4話 光
許斐ひかる いくらが苦手 プチプチしてて無理
桑野綾人 トマトが苦手 ぬるぬるしててイヤ
ルームシェアのルールがようやく確立して、揉め事が減ってきた頃には事務所が決まって、少しずつ呼ばれるライブが増えていった。
なんとなく漫才のスタイルが決まってきて、俺たちを観に来るお客さんが増え始めて、本当に少しずつ少しずつだけど、俺たちは名前を広めていけた。
お互い掛け持ちしていたバイトも、この頃ようやく一つ減らした。
鼻先に冷たい空気が突き刺さる季節。
結成してから8年くらい経って初めて、テレビの深夜番組にネタ披露のオファーが来たと、劇場からの帰り道でマネージャーに伝えられた。
たまたま打ち上げに参加せず、まっすぐ桑野と帰っている時だった。興奮して上擦った声でそれを桑野に伝えたら、人目を憚らず思いっきりハグをされた。
急に飛びつかれてそのまま俺はよろけて尻餅をついた。それでも桑野は俺の首元に腕を回して抱きついたままだった。ダウンジャケットが擦れるカシャカシャ乾いた音が、小さく耳元で響いていた。
幸い新宿駅の東口を歩く通行人は誰も彼も他人になんて興味が無くて、早足で俺たちを避けて通り過ぎていくだけだった。
だから、恥ずかしさよりも嬉しさの方が勝った。「痛いよばか」と文句を言いつつ、桑野が思いっきり喜んだのも誇らしかった。
「良かった、やっと許斐が見つかったんだ」
あの時、桑野はぼそっとそう言った。
2人じゃ無くて、俺が世間に見つかったと言った。
2人だったからやってこれたんだよって、言う前に電車がホームに着いて、言えないままになってしまった。
照れくさい言葉も、あの時なら言えたかもしれなかったのに、言えなかった。
電車の中でも、最寄駅に着いてからも、俺よりずっと桑野が嬉しそうにしていた。
駅の階段を駆け足で降りて転んでいた。目立った怪我は無かったがちょっとだけ足を捻ったようで、家までの帰り道、俺の肩に掴まってひょこひょこ変な歩き方をしていた。正直呆れた。何やってんだよと思った。結構痛かったのか、嘘みたいに桑野のテンションは下がっていて、それは少し面白かった。
だけどこんな風にコンビの成功を(まだ成功かも分からない段階なのにも関わらず)、素直に喜べるところが桑野のいいところだと思う。
俺が一緒にやって行きたいと思ったのもこの雰囲気が好きだったからだ。
ちなみに桑野は後日捻挫と診断され、ひょこひょこ変な歩き方で漫才をする事になった。流石にテレビ収録までには治ったが、すごくやりにくかったため2人で身体には気をつけようと誓った。