第55話 普通の人間を巻き込まないで
「きゃあっ」
気を失ったシーラの体を抱きとめるのと、リズの悲鳴は同時だった。
消えた泡玉から落下しかけたリズを、おれは魔力で空気の層を作り受け止める。
リズはおれの力で地面に落ちなかったとすぐに気が付いたらしく、おれへと視線を向けてきた。
何か声をかけなければと思うものの、何を言えばいいか分からない。
「……巻き込んでごめん、もう大丈夫だから」
結局言えたのは、そんな当たり障りのないことだった。
「ル……イ……」
リズをゆっくりと地面に降ろし、おれは力の転換を元の状態へと戻す。
これで髪色はいつもの黒色に戻ったはずだ。
リズに怪我が無さそうなのを確認し、おれはシーラを抱き上げた。
シーラを、ノーラさんのところに返さなくてはならない。
周囲を見渡せば、一番近いところにノーラさんはいた。
地面に座り込んだまま呆然としている。
おれに抱えられているシーラを、ノーラさんはただ食い入るように見ていた。
「……怪我はありません。いま、眠ってますが、目を覚ましたら、もとに戻ってます」
シーラを抱えたまま膝をついて、ノーラさんに声をかける。
「あ……ぁ……」
涙に濡れた頬でノーラさんはおれを見て、一瞬の後、はじかれたようにシーラを抱きかかえた。
さっきまでノーラさんを、危険だから離れるようにと引き留めていた男の人が、数歩離れたところからこちらを警戒するそぶりを見せていた。
ノーラさんは、シーラを抱きかかえてその寝顔と息を確認した後、長い長いため息をつく。
震える手でシーラの頬を繰り返し撫でている。
「なに、なんなの……、どうして、この子が」
「…………」
どう説明していいのかが分からない。
そもそも魔族自体の存在が信じられていないこの時代に、魔族と人間の混じり子の話なんかしたって信じてもらえるとは思えない。
「……あ、操られていただけなんです。悪いやつがいて……」
でもとにかく、シーラが無事であることの説明はどうしても必要だ。
「でも、操ってたやつの力は、その子の中から全部消しました。だから……」
「だから何だって言うのよ……!!」
張り裂けそうな声でノーラさんは叫んだ。
「あんなっ、あんな危ない目にあってっ! 怪我がなかったからって何よ……!? なんでこの子がっ、シーラがそんな目に……っ!」
「…………」
おれは答えられずに沈黙する。
答えられなかったのは、答えが分からなかったからではなかった。
自分のせいだと、言うことができなかったからだ。
スティアは、おれと最近関わりがあった中で一番幼い子供という基準でシーラに取り憑いたのだ。
本人に聞かなくても分かる、分かりやすすぎる選択である。
つまり、シーラが巻き込まれたのはおれのせいなのだ。
それをおれは、明かすことができなかった。
そんなもの、保身以外の何物でもない。
「何なのよ!! 何なの今の!? 普通じゃないわ!! 化け物よ! 争うなら他でやって!! 娘をっ、普通の人間を巻き込まないでよ……!!」
「……すみません」
他に言える言葉は見つからない。
「んん」
ふいに、ちいさな声がした。
「あれ? おかぁさん……?」
寝ぼけたように母親を呼ぶシーラの小さな声は、間違いなくシーラのものだ。
「シーラ! あぁ良かった……! 怪我は!? どこか痛いとこはない!? 大丈夫!?」
「え……? 大丈夫だよ……?」
ノーラさんの必死な声に多少面食らったようにシーラは答える。
自分の身に起こったことは何一つ把握していないようだった。
「お母さんどうしたの……? どっか痛いの? なんで泣いてるの? ……ここ、どこ?」
直前までの記憶と今の状況が繋がらないらしく、シーラはノーラさんの腕をそっと押しのけて立ち上がり、辺りを見回す。
「あれっ? おにいちゃんだ! 病院に住んでるおにいちゃん!」
想定外に話しかけられて、おれは思わずびくりと肩を震わせてしまった。
「ねぇおにいちゃん、おじいちゃん先生はどこ? お母さんが泣いてるの、病気かもしれない、お医者さんにみてもらわないと!」
「あ……」
ぱっと飛びつかれて、体を強張らせるしかない。
おれには抱き留める資格なんてないのだ。
「え……っと」
「やめてシーラ離れて!!」
「わあっ」
ノーラさんにぐいっと腕を引かれ、シーラは何がなんだか分からないまま引き離されていった。
「ねぇお母さんどうしたのっ? 痛いの? おじいちゃん先生にみてもらおうよ!」
ノーラさんの手を引いて、診療所に住んでいたおれにシーラは近づこうとする。
「シ、シーラ、ちがうんだ。お母さんは病気じゃなく――」
ふいに耳元で破裂音が弾け、言葉が飛んだ。
「…………」
頬が、熱い。
「………………」
頬を張られたのに気が付いたのは少し経ってからだった。
「この子の名前を口にしないで!! 二度と近づかないで!!」
ノーラさんは振りぬいた手を硬く握りしめ、驚いて固まっているシーラを抱き上げた。
そして、きょとんとしたシーラを抱えてくるりと踵を返す。
近くで様子を見守っていた男がその後を追いかけていった。




