2話 駆け出し
許斐ひかる 好きな食べ物はラーメン 塩が好き
桑野綾人 好きな食べ物はラーメン 味噌が好き
養成所を出て、事務所も決まらないままふらふら地下ライブに出ていた頃、お互い生活するため行っているバイトのせいで時間が合わずにネタ合わせができなくなってきた。
それじゃあ本末転倒だと思った俺の方から、桑野にルームシェアを提案した。
当時桑野には付き合っている女の子が居たし、ほとんどダメ元での提案だったが、芸人に誘った時と同じくらいの軽さで、桑野はいいよと言った。
中央線沿いのボロ屋の2人暮らしは、そんな風に始まった。
ちなみにルームシェアを初めて2ヶ月くらい経ったころ、その女の子と桑野は別れた。俺は会う時間が減ったのも原因な気がしてちょっと申し訳なかったけど、俺よりちょっとモテる桑野はケロッとしていた。
ルームシェアは、俺には合っていた。
鍵っ子で、幼少期からずっと帰宅後は1人だった俺は誰かにおかえりって言ってもらえるのがすごく嬉しくて、どんなに喧嘩が起きても2人暮らしは楽しかった。
ご飯を作ってもらったら皿を洗うこと、風呂トイレ掃除は当番制、お互いの部屋には勝手に入らないこと、女の子を連れ込むなら事前申告してカフェ代を渡すこと、喧嘩を次の日に持ち込まないこと。揉めるたび小さなルールを作って、それまでずっと実家暮らしだった俺たちはどうにか2人で円満に暮らそうと、それはそれは努力した。
しばらく経つと、意外にも料理の才能があった桑野がキッチン周りは管理するようになったし、マメな方の俺が掃除を担当することが増えた。
ただ、桑野は一度ハマったらずっと同じ事をするタイプで、卵の焼き方に凝って1週間毎日オムライスを作ることなどがあって、そういう時はそれとなくクレームを入れた。
「待て、ちゃんといただきますって言って」
「いただきます」
「良し!食っていいよ」
「……俺、犬じゃないんだから」
「美味かったら美味いって言ってね」
「…めっちゃ美味い。なんかまた腕あげた?」
桑野がエプロンを身につけだした頃には本当に料理が上手くなっていて、この先女の子と付き合った時にこいつと比べちゃいそうでやだなぁと思ったくらいだった。
仕事の方は、あんまり上手くいかなかった。
お互い毎日ボロボロだった。
劇場に立って滑るだけならまだしも、そもそもお客さんが全く入らなかったり、酔っ払いのジジイにヤジを飛ばされ邪魔されたり、思うようにいかないことがどんどん増えた。
ランキング形式のライブでは、最下位から抜けられない時期もあった。三八マイクにじっと睨まれ、責められてるような気がして、ネタが飛んだことだってもう、数えきれないほど何度もあった。
養成所では成績がかなり良かった分、余計に悔しい思いをした。2人で酷い顔をしたまま帰って、一言も話さず同じ部屋でぼんやり明け方までラジオを聴いた日が何度もあった。
ネタを書いているのは俺だったから、上手くいかない日は俺の全部を否定されたような気持ちになった。
それでも腐らずに何回も板の上に立てたのは、自分が書いたネタで漫才をしている桑野自身が、いつもちょっと笑ってくれていたからだった。
桑野は昔から、俺の話で一番に笑っていた。それは今も変わらいままで、ネタ中も笑いを堪えてる顔をしていた。
あんまり良くないことだって分かってたけど、俺はそれが無かったらきっとダメになっていた。だから漫才中に俺がセリフを噛んだのを見た桑野がツボに入ってずっと笑って滑った時以外は、俺からやめろって言うことは無かった。