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世にも奇妙な『悪辣姫』の物語  作者: 玉響なつめ


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幕間 渡せなかった本

 ケーニャ・モゴネルは善良な両親の元に生まれた。

 特筆すべきことも無い、一般家庭で彼女は育った。

 弟が生まれ、それなりに家計のやりくりは大変だったようだが……笑いの絶えない家族だった。


 ケーニャの両親は、行商を営んでいた。

 子供ができた際に父親方の親戚がいる土地に居を構え、父親は行商を続けた。

 二人の子供がある程度自分たちのことができる年齢になった際に、両親が揃って行商をし、子供たちは親戚に見守られながら幸せに暮らしていたのである。


 そんな中、土産にと渡された冒険小説がケーニャの心をくすぐった。

 異国で発売されたという本の翻訳版、それを父親は手に入れたのだ。

 母親はもう少し女の子らしいものを土産にしたかったらしいが、ケーニャはとても喜んだ。


 本を読む、それが彼女にとっての楽しみになったのである。


 そうして本を次から次に読むようになり、言語の面白さを知って学者になった。

 年老いた両親は行商を止め、弟は両親の知人の元で商人となるべく修行を積んでいる。

 ごくごく、ありふれた家庭の、ありふれた生活だ。


 そんな中、ケーニャに転機が訪れる。


 まだ学者になって間もない彼女に、王宮から使いが来たのだ。

 末の王女の家庭教師に、と呼ばれて彼女は目を瞬かせた。


(どうして、わたしに?)


 末の姫と言えば、酷い噂を持つ子供だ。

 癇癪持ちで我が儘で、暴力的だという話もある。


 まあ噂なので全部を鵜呑みにはすまいとケーニャは思った。

 高貴なご令嬢たちの癇癪など、下町の酔っ払いに比べれば可愛いものだろうとそう高を括ったのである。


 幸い、彼女は学者としてまだ新米であるがために、下級貴族のご令嬢たちの家庭教師をすることで日銭を稼いだ経験があった。

 弟の面倒もよく見ていたし、家庭教師の経験もある。

 だから声がかかったのだろう。

 むしろこれを機に高位貴族たちと縁が結べるかもしれない。

 彼女は浮き立つ気持ちで王城に足を運んだ。


 そこで目にしたのは、信じられないものだった。


 彼女が耳にした『悪辣姫』の噂のどれにも該当しない――いいや、似合わない派手なドレスは確かにそうだが、どう見ても少女が望んで着ているようには見えなかった。

 表情の抜け落ちた、痩せっぽちの少女!

 それが王女だというのだ。


 侍女はついておらず、ただぽつんと部屋のまん中で座り虚空を見つめる子供はどこからどう見ても不幸せな(・・・・)子供だったのだ。


 ケーニャはおかしいと感じて少女と交流を持つことを優先した。

 傲慢で、我が儘で、癇癪持ちとされていた王女は……どこまでも空っぽだ。


(この子に必要なのは、愛情と信頼だ)


 自分がそれに値する人間であるかはわからない。

 だが、まずは自分を見てもらわなければだめだ。

 そう思ったのだ。


 ケーニャのその判断は正しかった。

 王女のヘレナは少しずつ彼女に心を開き、学ぶことは嫌いではないと告げる彼女は良い教え子となったのである。


 良い教え子な上に優秀で、本を読むのが好きになってくれたヘレナにケーニャはほっとした。

 

(この子の世界が少しでも良いものになればいい)


 そう願って、様々な言語と共に文化があるのだと教えた。

 この城の外には、広い世界があるのだと教えてあげたかったのだ。


 それ自体を口にはしなかった。

 ヘレナ自身に気づいてほしいと願っていたからだ。

 いきなり多くのものを与えても、空っぽだった少女はそれを受け止めるだけの心が伴っていないとケーニャは感じていた。


 だから他の、彼女と同じように平民出身の学者たちとも示し合わせて、少しずつ少しずつ、この哀れで、素直で、純真な子供に世界の広さを教えていったのだ。


「……まだ、恋愛物は早いかな。やっぱり冒険もの? ううん、ヘレナ様はそういうの、どうなのかしら。ワクワクするのよりは、神話とかの方がいいかなあ……」


「なんだい姉さん、また悩んでいるの?」


「そうなのよ。ヘレナ様ったら優秀だから、最近は古代語まで触りなら理解できるようになってね? せっかくだからいくつかお勧めを持っていこうかと……ほら、王城の図書室じゃあ娯楽本なんて置いていないでしょうから」


「神話ならあるんじゃないの?」


「神話をモチーフにしていても、小難しい本と気軽に読める子供向けがあるのよ」


 始めは『悪辣姫』の家庭教師になったケーニャも心配されたものだが、逆に噂がおかしいのでは? と実際のヘレナの話を聞いた家族たちは疑問を抱く。

 誰かにわざと悪い扱いをさせられているのかもしれないと言って、ケーニャが妙なことに巻き込まれないか彼女の両親は心配した。


 その心配は確かに理解できると彼女も思う。

 だが王家からの依頼での家庭教師だ、断れるはずもない。

 それにすっかり情が移ってしまったのだ。


「……よし、これにしよう」


 きっとあのお姫様は、微かに微笑むだけなのだろう。

 だけれど、その小さな微笑みがとても可愛いことをケーニャは知っているのだ。


 いつか満面の笑みを見せてくれたらいいなと、そのお勧めの本を大事に鞄にしまい込む。


(喜んでくれるといいな)


 だけれどその本は――結局、渡せずじまいで終わるのだった。


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