メッセージと共に彼女は悪しき実を口にする
いつもありがとうございます。
毒の話になりますので、土地の名前は限定していません。
読みにくいところもあるかもしれませんが、どうかご了承ください。
春の推理2024参加作品です。
「……ここに八角を入れ……味がしみるまで…………」
近くまで来て鍋を覗き込む生徒たちの前で、丸く切ったワックスペーパーに切り込みを入れて落とし蓋を作り鍋に入れる。
「これで一時間程煮込み、その後冷めるまで待ちます。さて…一時間何もせずに待つわけにいきませんね。…コチラに昨日から煮込んでおいたものがありますので、盛り付けのコツとお味見を………」
洋風と和風の皿を並べ、どちらでも美味しそうに見えるような盛り付け方を伝える。
「余白を意識して真ん中にこんもりと盛り付け、最後にバランスを見ながら八角を…花を散らすように乗せましょう。
うふふ…
私の夫は昔から八角を効かせた豚肉の角煮が大好きなんです。ちょっと喧嘩した日など、これを作ればすぐに仲直り、ラブラブです。愛の媚薬ですね。
皆さんの旦那様にも八角好きがいるかもしれませんね。…長く一緒にいると喧嘩をする事もあるかもしれませんが…媚薬だからといって庭に落ちている日本製スターアニスを料理に使ってはいけませんよ」
そう言うとクスクスと生徒から笑い声が漏れる。
「先生、私、今日拾って帰っても良いですか?」
年配の女性が声をあげる。
「ええ、いくらでも庭から拾って行って下さい。甘い誘惑に負けて下さい」
そう言うと生徒たちは一斉に笑った。
神木莉子の一人を除いて。
他県から来た神木は、このブラックなジョークの意味がわからないのだろう。
それでいい。
これは私から貴方へのメッセージ。
貴女はこれまでの罪を精算するのよ。
。。。
私はこの地で代々続く寺に長女として生まれた。
後を継ぐはずの弟は、大学生の時に交通事故で他界してしまった。寺を存続させる為に、東京で働いていた私がこの地に戻り婿をとることになった。
急な話しではあったが、私とて自分の代でこの寺を無くしたくない。信頼できる檀家さんの紹介で夫と知り合い結婚した。
後継ぎが決まり安心したのか、しばらくすると父が、その後を追うように母が亡くなった。
そして正式に夫がこの寺の住職になった。
お見合い結婚であるが、お互い思いやりそれなりに愛し合うことが出来たし、穏やかに暮らせていると思っていた。
けれど…
夫は五悪に溺れていた。
五悪とは、生き物を殺す「殺生」・人の物を盗む「偷盗」・婚姻外の性行為「邪淫」・嘘つき「妄語」・快楽に溺れる「邪見」この五つのこと。
この寺を偸盗し、隔週の金曜日に「会合」があると出かけて行く妄語。その後の邪淫、邪見。
それと…
夫の裏切りを知った私の心を殺した「殺生」の許しがたい罪。
。。。
「渚先生」
8年前から自宅で毎週金曜日に料理教室を開催している。
生徒さんは10人ほど。
その日の授業も終わり皆が帰った頃、帰ったと思っていた神木に呼び止められた。
2年前に入会した神木莉子。
明るい茶色のロングヘアーを軽く巻き、後ろでふんわりと結いた儚げな雰囲気の女性。
この地に嫁いできてまだ数ヶ月の頃、忙しいご主人は留守がちで心細いからと、友達作りと馴染みない土地の料理を覚えたいと言っていた。
「渚先生。私、先生のクラスで教わったお料理を料理アカでインスタに載せてるんです。良かったら見て下さい。あ、恥ずかしいので他の人には絶対に内緒にしてくださいね」
そう言って神木は口元に人差し指を立てた。
そしてアカウント名の書かれたメモを渡される。
名前で検索するなんて手間だと思いつつも、自分の生徒の料理アカウントを楽しみに探した。
「これかしら…」
半年程前から教室があった翌日あたりに更新されているようだ。教室で作った料理をもう一度家で作って、ご主人に食べさせているらしい。
「嬉しい…」
教室のために金額を抑えたレシピを考え、それに合わせた食材の手配をしたり、前日の仕込みをしたりで教室のない日も忙しく過ぎていく。
それに加えて寺の掃除や、見回り、経理などやる事が山積している。
そんな忙しい思いをしても、教室に来た生徒さんは暇つぶしであったり、ただ会話する為に来ている人もいて…
「もう一度家で丁寧に作ってもらえるなんて…教室をやっていて良かった…」
心から嬉しいと思った。
インスタにはご主人の顔は出さないが、寄り添ったり、手を握ったりしている写真が載せてあった。
若いからだろう。仲良しアピールが凄い。
風呂上がりにご主人の膝の上に座っているような写真。
手を絡めシャンパンで乾杯する写真。
きわどい下着のプレゼントなど、料理そっちのけでいちゃいちゃとしている写真を苦笑いしなが見進めていく。
ベッドの上に料理が乗せられ、神木は風呂上がりなのか短いバスローブを羽織り、太腿を見せている。
そばには裸で眠るご主人がチラリと見える。
さらにスライドすると、裸で眠るご主人の肩に神木がキスをしていた。
その写真にひゅっと息を飲む。
「この肩のホクロ…………………」
ありえないと思いつつ、目が離せない。
まさか…
さっき見た写真や、他の写真に写っている「神木のご主人」であるはずの人物を探す。
指先も、背中も、手も…
「違う違う…」と否定しても、記憶の中で確かに見慣れた指先、見慣れた背中。
料理が置かれたテーブルの隅に映る誰も座っていない椅子。
背もたれに掛けられた、一番下のボタンの糸だけ黄色が使われた青いシャツ。
凍りついた心臓を、背中から一突きに刺された気がした。
「このシャツ…………和希さん……」
他の人と被る事が無さそうと選んだ綺麗な青色のシャツ。一番下のボタンがとれた時、私がわざと黄色の糸で付け直したのだ。
他の写真にもよく見ると、なにかしら和希さんの持ち物らしき物が少し映り込んでいる。
神木が和希さんの影を匂わせている。
「…他の人には絶対に内緒にしてくださいね………」
囁く神木の声が耳元で繰り返された気がした。
あの日から世界が一変してしまった。
あれ以降一度もインスタは見ていない。二人の関係を認めるようで嫌だった。
「渚先生、私のインスタ見て下さいましたか?」
あれからしばらく経った金曜日、授業が終わった教室にて神木に聞かれた。
「ごめんなさい、その…忙しくてまだなの。教室以外にお寺のお仕事もあるでしょう。疲れてしまって見れてないわ…本当にごめんなさいね」
咄嗟に口から出たのは嘘だった。
「そうですか…是非見ていただきたいのですが…」
「ごめんなさい。時間がある時必ず…ね」
教室から出て行く神木から目を逸らし…震える体を強く両手で抱きしめた。
その辺りから、神木は挑発的な態度をとるようになった。私が気づいていないと思っているからか、教室でも匂わせ発言をしてくる。
「まだ気づかないなんて相当おめでたいですね」
何を言われても笑って誤魔化す。
二人の関係に気づいてないふりをするのが精一杯だった。教室が終わると、その日神木に言われた言葉が繰り返し私を傷つける。
夫の浮気を知ったとて、どうすれば良いのか。
誰にも相談出来ず過ごす日々。
私さえ我慢すればこのまま暮らして行けるのか。
夫を奪われたくない。
私さえ我慢すれば……
そう思う私の心を壊したのは他でもない夫であった。
土曜の夕食。出された料理を一口食べた夫が言った。
「やっぱり渚の料理は美味しいね」
ほわほわと上がる蒸気の向こう。夫の笑顔が歪に見えた。
「…誰と比べて?」思わず漏れてしまった。
「え?何か言った?」
ちょうどテレビがCMに切り替わり、賑やかなBGMに私の声はかき消された。
「…ううん。美味しく食べてくれて嬉しいわ」
夫の何気ない一言は、意図も容易く私の心を粉々にした。
。。。
ーーー東京ーーー
警察署の二階。会議室を出たところで先輩の吉村警部に呼び止められた。
「おう佐々木、お疲れ。お前この休みどうするんだ?」
一つの事件が解決し、やっと3日間の休みがもらえたのだ。
「吉村さんお疲れ様です。休みは帰省します。実家がお世話になっている寺の住職が、浮気相手に毒を盛られて二人共死んで住職が変わるとかなんとかで。その前に一度墓参りしろって親に言われてるんですよ」
廊下を並んで歩きながら、母親から電話でもらった情報を伝える。
「んん?毒を盛った浮気相手も死んだのか?」
「はい。浮気相手が作った料理に猛毒が入ってて、それを一緒に食べたらしいです」
「……毒を盛った浮気相手も一緒に食べたのか?」
「はい。その毒を浮気相手が寺から拾って帰る姿が、寺の防犯カメラに映っていたんです。それで拾った毒と体内から検出された毒が一致して、それが証拠になって犯人は浮気相手に絞られました。殺人、事故、心中で捜査したんですが、最終的に「事故」として処理されたそうですよ」
「待て待て。猛毒を寺から持ち帰るってどう言う事だ?」
「あー…検死の結果、検出された毒は神経毒のアニサチンでした。アニサチンは植物のシキミから取れるんですよ。シキミは仏事や神事に用いられるので普通に寺に生えています。
つまり寺に生えているシキミの実を持ち帰り料理に使ったわけです。実家がある土地ではシキミはわりと普通に生えているんです。栽培農家もあって身近な猛毒です」
「浮気相手はシキミの毒を知っていたのか?」
「いえ、たぶん知らないです。確か…東京から嫁いできた…とか聞きました。東京の若い人でシキミを知る人は…あまりいないと思いますよ。シキミに馴染みがある僕らは、それこそ幼い頃からシキミの毒や危険性を叩き込まれますけどね」
「何でまたそんなモノを…」
「シキミの中で一番強い毒を持つ実の部分は、料理に使われる「八角」とそっくりです。昔は日本製スターアニスと称して海外に輸出したそうですよ。まあ、食べた皆さんお亡くなりになったんですけど。あ、ちなみに日本では八角は自生していないそうですよ。つまり日本で見かける八角はほぼ毒です」
「へー…」
吉村さんのこの「へー…」を聞いた時、僕は嫌な予感しかしなかった。
。。。
「………何で吉村さんもついてきたんですか?」
地元の駅に着いた時、僕の隣りには吉村さんがいた。
「ちょうど俺も休みだし?お世話になっている佐々木の御先祖様にご挨拶しようかな〜って思ってな」
そう言って胸の前で手を合わせてハートのカタチを作る吉村さん。
「なに女子高生ぶってるんですか。これパワハラって言うんですよ」
あれから事件に興味を持った吉村さんが無理矢理僕の帰省に着いてきた。
シキミ毒について知りたいとかなんとか。
事件の調書を見てみたが…
この件は「事故」として捜査は終了している。シキミを食べた神木莉子も、住職もこの世にいないのだ。
料理教室の生徒たちへの聞き込みや防犯カメラを調べて…神木のインスタ他SNSも調べた結果、神木莉子の突発的な単独の犯行で間違いなかった。
妻が自宅で不倫相手と死んだというだけでもショックなのに、裏アカで自分以外の男との関係をインスタに載せていたと知った神木の旦那さん。捜査終了後、すぐにこの地を離れたそうだ。
住職の奥さんとて同じ事だ。
夫の浮気相手は自分の料理教室の生徒。使われた毒は寺のシキミ。天涯孤独になった奥さんは、この寺を人に渡す事にしたそうだ。
。。。
翌朝、父の車を借り僕の運転で墓参りに向かう。
僕の隣には吉村さんが座って欠伸をしている。駅前のホテルを予約したはずの吉村さんは僕の実家に泊まった。
「よく起きれましたね」
「あれくらいなんともねえよ」
うちの父と話が盛り上がり、叔父さんまで呼び出して朝までどんちゃん騒ぎ。僕は付き合いきれずに先に寝てしまった。
なのに今朝、僕がキッチンに降りた時、吉村さんはおかわりした味噌汁を母から受け取ったところだった。
「先祖の墓、どこにあるか忘れました」
広い墓地、久しぶりに来たせいでどこに墓があるのかすっかり忘れていた。
「それでも刑事か?」
「すみません。寺の人に聞きに行きます」
「すみませ〜ん」
「はい…」
「あの、佐々木家の墓に行きたいのですが…」
「佐々木家…?」
「はい、久しぶりに来たらどこだかわからなくて…」
水桶を手にして、案内してくれる奥さんについていく。
「お互い子どもの頃、何度かお会いましたよね?確かご職業は…」
「警察官です。こちらは先輩の吉村さんです」
「どうも、吉村です。この度は大変でしたね」
「はい。あ…私は深見と申します…」
警察が二人も来たことで奥さん…深見さんの顔が強張るのがわかった。
「いや、私も休暇できているんです。そんな身構えないで下さい」
吉村さんが手をひらひらさせて言う。
「先輩はシキミを見た事ないんですよ」
「そうなんですか?」
驚く深見さんに吉村さんは質問した。
「ええ。シキミなんて初めて聞きましたし、見た事もないんですよ。どんなもんですか?」
「吉村さんの後ろにあるやつです」
「ほう…これがシキミ…ですか。毒なんですよね」
「はい。シキミの名前の由来は多くあるんですよ。四季を通して美しいことから「四季美」だったり、毒の実をつける事から「悪しき実」だったり」
「ほう、なるほど。悪しき実…ですか。料理教室をやってらした…とか」
「ええ…」
「神木莉子は…」
「生徒でした」
「この寺からシキミの実を拾ってそれを料理に使ったんですよね」
「はい。……あの…知っている事は全て警察にお話しましたが?」
「ああ、すみません。職業柄つい色々聞いてしまうんです。気を悪くしないで下さい。…うーん。それにしても不思議だ。シキミに猛毒がある事を知らない神木は何故、庭にシキミがあるのを知っていたんでしょう?何故実を拾ったんですかねぇ?」
自分の背後にあったシキミをまじまじと眺めていた吉村さんが、深見さんに目を移す。
「ああ、多分それは私が「旦那さんと喧嘩したからといってうちの庭のスターアニスを使ってはダメですよ」と言ったからです」
深見さんのその言葉に僕は吹き出した。
「ぷぷ…それ、うちの母親もよく言います」
「あ、やっぱり?うふふ。うちの母親も昔よく言ってました」
僕と深見さんにとっては、なんて事ない日常の会話だった。
シキミに馴染みのない先輩はこのブラックジョークがわからなかったらしい。
「なんだ?庭のスターアニス?シキミじゃねえのか?」
笑顔のまま深見さんは説明する。
「ここではシキミの事です。この地方では奥さん方は「旦那にシキミを食べさせる」ってジョークをよく使うんです。ほら「亭主元気で留守がいい」って言うのと同じです。スターアニスと言うのは八角の事ですが「庭のスターアニス」と言えば、ここら辺ではシキミの事を差すんです。ちょうど教室で八角を使ったレシピだったので、皆さんと笑い話として話したんです」
「おお…そんなジョークを。世の中の奥さんは恐ろしいですねぇ。ところで…深見さんは神木とご主人の浮気を知っていたんですか?」
「…いいえ……。この事件で初めて知りました」
「認識ある過失…」
考えこむ吉村さんがふと漏らした一言。
「え?」
僕は慌てて吉村さんを制する。
「ちょっと吉村さん…この件は終わったんですよ、僕たちは休暇中ですよ」
吉村さんは僕を無視して続けた。
「認識ある過失っていうのは、もしかして事故になるかもしれないと思いつつ、まあ、大丈夫だろうと思っていたら事故が起きた場合の罪です。これ、事故が起きればいいなと思っていたとなると未必の故意になり、罪の重さが変わります。
…深見さんは…どちらですかね?」
さっきまで笑顔だった深見さんが険しい顔で聞く。
「どういう事…ですか?」
「二人の関係を知っていて、シキミの話をしたのでは?」
吉村さんはそう言って深見さんを見つめた。
その問いに深見さんは「フ…」とため息のような笑いを漏らした。
「前に……前に神木さんにインスタを見るよう言われたんです。料理アカだから。と。でも、見たら旦那さんとの仲良しアピールでした。あまりに過激で一回で見るのをやめたんです。まさか…あそこにいたのが夫とは夢にも思いませんでした。あの時気づいてアクションを起こしていたらこんな事になっていなかったのでしょうか?二人の関係を知っていれば…」
調書にもあったが、深見さんは一度だけ神木のインスタを検索している。見たら料理ではなかったので見るのをやめたと。履歴を調べても本当に一度だけだった。
実際、神木のインスタを見ても深見さんの旦那さんの顔は写っていない。神木は「私の旦那様」と書いているので、見た人は普通に婚姻関係の旦那さんだと思うだろう。
男女の事後を思わす投稿が多く、神木のご主人もショックで途中で見るのをやめたと聞いた。
深見さんはゆっくりと続ける。
「常識の違い…でしょうか。吉村さんは…紫陽花、鈴蘭、水仙にも毒があるって知っていますか?」
首を横に振りながら吉村さんは答えた。
「鈴蘭や水仙は知っていましたが…紫陽花にも毒があるんですか?」
「はい。紫陽花や鈴蘭を食べる人はいませんが、水仙をニラと間違えて食べてしまう人はいるんです。吉村さんは、水仙とニラの見分けがつかずに食べてしまうかもしれない人をどうやって探しますか?一人一人聞きますか?」
「いや…そもそも水仙を食べると思わないですね」
軽く肩をすくめて返す。
「それが常識ですよね?それと同じようにこの地方ではシキミは毒っていうのは常識なんです。そして旦那に食べさせるというジョークも普通に言うんです。言ったからと言って本当に食べさせる人はいません。それがこの地の常識だからです。…佐々木さんにはこの常識がわかると思いますが?」
「はい。常識…です」
その土地でしか通用しない常識というのは何処にでもあるものだ。
それを非常識と言うのなら、それこそ非常識だろう。
「あの日、クラスには10人の生徒さんがいました。拾って帰ると言った人もいましたが、実際には拾う人はいません。私たちにとってはたわいもない日常会話です。「認識ある過失」でも「未必の故意」でもなんでもない、普通の会話なんです。
もし………
それでも…それでももし、私が夫を殺したと言うのなら…ならば教えて下さい。
夫がいなくなって私に何が残るのか」
目から涙が溢れないよう、堪えながら吉村さんを見つめる深見さん。
しばしの沈黙の後、吉村さんは軽く両手を上げた。
「いや、失礼しました。休暇中だというのについ余計な詮索をしてしまいました。本当に申し訳ない」そう言って頭を下げた。
「…いえ……私もつい感情的になってしまいました…」深見さんは、結局こぼれ落ちた涙を指でぬぐうと一呼吸置いてから「愛宕山しきみの原に雪つもり花つむ人のあとだにぞなき」そう歌を詠んだ。
「平安時代中期の歌人曽禰好忠の歌なんです。雪が降って愛宕山に参拝する人もいないという意味です。ただそれだけの歌ですが一抹の寂しさを感じます。
まるで、父も母も弟も夫も…家族は誰もいなくなり、寺も人に渡った私の心情を表しているかのような歌に思えます……
…明日、私はこの地を離れるんです。引越しの準備があるので失礼します」
深見さんはそう言って深く頭を下げてから、その場を離れていった。
「吉村さん…」
僕はやりきれない気持ちで吉村さんを見た。
「ああ…例え「認識ある過失」だとしても立証は出来ない…だろうな。大勢の前で常識的なジョークを言っただけだ。この地では誰も本当にシキミを食べさせるとは思わないんだろう?」
「はい…もしそうなら父はとっくに母に殺されています」
「…だろうなぁ……俺も危なかったな…」
昨日のどんちゃん騒ぎを思い出したのだろう。そして吉村さんは先程の歌を詠んだ。
「愛宕山しきみの原に雪つもり花つむ人のあとだにぞなき…か……」
「寺に参拝する人がいないってだけの歌なのに、本当に物悲しさを感じますよねぇ」
「本来ならそうだな。でも……「花をつむ」…この場合の花は女の事かもしれねぇな…。しきみの原はこの寺。浮気して女を摘む旦那がいなくなったって事…じゃねえかなぁ」
なるほど。吉村さんの言う通りかもしれない。
「ま、俺には女心は全くわからないがな…」
「わかっていたらせっかくの休暇に、僕の帰省についてくる事も無かったでしょうね」
「ああ?なんだ?お前、乙女心の持ち主か?お前の気持ちなんざわかりゃしねーよ」
女性の気配がない吉村さんへの嫌味のつもりだったのに…
「じゃあ言います。僕は今、吉村さんの口に「悪しき実」を山ほど放り込みたい気分です」
。。。
参考資料 Wikipedia ( https://ja.m.wikipedia.org/wiki/シキミ )
• シキミの花言葉は「援助」「甘い誘惑」「猛毒」です。
• 毒の話なので、敢えて場所を限定していません。
• 奥様方の「シキミを食べさせる」と言うジョークは、物語のために考えたものです。
• シキミから採れるシキミ酸を原料に、インフルエンザ薬の「タミフル」が作られたりしています。
• 「認識ある過失」の刑罰は「過失致死」になると思います。(素人予測)
• 吉村と佐々木は「性格の不一致が夫婦不仲の理由ですが「死んでくれ」と考えているところは一致しています」にも出てきます。
拙い文章、最後までお読みくださりありがとうございました