第六十六話
噂を広めることを決めてから、少しずつ、少しずつ、私たちは行動していった。
アレンデール様はいつもよりも私を気遣いながら寄り添う。
教会は一番近くのところで、慈善活動は控えめにお祈りを多くする。
これにはアレン様のご友人である神父様に協力を仰ぎ、お祈りの際に体が冷えないようにと毛布を貸していただく姿をみんなに見てもらった。
子供たちは私と遊べないのが寂しいと言ってくれて申し訳ないけれど、一緒にお祈りをしたりお話をする形で上手く折り合いをつけてくれたようだ。
勉強は変わらずしているが、社交は日中だけに留めた。
表向きは『慣れない環境で頑張りすぎて疲労がたまってしまった』ということでエアリス様が対応してくださっている。
貴族たちは実情を知りたくて探りを入れてくるけれど、さすがに懐妊したかどうかを直接的に聞いてくるような無作法な人はいなかった。
「……わかってはいたけれど、噂ってすごいわね」
ぽつりと私が呟くと、アンナがそっと笑ってお茶を淹れてくれた。
私の時もそうだったが、さもそれが真実であるかのように噂が流れ始めるとあっという間に広がるだけではなく、知らないうちに話が広まっているのだ。
今回イザヤが耳にしてきた噂はこうだ。
パトレイアの悪辣姫はその美しさから悪評を持って王城の奥深くに隠されていた。
辺境伯がそれを無理矢理奪った。
奥深くに隠されていた哀れな姫を辺境伯が救った。
辺境伯夫人は顔が広く、バッドゥーラの王子も実は愛人の一人である。
辺境伯はバッドゥーラの王子に妻を差し出して懐柔した。
辺境伯夫妻とバッドゥーラの王子の間では密約があり、それに王家も噛んでいる。
パトレイア王家の血を引く子を儲けて、ディノス国はパトレイア王国を乗っ取ろうと目論んでいる……など。
どれもこれもおかしな話で笑ってしまいそうだけれど、アールシュ様や王家の乗っ取り、それらにディノス国が関与しているという噂は少々いただけないということでアレンデール様は今、王城に向かっておられる。
(……それが狙いという可能性もあるから気をつけろと言われたけれど)
私たちがユルヨを真似て噂を用いたのであれば、そこにユルヨも乗っかって悪い噂も流しやすいというものだとアレン様は言っていた。
パトレイア王国の乗っ取りを目論むというのは王太子にマリウスがいるのだからおかしな話なのだけれど……それでも問題は問題だ。
そういう話が出てしまえば、王家だって黙っているわけにはいかないだろう。
責任者としての立場でアレン様だって赴かねばならなくなる。
そうなれば、手薄になる今こそがユルヨにとってチャンスでもあるだろう、と。
(……さすがにそんな単純ではないだろうけれど)
いいえ、あの男を常識で測ってはいけない。
倫理も、道徳も、あの男には無縁の代物なのかもしれないのだから。
かつてあの男自身が言っていた。
知恵ある獣こそが、危険なのだと……。
(私は、何をしているのかしら)
アレン様が隣にいないと、寂しい。
寂しいなんて気持ちは、忘れていたものだった。
なくてもいいとすら思っていたのは、いつだったか。
自分で言い出したこととはいえ、時折どうしようもない不安に苛まれる。
今の私は小さな子供ではなくて、抗えるだけの成長をしているはずなのに……あのダチュラの花のように、ユルヨがいつの間にか私の近くにいたらどうしようと思ってしまうのだ。
(ばかね、そんなことはないのよヘレナ)
私はもう、何もかもを諦めた子供ではない。
あの時と違って、手を伸ばせば誰かが応えてくれる環境にいる。
けれど自分がいつまでもあの頃の……うずくまって耳を塞ぎ、ただぎゅっと目を瞑って全てをやり過ごそうとした子供のままなんじゃないかって。
そう、思ってしまうことがある。
愛されているこの現状こそが私の望んだ夢の世界で、目が覚めたらそこはあの独りぼっちの部屋なんじゃないかって。
「……夢なんかじゃないのよ」
どうしてか、ずっと不安だ。
ユルヨのことばかり考えていたせいかもしれないと、私はアンナに声をかけて庭を散歩するために立ち上がるのだった。




