6話 成長
許斐ひかる 部屋はシンプルにスッキリさせたい
桑野綾人 部屋は好きなものをたくさん置きたい
ちょうどそのあたりでまた、部屋の更新の時期が来た。
お互いバイトもそろそろ辞めようかってタイミングで、話し合った結果俺たちはここでルームシェアを解消する事にした。
2人とも次はアクセスの良さと実家の近さで新居を決めて、これで同じ電車を使う事も無くなった。
そんなこんなで引っ越しが決まって、休日を丸一日それに充てて、後輩にも手伝ってもらって部屋を空っぽにした。
後輩がちょうどゴミを捨てに行ってくれていて、10分くらい2人きりの時間ができた。
最後に床を綺麗に磨いて、すっかり生活の匂いが無くなった部屋の中で桑野と2人で話をした。
「ちゃんとここを出られて、良かったかもね」
「確かに。ずっと2人で住んでる方がやばいもんな」
5時を過ぎると、近くの公園からチャイムが聞こえてくる。音が割れた安っぽい童謡は、夜勤前のアラーム代わりでもあったから嫌いな音だった。
冷たいフローリングに2人であぐらをかいて座っていた。ちらっと桑野を見たら、泣きそうな顔をしていることに気がついてしまった。
あまり泣いているところは見た事が無かったからドキッとした。普段映画を見てても全然泣かない桑野がそんな顔をしていると、なんだかぐっときてしまう。
急に鼻がつんとして、つられて涙が出てきてしまった。俺はこうなってくると止まらないタイプで、ぼろぼろ涙が溢れた。
気がついた桑野がけらけら笑って肩を組んできた。雑にゆさゆさ揺らされて、情けない気持ちになる。
「なんだよ、お前そんな泣くなよ!」
「うるっさい、先泣いたの桑野じゃん」
お前だって鼻声のくせに。赤らんだ鼻先と目元で、泣いているのはすぐ分かった。
桑野が肩を組んだまま、揺さぶるのをやめた。
俺が鼻を啜る音と、遠くを走る車の音と踏切の音がかすかに聴こえていた。すっかり日が暮れてきて、薄暗い部屋の中で互いの輪郭がぼやけていた。
桑野は黙ってしまった。黙ったまま、ほんの少しこっちに体重をかけて寄りかかってきた。男2人で何やってるんだろうとも思ったけど、今日は振り払わないで黙って桑野の好きにさせた。
「ありがとね、ずっと相方でいさせてくれて」
「…なに急に、ありがとうって」
普段は割と堂々として自信家で、テレビで喋れなくてもネタを飛ばしてもケロッとしているような桑野が、突然そんなことを言った。
俺は2人でやってるのが当たり前だったから、感謝された意味が分からなかった。
それ以上、桑野はなにも言わなかった。
いまいち表情の読めない横顔を眺めていると、視線に気がついたのかこっちを向いた桑野と至近距離で目が合ってしまう。
キスする時の距離だなと思ったら、そのままなんとなく顔を寄せてしまった。
一瞬、唇同士が掠る程度の簡単なキスをした。バラエティやライブの企画で、悪ノリで何度か桑野とキスはさせられたことはあって、当たり前だけどその時の感触となにも変わらなかった。
俺か桑野か、どっちかが何か言うより先に、慌ただしいガチャガチャという音が部屋に響く。立て付けの悪いドアは、鍵を開ける時こんな風に煩わしい音が鳴る。桑野が先に立ち上がって、中から扉を開けた。後輩と大家さんの2人が扉の外には立っていて、どうやら途中で合流したらしかった。
「あれ、桑野さん泣いてます?」
「俺より許斐のが泣いてるよ、あいつ号泣してた」
「…普通に言わないでくれる?そういうの」
意外ですね!と後輩に失礼なことを言われて、後輩本人とついでに桑野を小突いた。
家を無事に引き払って、後輩に2人で飯を奢って、それからそれぞれの家に帰った。別に一緒に住んでたからってずっと話したり顔を合わせたりしているわけでもなかったけど、自分以外の生活音がしない1人の部屋は、耳が痛くなるほど静かで寂しかった。
夜、1人で眠ろうと布団に入った時が一番寂しかった。もうお休みを言う相手もいなければ、イビキに文句を言いに行くこともない。
ほんの少しまた涙が出た。