第六十話
「……ということが昼間、ありました」
「なるほどなあ」
そして夜、夫婦の寝室でエアリス様に言われたことをアレン様に伝えると、彼は小さく苦笑した。
やはり私の行動は、幼い子供のようなのだろうか。
そう思うと、申し訳なくなってくる。
「俺も親の愛というものはよくわからない、じいちゃんがいたけど祖父は祖父であって、父親ではないし」
「……」
「親に愛されたいと願ったことが、俺にだってあるし……ヘレナにもあって当然だと思う」
「そう、でしょうか……」
「おそらくヘレナは両親にそれを向けても返ってこないと知っていて、だから別の人にそれを向けることを覚えたんじゃないか?」
「え?」
アレン様の言葉に、私は首を傾げた。
親に向ける思慕を?
それはどういう意味だろうか。
「俺に対しては夫への愛だから違うかもしれない。親に庇護を求めるような気持ちっていうのか? それを……ヘレナは多分、祖国にいたというアンナって侍女に向けていたんだろう。ただ主従の関係を越えていなかったから、その感情は大きくなっていないんだと思う」
「アンナに?」
ああでも言われて思い返してみれば、私はここに来てから何度アンナのことを懐かしく思ったのだろう。
物語に出てくるような慈愛に満ちた母親、そうした女性の胸に抱かれるような気持ちを彼女に抱いたことはないはずだが……それでも、私は心の支えにしていたのだろうか?
でもそうかもしれない、とも思う。
「ここに来て、誰からもヘレナは【悪辣姫】と呼ばれることはなくなり、自分らしさを取り戻していく中でエアリス様のように闊達な人から好意を向けられて嬉しかったんじゃないか?」
「……嬉しい」
そうだ、この土地に来てから私は人から侮蔑の眼差しを向けられることはなくなった。
嫌悪に満ちた言葉もなく、それが当たり前のように受け入れられるまで少し時間が必要だった。
アレンデール様に妻として大切にされ、愛の言葉をいただくことにもようやく慣れてきた……と思う。
(そうか)
私は、人に好意の言葉と態度を向けられて、同じように好意と言葉を向けていいのか理解できなかったのだ。
だから戸惑ったし、この感情を持て余してしまったのかもしれない。
脳裏に、パトレイア王夫妻を思い描いた。
エアリス様のように私のことを叱り、愛してくれる表情を浮かべさせてみる。
両手を広げ、私を抱きしめようとする二人を想像してみたが……やはり、何も思わなかった。
「……私は、親への愛を求めているけれど、それを両親には向けていない……?」
「まあそれは多分、としか俺には答えられないけれどね」
どこかで残念だと思う反面、やっぱりなとも思う。
私はやはり、実の両親に対してもう何の関心も抱いていないのだろう。
ただこれでアレンデール様に対して、パトレイア王国のために何かをしようとかそういったことでご迷惑をかけることはなさそうだと胸をなで下ろす。
「エアリス様に甘えるといい。彼女はきっと悪いようにはしないさ」
「……ええ」
「俺たちの間に子ができたら、喜んでモレル辺境伯領に移住してきそうだなあ。良い土地を今のうちに見繕っておくか……?」
「まあ、アレン様ったら」
気が早い、そう言いたかったのに私はとっさに自分の薄っぺらい腹に手を添えていた。
自分の行動をおかしく思いながらふと、ベッドサイドにある花に目をやる。
「……」
「どうした? ヘレナ」
「……その、花は?」
「うん? そういえば見慣れない花だな。あまり気にしたことはなかったけど……これがどうかしたのか?」
ロウト状のその花に、私は見覚えがあった。
だってそれは、あの男が好む花だからだ。
いつだって私のところに来るときは、その花を花束にして持って来た。
私の部屋に飾るようにと侍女に渡して『いつだって自分を思い出せるように』と……。
震えが、出た。
「ヘレナ? ……ヘレナ!」
あの男が、私の近くに来たのだ。
この花を飾れるほどの、近くに。
そう思った途端、この幸せが――脆く崩れるような気がして、私はアレン様の声に応えることができなかった。




