第八十五話
マリウスには手紙を書いた。
パトレイア王夫妻には、書かなかった。
姉たちからも謝罪の手紙をもらった。でも何も感じない。
サマンサお姉様からは、なかった。
私もお姉様たちには、手紙を書いていない。
多分、これでいいのだろう。
「本で見たけれど、本当に船から下りると地面の上に立っても揺れた気がするのね」
「本当だ、不思議だなあ」
私たちは、バッドゥーラに到着していた。
結局ディノス国から大急ぎで出る私たちだが、それでもアールシュ様が最大限支援すると約束してくださったために特に不安はない。
アンナとイザヤはまだ帝国語について勉強している最中だし、バッドゥーラ側でも言語についてはこれからの課題として取り組んでいくそうだ。
でもなんでだろう。
新しい土地に、ワクワクする自分がいる。
(何が違ったのかしら。……いいえ、何もかもねきっと)
パトレイアからディノスへと嫁がされたあの日、誰も私の傍にはいなかった。
だけれど、寂しさよりも安堵があの時にはあった。
ディノスからバッドゥーラへと来た今はどうだろうか。
私の隣には愛すべき男性がいて、友と呼んでくださるアールシュ様がいて、アンナがいて、イザヤがいて。
エアリス様も近日中に夫婦揃って来るというし、その際はシュタニフ先生もこちらへ来てくれるという話。
本当ならいっぺんに……という話もあったのだけれど、バッドゥーラから最初に送られる薬草やその他の見聞にはシュタニフ先生とジャック様には立ち会っていただいた方がアデラ様も安心だろうということで、次の船で来られるとのことだった。
「……ふふ」
「どうした? ヘレナ」
「なんだか、私たちにとって新天地に来たというのに……周りが見知った方々ばかりで、頼もしくて、嬉しくて」
あの時とは、こんなにも違う。
幸せで笑ってしまうことが当たり前になるだなんて、そんな日がくると思ったことはなかったのに。
「……そうか」
アレンデール様が微笑んでくれた。
それだけで、嬉しい。
「それにしてもまだフラフラしてしまいますね……」
「お二人は船酔いがほぼなくてようございました」
「ドゥルーブさん」
「イザヤ殿は大変そうですが」
「ああ、あいつはアンナに任せておけばいいさ」
「とりあえず先ほどお話しさせていただいた通り、まずは一旦お二人の館を案内させていただきます。そちらでお休みいただき、翌日以降に皇帝陛下に謁見となっております」
「はい」
「使用人には陛下から選りすぐりの人材が配置されていると思いますが、なにぶん習慣などは以前ご説明させていただいた通りでして……ご不便があればどんどんお申し付けください」
アールシュ様とドゥルーブさんも一緒に行って案内したかったとのことだけれど、彼らは彼らでやはり皇帝陛下に報告すべきことがたくさんあるらしく一旦お別れだ。
ただ、ご配慮いただけたのだろうか?
アールシュ様が普段お過ごしになる邸宅の近くに私たちの家も用意していただいたとのことで、これからはご近所付き合いというものになるらしい。
「これからアールシュ様がご迷惑をお掛けするかもしれませんが、迷惑な時ははっきり言ってやってくださいね」
「まあ、ドゥルーブさんったら」
思った以上に強い日差しに少しだけくらっと来てしまったが、それをアレン様が支えてくれた。
モレル領を旅立つ時は寂しそうなお顔をしていたけれど、今のアレンデール様はとても楽しそうだ。
「……謁見が済んだら、アールシュにいろいろなところを案内してもらおうな」
「はい」
「あれだな、新婚旅行みたいだ」
そう思うとワクワクする。
アレンデール様がそんなことを仰って笑うから、私も笑ってしまった。
ああ、私たちは何かを捨てたのではなくて、何かを得るために出てきたのだな。
そう思えたのだった。




