3話 日常
許斐ひかる コーヒーはミルクだけ入れる派
桑野綾人 コーヒーは砂糖もミルクもどっさり派
「…なんでいるの」
「漫画借りにきて、居座っちゃった」
ルームシェアを始めてからそこそこ時間がたった。
その日、俺がバイトから帰ってくると俺の部屋に勝手にクッションを持ち込んで床に座って、桑野がパラパラ漫画を読んでいた。
時々、桑野が俺の部屋に勝手に入っている時があった。自分で人の部屋に入らないルールを設けておいて、桑野はこうやって破ることがあった。
「お前が嫌って言ったから、お互いの部屋は行かないルールにしたんじゃないの」
「…許斐はあんまり気にしないでしょ、部屋勝手に入られて嫌とか」
「まあ…そうだけど」
都合良くルールを無かったことにするところには腹が立ったが、別に俺は部屋に人が居ても気にならないタイプだったから、こうやっていつも放っておいていた。
桑野は漫画を読んだりスマホを触ってたりするだけで、特に俺に話しかけたりもしない。部屋着に着替える俺に見向きもしないでページを捲り、10分もすればいつも部屋から出ていった。
本当に時々稀に、バイトの夜勤明けに帰ったら部屋に来ていた桑野が、そのまま俺が仮眠を終えるまで居たこともあった。
「……え、ずっといたの?」
「うん。…おはよ」
「おはよ…いや、なんで?」
「別に、なんとなく」
流石に意図が分からなくてどうしたのか聞いても、桑野はいつもなんとなく、と言うだけだった。
意味深な言葉に見えて、本当に何も考えていないのが桑野だ。だからそれ以上は俺もなにも言わなかった。三人兄弟の末っ子で、ちょっとお坊ちゃんで甘やかされ可愛がられ育った桑野は、多分人恋しくて俺の部屋にいたんだと思う。
そんなふうに俺は思っていた。
まだ寝ぼけた頭で桑野の方を見る。こくんと頭が揺れたのを見て、座ったまま居眠りしていたんだと分かった。
ちょうど日がてっぺんに登る前くらいの時間。
徹夜明けだとやけに陽の光が目に刺さってしまって嫌だから、カーテンは閉じままで部屋はぼんやり薄暗かった。強烈な眠気がまた襲ってくる。
「…寝るならこっちくる?」
気まぐれで声をかけた。
少し肌寒い季節だったから、布団にもう1人くらい居ても良いかなと思ったからだった。
少し間を置いてから、桑野が黙って近づいてきて、布団をめくってのそのそ入ってくる。ほんの少し触れた足先が、びっくりするくらい冷たかった。
背中合わせで、狭いシングルベッドに2人で転がった。桑野が入ってきたからすぐに布団が温まる。時々触れる背中も暖かくて、俺はすぐにまた眠ってしまった。
昼過ぎに、空腹感に耐えきれず目が覚めた。
桑野はもう隣には居なくて、台所に食べ物を求めてふらふら立ち寄ったら桑野が何か作っていた。卵焼きをくるくる巻いているところだった。
「おにぎり作っておいたから食べてなよ、腹減って起きたんでしょ」
「……ありがとう」
「おう」
テーブルの上に、ラップがかかったおにぎりが1人分置いてあった。まだちょっと温かいままだったから、桑野はちょっと前に起きて真っ先に俺に飯を用意してくれたのかもしれない。
用意してもらったおにぎりをありがたく頬張りながら、彼女みたいなことを時々してくるよなぁと複雑な気持ちになった。俺は不器用でこんな風には人に気を遣えないから、余計にそう感じてしまう。
トン、と目の前に卵焼きが置かれる。黄色一色で、隙間なくぴっちり巻かれた卵の層が見える断面が綺麗だった。いつの間にこんなに上手くなっていたんだろう。
「はいどうぞ」
「ありがと……なんでここまでしてくれるの」
「え?だってお前が倒れたら俺も野垂れ死ぬことになるし。俺ネタ描けないもん」
「…………そうですか」