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第61話 百集めるわ

 沈黙は肯定だった。


 おれ一人の命を助けるために、何の罪もない大勢の人たちを犠牲にするなんて、ありえない。

 自分たちがすでに死んでいる遠い未来の話ならいざ知らず、目の前で死体の山が築かれるのだ。

 耐えられるわけがない。


「大丈夫……。次は、やる……。ちゃんとやるから」


 おれの言葉に、誰も何も言わない。

 何も言えないに決まっている。

 否定も肯定も。


「アスカ」


 イリヤが、力のない声をかけてきた。


「お前がたどり着いたの、三年前じゃなくて、もっと……百年くらい前だったら良かったのにな」


 おれは、顔をあげてイリヤを見た。

 イリヤは、眉間にしわを寄せて、何かを堪えるかのような表情をしていた。


「それで、封印魔法かけたまま……普通に生きて、普通に死んでたら良かったのにな」

「…………」


 はく、と唇が動いた。

 自分が何を言おうとしたのかは分からない。


 だけど、イリヤの言葉はおれの心臓を大きく脈打たせた。


(確かに……確かにそうだ……)


 おれは、あの時、思った。


 兄さんの目覚めを待つための封印魔法だったけれど、もしかしたら生きてる間に目覚めないこともあるかもしれないと。


(期待したんだ。これで、解放されるかもしれないって)


 何もかも忘れて、使命のない人生を生きられるかもしれないと。


 その時の、ふいに涙が出そうになった程の安堵を、封印魔法はそのまま固定した。

 魔法が解けた時、その安堵と現実との差が、どうしてもすぐに受け入れられなかった。

 だから暴走しかけたのだ。自覚してみれば単純な話だった。


「……そうならなくて、良かった」



 そうなってたら、兄さんの目覚めない時代で人生を終えていたら、ノエルやリズは、スティアに殺されていたかもしれない。

 みんなも、おれ抜きでスティアと勝ち目のない戦いをすることになっていただろう。


 そうはならなくて、良かったのだ。


(…………)


 そこまで考えて、自分の思考に浮かんだ言葉に気付く。


(……解放、されるかもって?)


 本心の欠片が、そこにはあった。


「違う……そんなわけ」

「アスカ……?」

「僕は……だって、僕はそのために作られたんだ」

「おい、しっかりしろ」


 使命を果たした末に命が尽きるのは、確かに、酷い運命だと思う。

 どうにかして生きて使命を果たせないかと、今でも思ってはいるけれど、それができないからと言って、使命そのものを投げ出すなんてことは……


「思ったことない……」


(本当に?)


 余計な自分の声が、脳裏に響く。


「……っ」


 息が上がる。

 肩が上下するのを止められない。


(あの時、思ったじゃないか)


 時渡りの本流から弾かれて、時空のうねりに巻き込まれて死にそうになりながらこの時代にたどり着いた時。

 もうやめようと、誰にも言ってもらえなかったことを、恨みがましく考えていたのは自分だ。


「っ、はぁ……」

「アスカ、大丈夫か、どうしたんだ!」

「う……」


 身の内の暗い部分。

 蓋をして鎮めていたはずのドロドロしたもの。

 そこにあることさえ忘れていたのに、なぜ今になって、その存在が浮かび上がってくるのだろうか。


(酷い、運命だ)


 禁忌なのに母さんに愛されて生かされた兄さんが憎い。

 自分が産んだ子供の始末を僕に押し付けた母さんが憎い。

 兄さんを殺せるように、物心ついた時からずっと修錬ばかり続けて、それなのに使命を果たした後の未来さえ許されない自分の運命が、嫌で嫌でたまらない。


 初めから、本当は、逃げ出したかったのだ。


「そんなわけ……っ」


 羨ましかった。

 修道院で、人として普通に生まれて、遊んだり笑ったりして楽しそうにしている子たちが。

 家族でも、友人でも、先生でも誰でも、幸せになることを誰かに望んでもらえる子たちが。


(やめろ考えるな! もう何も、それ以上……っ)

 

 進路、希望の……、来年の、志望学科の、調査票。脳裏に浮かぶ。

 愕然とした。


(あぁ、このせいだ)


 ノエルが迷わず書いた、医療魔法科の文字。それに焦って考えた、自分の将来。未来の想像。


(三年前の自分を薄れさせないようにしたって……)


 結局書いたのは普通学科の文字だったが、あらゆる未来を想像してみるのが無性に楽しかったのを覚えている。

 その記憶が。


 この三年間、かつて羨ましいと見ているだけだった子たちのように、とっくに諦めていたはずの普通の生活をした記憶が、沈めたはずの感情をなかったことにしてくれないのだ。


「―――――」

「……おいっ」


 イリヤが凍りついたような声を出した。


「ばっかやろう!」


 弾かれたようにイリヤが動き、傍で固まっているシオの横を抜け、伸びてきた手がおれの口を塞ぐ。


「早まんじゃねえ!!」

「っ」


 イリヤの怒声は室内の空気を暴力的に震わせた。


「やっていいことと悪いことがあんだろうがっ!!」

「…………、っ」


 おれは奥歯を噛み締めながらイリヤの手を振り払う。


「忘れたら楽になんのか! それで全部解決すんのかよ!!」

「……っ」


 己の行動を、痛いくらいに真っ直ぐ指摘され、体がぐっと強張った。


「お前のために命まで賭けようとした友達に、なんて説明する気だ!!」

「……、…………」


 そこまで言われて、おれはやっと、刹那的な自分の行動のまずさを自覚する。

 静かに長い息を吐いて身体から力を抜いた。

 ここで生活していたことが使命感に悪影響を及ぼしていると悟った瞬間、呪文を呟いていた自分がいた。

 この三年に限定した封印魔法を、かけようとしていたのだ。

 思い出すことを前提としない、完全な忘却の手段として。



「わたしは、あきらめてない……」


 聞こえてきた声を、おれはぼんやり聞いていた。


「私は、諦めてないわ……」

「サラ……」


 シオの呼びかけに反応するように、サラは胸元で掌をぎゅっと握り締めた。


「どうしてもう死ぬのが絶対になってるの? 諦めた方が楽になるからって逃げてるだけじゃない。私は、アスカが生き残れる可能性を少しでも上げるために、どんな小さな戦力でも欲しいだけよ」


 サラは息を吸って立ち上がり、誰の返答も待っていないというようにくるりと背を向け、部屋の出口へ向かう。

 そして最後にちらと部屋の中を一瞥した。


「それで上がる可能性が百分の一しかないならっ、私はそれを百集めるわ……!」


 扉の開く音がし、それがバタンと閉じる音を聞いてから、おれはゆっくりと目を閉じた。



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