでも受けたのだろうか。
うんうん悩んでいると、突然、なんの前触れもなくノエルの手のひらが飛んできた。
ばちん、とおれのおでこで音が鳴る。
「いったあ!」
「うん、熱はないな」
「勢い! もうちょっと何とかならなかったか!?」
とはいえ、下手に気を使われて心配そうにされるよりは随分有難い反応だったりする。
「元気そうだな」
「元気だよ!」
「まぁでも、リズのクッキー食べたらあったかくして早めに休んどけよ」
「お、おぉ……」
急に見せられた優しさに、おれはつい動揺してしまった。
「なんでそこで驚くんだ?」
「いやー、幸せだなぁって思って……」
「……何が?」
ノエルは心底不思議そうに尋ねてくる。
この幸せが理解できないなんて、なんてやつだ。
「幸せじゃん、とっても」
「具合悪いのに?」
「いや、ちょっとしんどいくらいで休んどけっていうのがさぁ」
「休めばいいだろ。無理のしどころ、何にもないぞ」
「まぁ……それは、そうだけど」
「お前、ところどころ感覚ヘンだよな」
失礼な。
と思ったけれど、そういや記憶がないんだから、感覚が多少おかしいのも、それは当然かもしれない。
どんな生活していたか、さっぱり分からないんだから。
「あら、ノアさんとこの。おつかい?」
自己解決していたら、ふと声をかけられた。
ノアというのは、おれがお世話になっている診療所のじいちゃんの名前だ。
「あぁ、どうも」
声の主を振り返ったノエルは軽く会釈をして応えた。
買い物袋を提げた母子が通りの反対側にいた。
向かいの通りを少し行ったところにあるパン屋の奥さんとそこの女の子だ。
奥さんは確かノーラさんとかいう名前だった気がする。
女の子は、名前を聞いた記憶がないけれど、確か今年で7歳だとか。
「今朝ねぇ、この子が気分が悪いって言うからノアさんとこに連れてったのよ。それで診てもらって、もらったお薬飲んでお昼まで寝たらもう元気になっちゃって。ありがとうございましたって伝えておいてくれない?」
「あぁ、そうだったんですか。分かりました、伝えておきます」
笑顔でノエルは返事を返す。
女の子はノーラさんの陰に隠れながらこちらをちらちら伺ってきたので、おれはにっと笑って手を振っておいた。
女の子はおれの行動に驚いたのか、一瞬びくりとして母親のノーラさんの後ろに引っ込んだが、そろそろと出てきて恥ずかしそうに手を振ってくれる。
反応が可愛すぎて怖いんですけど。
「何かおつかいの途中だった? ごめんね呼び止めて」
「いえ、全然急ぎじゃないんで大丈夫です。リズのうちでクッキー焼くことになったから材料の買出しに行ってたところで」
「あらホント? いいわねえ。あ、そうだ。あのね、うち今、新作のパンを試しに焼いてみてるのが結構余ってるの。あとでそれを持っていってあげるから、一緒に食べてみて」
「え、いいんですか?」
「ノアさんにも少し食べてもらって。今日のお礼ですって」
「気にしなくていいのに……。でもありがとう」
ノエルはにっこりと笑って素直に感謝の言葉を口にする。
「あら、やだわぁ。ほんと子供の成長って早い。そんな笑顔で言われたら照れちゃうじゃない、かっこよくなっちゃって。ついこの間までこんなだったのに」
腰の辺りで手を水平にひらひら振る相手に対し、ノエルは同じ笑顔であははと笑った。
「じゃあ、またあとでね」
「はい。ありがとうございます。また」
ノエルが手を振ったのに合わせておれも女の子に無言でばいばいと手を振った。
二人が通りの向こうへ去っていくのを見送って、おれはノエルを振り返る。
「こういうの、幸せっていうだろ?」
「……お前って幸せの定義広いなー」
関心したのか呆れたのか微妙に判断の付きにくい顔でノエルは言う。
そうこうしているうちに、家についたおれとノエルは、脇の勝手口から家の中に入った。
いつもの下校時刻なら診療時間中だが、今日は早かったのでまだ午後の診療時間は始まっていない。正面入り口は閉まっている。
「じいちゃん、ただいま」
「ただいまー」
待合のソファに声をかけると、寝そべっていたじいちゃんがむくりと起き上がった。
白の混じり始めた灰色の髪に、年のわりにはがっしりした体の現役医療魔法士だ。
午前の診療が終わると待合室で仮眠をとるのが習慣らしい。
「なんだ、今日は早いんだな」
「あぁ、なんか突風で学校の窓が割れてさ、補強するっていうんで午後が休講になったんだ」
「突風? あぁ、そういえば今日は少し風が強いか?」
「じゃあじいちゃん、おれたち、隣行ってくるね」
「お前たちは帰るなりそれか。あんまり騒いで迷惑かけるなよ」
「分かってるって」
それで会話は終了し、じいちゃんはそのまま再びソファに沈んだ。
おれたちはそのまま三階にあがり、それぞれの部屋に荷物を置くとすぐに下へ降りる。
「こんにちはー」
「お邪魔しまーす」
隣の魔術具店は、勝手知ったる他人の家。
「おぅ。来たか。クッキー焼くんだって?」
挨拶しながら店に入ると、目を通していた伝票から顔を上げて声をかけてきてくれたのは、リズの父親のエリックさんだ。
リズがすでに話をしておいてくれたらしい。
「俺の分も残しておいてくれよ。ほら、これ、材料費ぶんの小遣い」
「お。じゃあありがたく」
ノエルは、ははーと畏まってエリックさんから渡されたお金を受け取った。
リズの預言は見事的中である。