8話 変化
許斐ひかる 大きな犬が好き 実家にラブラドールがいる
桑野綾人 猫が好き 昔彼女と猫を飼っていた
ストーカー役がハマるだろうなという俺の読みは当たって、そのドラマがオンエアされてから一気に桑野が売れた。
俺もドラマは観たが、虚な独特の雰囲気だったり、セリフの間の取り方だったり、桑野のそれが絶妙だった。クセのある演技がどうやら得意らしく、好青年が仮面を外していく様子を、桑野は見事に演じた。
特にラストの独白のシーンは、俺が全く知らない桑野が映っていてどきっとしてしまったくらいだった。
ドラマはヒットして、朝の番組でよく取り上げられるようになった。主演の俳優が主に番宣で出ていたが、そこに桑野が加わるようになった。
相変わらずテレビに出てしまうと面白いことなんか言えなくなる桑野だったが、俳優として出演している時はそれも気にならなかった。
綺麗にヘアメイクをされて、女優と色味を合わせた衣装を着ている姿はなかなか様になっていた。
癖のない顔をしているとは思っていたが、一気に垢抜けて、なんだか本当に初めから俳優をやっているように見えた。
それから、桑野に俳優の仕事が一気に増えた。
純粋に、桑野が売れた事は嬉しかった。
地味だの目立たないだの言われていた桑野が、こうやってようやく見つかったのは素直に嬉しい。
でもそれと同じくらい、自分が桑野のこの才能を見出せなかったことが悔しかった。
漫才でもっとキャラを立てれば、もっと早く桑野は売れたのかもしれないと何度も何度も悔しく思った。桑野がどんどん遠くなるような気がして、本当は少し怖かった。
桑野がドラマに出る尺はどんどん増えた。
桑野がメディアに紹介される際にコンビ名の表記が省略されるようになった頃にはもう、事務所主催の小さなライブに桑野はあまり出なくなっていた。出られたとしても俺たちの出番でだけ劇場に入って、終わったらすぐに移動することが増えた。
漫才に関しては、単独ライブと大きなライブのみをメインで出るようになって、お世話になった小さなライブのゲスト出演依頼の話は、もう断るしかなくなってしまった。
賞レースには今のところエントリー予定だけど、どうなるのか俺たちにもわからなかった。
なんせ、新ネタを披露する場も無ければ、練習する時間も無くなってきていたからだ。
ラジオはまだコンビで続けている。
だけど生放送では無く録音が増えた。桑野の撮影のスケジュールが、ラジオと相性が悪かった。
俺は相変わらずずっと芸人の仕事をしている。
後輩が少しずつ増えてきて無茶すぎる企画は無くなってきたが、まだまだ身体を張る仕事も酷いドッキリも受ける。
ロケの仕事やトーク番組に出ることも増えて、お昼の情報番組のレギュラーも決まった。
露出が増えるたび、ピン芸人だと思われることも増えた。
桑野の名前を出してあれ相方なんですよと言うと、どこでも少しウケた。桑野のことをじゃない方芸人だったくせに生意気と言ったら、SNSで桑野のファンから怒られたことがあった。
時々、若手のアイドルなんかだと本当に桑野と僕がコンビだってことを知らない子もいて、純粋に驚かれる時もある。正直その瞬間はキツかった。
桑野と顔を合わせる機会が減った。マネージャーを経由して桑野の話を聞くくらいで、同じ仕事が無いとなかなか会えなくなった。俺も桑野も、違う方を向いて仕事をしていた。それぞれ別の方向に忙しかった。
桑野さん、この前寝坊して遅刻するって言って、なぜか現場に一番乗りに着いてましたよとマネージャーから聞いた時に思わず吹き出してしまった。桑野らしいなと思った。ひとしきりマネージャーとどういうことなんだと笑ってから、この話は桑野から聴きたかったなと思った。プライベートじゃなくてもせめて、フリートークとかで桑野から聞きたかった。