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第34話 でかくなったな

「お前……アスカ」

「えっ」


 呼ばれた名前に驚いて、おれはぶつけた鼻を手で押さえたまま顔をあげた。


 赤茶けた色の髪が目に飛び込んでくる。

 見覚えのある男だった。

 こないだ、吸収装置(プラント)の調査に同行した護衛のうちの一人だ。

 ということはつまり、昔のおれを知っているという女の子の仲間ということになる。

 おれをアスカと呼んだのだから、同じく昔のおれを知っている相手と思って間違いないだろう。


「あ……」

「おっまえ……でかくなったな……」


 男はおれを見て目を細めながら言った。

 独り言らしく、返答を求められたわけではないらしい。

 おれが昔のことを覚えていないことを知っているのか知らないのか、微妙に判断が付きづらい。

 おれは何をどうしていいか分からずに一歩後ずさった。


「あぁ、違う。そんなこと言いに来たんじゃない」

「えっ」

「しっかし、いきなり飛び出してくんだからびっくりしたよ。もう起きてたのか? 俺は夜番だったからさ。今ジュリと代わって……おいアスカ、お前ほんとに俺のこと覚えてないのか?」

「あ、あ」

「イリヤだよ。何どもってんだ」

「………………」


 男はおれが下がった分を埋め合わせるように距離を詰めてきた。

 至近距離で威圧するように見下ろされる。

 おれはさらに後ろに下がったが、男も同じく距離を詰めてきて、やがて背が壁に付き、逃げ場がなくなってしまう。


「お前、ほんとにマジなのか? 何だよそのみっともない態度は……」

「ごっ……めん、なさ……、おれ、……お、覚えてな……」

「それで済むなら俺だってお前のことは放っておいてやってるよ」

「いっ」


 伸びてきた手に頭を掴まれそうになって、おれは気が付いたらその場から逃げ出していた。


「あっ、おまっ」


 男がとっさに伸ばしてきた手を、すんでのところで避ける。

 小さな舌打ちが聞こえた。


「待て! 逃げるな!」


 当然のように追いかけてくる男。


「うっ、わ」


 悲鳴らしい悲鳴をあげる余裕もなく、おれは必死に走った。


「待てぇえっ!」

「いぃぃぃーっ」


 何事かと振り返ってくる人の間を抜け、廊下を全力疾走し、階段を何段も飛ばして駆け下りて、開けっ放しの窓さえ乗り越えておれは必死に逃げた。

 だがしかし、相手も負けず劣らず必死に追ってくる。


「はぁっ、はぁ……!」

「てめっ、この……!」


 いつまで経っても相手に諦める気配がない。

 連日外で魔物退治をしているだけあって、体力もだいぶありそうだった。

 おれの方がバテそうな気さえする。

 これはまずい。


「……っ」


 窓から外に飛び出しはしたけれど、死角になるものがないと撒ききれないと思い直して、おれは手近にあった建物の中に飛び込んだ。


 全力疾走している時に人とすれ違えば、何事かと視線を向けられるのは必至である。

 そしてその視線は、後から追いかけてきた男におれの逃げた先を示す目印になってしまう。


 そのことに気付いたおれは、人気(ひとけ)のない方へと足を向けた。


「うっ」


 曲がった先は、長くて薄暗い廊下だった。

 両側にドアがいくつも並んでいて、使われている感じがあまりしない。

 どこかに逃げ込んでやり過ごせないかと、手近なドアに手をかけてみたが、開かなかった。


「どっか……っ」


 鍵が空いている部屋はないかといくつかのドアを試してみたが、結果は同じである。

 そうこうしているうちに、足音は大きくなってくる。

 せっかく稼いだ距離がなくなってしまった。


「なんなんだよあの人……っ」


 とにもかくにも捕まりたくないと、再び走り出そうとした時だった。


「こっち」

「うわっ」


 がらがらという音と同時に、いきなり後ろから腕を引かれてバランスを崩し、おれはとっさに目を閉じた。


「……っ」


 倒れると思ったが、誰かに抱き止められたことに気付く。

 再びがらがらと音がし、目の前で扉が閉められた。

 おれは後ろを振り返った。


「……ス、ティア……さ」

「しっ」


 小さな声と共に口を塞がれて、おれは今の状況を思い出し、身を固くする。

 薄いドア一枚を隔てた向こう側が、さっきまでいた廊下だ。


 しばらくして、どたばたという足音が目の前を通り過ぎていった。だがすぐに、どこ行ったと叫ぶ声と共に再び戻ってくる。そしてドアの前辺りをうろうろした後、反対側に通り過ぎ、今度こそ足音も声も遠ざかっていった。



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