第五十一話
「先生、どうしてここに……?」
「モゴネル女史から連絡をもらってのう、いてもたってもいられんで会いに来てしもうた」
はははと笑う先生――植物学の専門家で、エリオン・シュタニフというこの老人は幼い頃の私に多くの植物を教えてくれた人だった。
名前なんてわからなくていい、まずはその生命力を目で見て触れて感じ取ってくれたらいいと穏やかに笑う人だった。
この人は、私が毒に侵されていることを誰よりも早く気づいて解毒を試みてくれた人でもある。
「シュタニフ先生にも、お会いしたかったから嬉しいです……!」
「おお、おお、そう言うてもらえて嬉しいのう」
思い返してみれば、私が庭で花を眺めるということを覚えたのもこの先生に出会ってからだった。
それまでの私は自室でただ、椅子に座っているしかなかったから。
何をするでもなく花を、木々を眺めるだけでも心が救われるということを覚えたのはシュタニフ先生が教えてくれたことだった。
『植物は、我らと言葉を交わすようなことはございません。感情があったとしても、おそらく我らとはまた少し異なった場所にあるのやもしれません。ですが、まるで通じないわけではないとわしは思うておりますよ』
シュタニフ先生が来てくれて、お茶を一緒に飲んで、庭に出て木々が、花が、生きている存在であると改めて知った。
この国に来ても離れで外を眺めていたのは、そうして自分の心を慰めて完結していたからだと思う。
「ご結婚おめでとうございます、姫様。大きゅうなられましたなあ……」
「……先生は、おひげが一段と伸びましたのね」
「ほっほ、実は姫様の……おっと、もう奥方様とお呼びした方がよろしいですかな」
「どちらでも構いませんわ」
「では姫様と。そうそう、それで……姫様と離れることになって、わしは山間部の植物研究に没頭する日々を送ってましてのう。そこでは身嗜みなんぞ適当でも自由で良かったですからなあ、ついつい放置していたらこのようになりまして!」
「まあ!」
おどけてそんな風に言うシュタニフ先生に、私はクスクス笑ってしまった。
そうだ、いつだってこの人も私を笑わせようと面白おかしく話してくれたっけ。
(でも、あの頃の私は、笑えていたかしら……?)
先生の言葉が温かかったことは覚えている。
新緑の鮮やかさを、朝露の美しさを、日の光を受けて力強く咲く花を。
地に根を張り、葉を広げる草木の逞しさに目を奪われてばかりだった気もする。
「……時に姫様」
「はい」
「お好きな花は、見つけることができましたかな?」
その問いかけは、以前にもいただいたことのある質問だった。
あの頃の私はただ首を横に振ることしかできなかった。
何が好きで、嫌いか、そんな意思表示すら誰かに悪く思われるのではないかと怖くて、怖くて……だけれど美しさを知って、それを『何もない』とも言えなかったから。
でも今の私は違うのだとわかっているからこそ、シュタニフ先生は私に問いかけたのだろう。
「はい。……私にも好きな花ができましたの」
「ほほう、それは何かな?」
それは大輪の花などではなく、本当に小さくてともすれば見落としてしまいそうなほど細やかな花だけれど。
それでも私の目のようだとアレンデール様に言っていただけた、美しい花だから。
「スミレの花ですわ、先生。この館の庭にも、たくさん咲いておりますのよ。是非先生にも見ていただきたいわ!」
豆知識)スミレの花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」




