第27話 このままでいいんじゃね
最初に話し声に気が付いた。
気持ちが落ち着く、耳慣れた柔らかい声。
リズだ。
水をもらってくるという話をしているようだった。
そうして、だんだん覚醒してきた意識が体のコントロールを取り戻し、おれは目をあけた。
ぼんやりした視界がだんだんはっきりしてきて、知らない天井が目に映る。
「……ここ、は?」
寝起きだからか、声がかすれ気味だ。
「ルイ、気が付いたか。気分はどうだ? 気持ち悪いとか、頭痛いとか、ないか?」
すぐ傍にはノエルがいた。
医者であるじいちゃんの孫らしく、尋ね方がお医者さんのそれである。
「うん……平気」
おれが寝ているのはソファの上だった。
体を起こそうとするとノエルがさっと背中を支えてくれる。
まるで病人になった気分だ。
(いや、病人か……あんな盛大に倒れておいて)
「おれ……えっと」
直前の記憶は、ごちゃごちゃしているがしっかり思い出せた。
金色の髪の女の子が、おれのことを、知らない名前で呼んだ記憶がある。
体にかけられていた毛布を握りしめて回りを見回すと、テーブルとロッカーがあるだけの小さな部屋だった。
窓から見える外は暗い。
完全に外は夜である。
部屋にはおれとノエルの二人だけだった。
「覚えてるか? お前また頭が痛いって言って倒れたんだ」
「うん……覚えてる。……ここは?」
「図書館の中だよ。職員用の休憩室らしい。さっきの女が、ここを使えって手配してくれたみたいで、使いの人が案内してくれた」
「……そう、なんだ。……あ、リズは? それに、じいちゃんと、おじさんは……」
「リズはさっきまでお前に張り付いてたんだけどな。今は水もらいに行ってる。お前が目覚ました時、喉渇いてるだろうからって。じいちゃんは仮設の診療所に借り出されてて、おじさんは魔術具製作班に同じく。魔物よけ吸収装置の修理計画に参加してる」
「……そ、っか」
それ以上、なんて言葉を続けていいのか分からない。
「…………」
記憶を無くす前のおれを知っている人が現れるなんて思ってもみなかった。
思わず拒否してしまったけれど、おれが倒れた後、ノエルたちはあの子と何を話したんだろうか。
(過去のおれとどういう関係だったのかとか、聞いたんだろうな)
「さっきの女、魔物の掃討作戦仕切ってるグループのやつらしい」
ノエルは言いながら、ソファの俺の隣に気だるげに腰をおろして、背もたれに沈みこんだ。
「……そう、なんだ」
「昨日の地震の後、避難してきた人たちを図書館に誘導して、その後も外に出て行っては魔物狩りをしてるって」
「……へぇ」
ノエルの話に、まともな相槌さえ打てない。
続きを促すような会話が、どうしてもできなかった。
「……ルイ、ほんとに具合は大丈夫なのか?」
「え、う、うん……頭痛とかは……もうなんとも」
「ならいいけど」
「心配かけてごめん」
「いや……まぁ、なんか、命には関わらないらしいから、その辺は安心していいっぽい、かもしれない」
「え? どういうこと?」
ノエルはなぜだか憮然としている。
「さっきのあの女、お前と同じ系統の魔術が使えるとか言って、お前の具合悪い原因分かるかもって診たらしいんだ」
「あ……そういえば、ここに張ってある結界……」
「あぁ、そのグループの連中が張ってるんだと」
「そう……だったんだ」
「それで、診た結果が命には関わらないって、ただそれだけ」
「あ、そう……なんだ」
「うん」
「…………え? それだけ?」
おれは思わず尋ねた。
「あぁ、それだけだよ。それだけ言って、どっか行った」
「どっか行った?」
「そう、で、お前休ませんのに部屋ここ使えって使いを寄越したきり」
「え、あれ? そうなの? あの子おれのこと知ってたんじゃないの?」
「そうっぽいけど。お前に昔のことを教えて思い出してほしいとかは思ってないみたいだぞ。ルイが記憶喪失だっつーことは言ったんだけどな。ルイの目が覚めたら教えてくれとかも頼まれてないし、様子見に尋ねても来てないし。」
ノエルの言葉は、おれの緊張を一気に溶かした。
体から力が抜け過ぎて、おれもソファの背もたれに深く沈み込む羽目になる。
「おれ、今相当に色々覚悟決めようとしたんだけど……」
寝ている間に自分に関する過去の説明がされているに違いないと思っていたのだ。
「その前に聞きたいんだけど。ルイってもしかして、昔の事知れなくてもいいじゃなくて、寧ろ知りたくない感じ?」
「え」
ギクリと強張った表情で、おれは隣に座るノエルを振り返る。
「な、なんで?」
「なんでって、本当の名前も誕生日も親も友達も分からなくていいって昨日言ってたばっかだと思うんですけど。急だったのは確かだけど、さっきも思いっきり拒否ってたし。とっさの行動なんてだいたい本心が出るもんだろ」
「……う」
返す言葉もない。
「でもさ、本当のこと分かっても、それでもルイがルイでいたきゃいてもいいんだよ。身元が分かったからって俺もじいちゃんも追い出したりしないさ。ルイはもしかして、そこが不安なんじゃないの?」
「…………」
おれは無言で瞬きを繰り返した。
ノエルの言った言葉は、おれのよく分からない不安を綺麗にまとめてくれた感じがする。
「図星だ?」
「…………うん。……確かに、それはありそう」
「んー。じゃあまぁ、思い出したいって思うまで、このままでいいんじゃね?」
「え」
「だって、向こうも何も言ってこないし」
言いながらノエルはぐっと伸びをした。
「あ、でも名前だけは分かったな」
「え?」
「アスカって呼ばれてたろ」
「アスカ……」
「ルもイも入ってないとは驚きだよ全く」
「あぁそうだな……」
感想そこなのか? というツッコミは脳内にしまいこみ、おれは適当に返事をする。
「言っとくけど俺じゃないからな。聞き取ったのリズだからな」
「別にいいよ……名前が全然違ったことくらい」
「どうする? せっかくだから名前くらいは本名に戻すか?」
「戻さないって」
「アスカってなんか可愛い響きの名前だよな~」
「だからなんだよ!」
「似合ってはいる、うん」
「だから戻さないって!」
「はっはっは」
ノエルは笑い声をあげた。
昨日、三人でクッキーを作っていた時以来の、久しぶりの笑い声だ。
「あれっ、ルイ!?」
声と同時に、部屋のドアががちゃっと開く音がした。
水の入ったボトルを抱えたリズである。
「起きたの!? 良かった……!!」
リズは水のボトルを放り出しておれに抱き着いてきた。
「わっ、ちょ! リズ!」
「おーおー、お熱いなぁ」
「もうまたそういうこと言うんならノエルもよ!」
リズは隣のノエルも引き寄せる。
おれとノエルはリズの腕の中でもみくちゃにされて、何だこれと、気が付いたら声をあげて笑っていた。




