第八十八話
「ユルヨ・ヴァッソン。私に何を証言してほしいのかしら」
「……貴女は、わたしに傷つけられた女性だ。それを、多くの人の前で」
「いいわ」
私は淑女らしく笑みを浮かべ、まずは裁判長に。そして傍聴席にいる人々に向かってパトレイア式のお辞儀をする。
私がどこの誰なのか、大使として大きな歓迎会をまだ開かれていない状況では情報が追いついていない人の方が多い中で私は何よりも、誰よりも、傍聴席にいる人々に向かって帝国語で語りかける。
「私の名はヘレナ・モレル。ディノス国より参りました。生国はディノスの隣パトレイアの第四王女にございます」
堂々と、私は王族の出自であることを明かす。
そのことに裁判官の方が焦っているように見えたけれど、私は彼に目を向けずに言葉を続けた。
きっと、刑を迷わずに告げてしまえばいいと今頃思っていることでしょうね!
「そこにいるユルヨ・ヴァッソンは私が幼い頃に教師の一人として現れ、私に屈辱を与え、解雇されました。その際に卑劣な行為を加えた対象者たちを扇動し、己の罪を隠し通したのです」
私の言葉にどよめきが起きる。
それはそうだろう、一国の王女がこの罪人にいいようにされたと堂々と語るのだから。
ユルヨは、頬を赤らめ感動しているのか目も潤んでいる。
「そうだ、貴女はわたしのものだ。わたしを裁くために恥辱を語り、人々に語り継がれる。貴女を傷つけたのがわたしだとね!」
「愚かな男」
私を追い詰め、絶望させ、人々を使って不幸せにしたことで私を愛でていた男。
そうして私が救い出されて幸せになった途端に、己の命まで利用して私に消えない傷を残したい……歪んだ愛を向ける男。
どうしてこの男のことを恐ろしく思ってしまったのか、今となってはわからない。
「あなたに傷つけられたことは事実だわ。でもそれだけよ」
「……ヘレナ、様?」
「すぐに人々の記憶から、私の記憶から、お前のことなど消えていく。ユルヨ・ヴァッソン、お前は私に傷など残せない」
私の悪名を思い出せ、堂々とそれに恥じない顔で立ち向かえ。
こんなことで傷つけられてたまるものかと私は思った。
欲して欲して、ずっと願ったものを手に入れた今、過去の出来事はもはや私を脅かすものではないのだと示さなければ。
「この程度の醜聞、私の経歴を彩る一つにしか過ぎない。だって私は『悪辣姫』だもの」
「ヘレナ様!」
縋るようなユルヨのその声に、私は笑みを浮かべる。
もはや憎しみも、怒りも、何もない。
それどころか不思議なことに感謝の気持ちが芽生えていたかもしれない。
私が『悪辣姫』だからこそ、私は『ヘレナ・モレル』になれたのだから。
「これにて私の証言は終わりとします。裁判長、どうか熟慮の末の決断を」
「……ありがとうございます、どうぞ席へお戻りを」
私はもう一度、裁判官に向かってお辞儀をした。
中央に座る裁判長がぎこちないながらに頷くのを確認して、私は下がった。
アレンデール様が差し出してくれた手を取って、ふと、足を止める。
「ああ、そうだわユルヨ」
あえてパトレイア語で私は、声をかけた。
緩慢な動作でこちらを見る彼の目は、かつての私と同じように虚ろな目をしていた。
「私、子ができたの。愛しい方に出会わせてくれてありがとう」
心からの感謝だったけれど、きっとユルヨにとっては楽しくない出来事だったのでしょう。
顔を歪ませて何かを言ってきたけれど、もう何を喋っているのかさっぱりわからない。
「戻ろう、ヘレナ」
「はい、アレン様」
ユルヨの声を背に、人々のなんとも言えない眼差しを受けながら私たちはその場を後にしたのだった。




