あなたの好きなもの。
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彼は、趣味で小説を書いていた。
小説家になりたいのと問うた事もあったけれど、色白な頬を柔く緩ませまさか、と答えた。
お金のかからないその趣味を、わたしは止める事はしなかった。
子どものいないわたし達には、それぞれの時間があった。
休日には、居間で彼が古ぼけたノートPCで小説を打つ。
わたしはコーヒーを淹れて彼に渡しそれを眺める。
カタカタと音は続いたり、しばし止まったり。
そんな音を聞きながら、薫り高いコーヒーを楽しみながら。傍らで読書するのがわたしの趣味だった。
ある日彼がぽつりと言った。
僕が居なくなったとしても探さないで欲しい。
当然、わたしは何を言っているの、探すわよと答えた。
僕がいなくなったらきっと図書館になっている。
脈絡の無いことばに、返事ができなくなった。
君は本が好きかい?
いつもの柔い笑みの問いに、ええ、となんとか返した。
僕も、すきだよ。
彼が本を読んでいる姿を見た事はなかった。
けれどそういうのなら、趣味を変えようとしているのかもしれないと、そう思って。
あなたが運営する図書館なら、わたしが好きな本はすべてありそうね。
ああ、もちろんだ。
そんなおかしな会話の数日後、彼はほんとうに消えてしまった。
突然の失踪に、あちこち手は尽くしたけれど手がかりは何もなく。
彼と過ごしたマンションの一室で、途方に暮れている。
それでも休日にはふたりぶんのコーヒーを淹れて、彼の定位置に置く。
そうしてわたしは定位置に腰掛けて、彼のPCを眺める。
彼のPCは空だった。初期化されていた。
身の回りも整えられ、だから警察は計画的な失踪ではないかとあっさり事件性を打ち消すような事を言った。
彼らにとってはありふれた日常なのだろう。
そうですか、では待ってみますとわたしは食い下がることはしなかった。
薫り高いコーヒー、彼のPC。チカチカとアクセスランプが輝く。
黒い画面には白い文字が現れる。
本日の入庫_タイトル一覧
本のタイトルが並ぶ画面を、どうやっても保存する事はできない。
だからこれはきっとわたしの妄想なのだろう。
それでも手帳に気になるタイトルをメモしていく。
調べてみると最近発売された本ばかり。そしてわたしの好きそうなジャンルばかり。
「あなたが好きなのは小説を書くこと?それとも読書?本?図書館?」
僕も、すきだよ。
「わたし?」
誰も居ないリビングに問いだけが響いた。
END