第八十話
引き継ぎ作業は、順次行われていった。
始めのうちはどこかギスギスしていたアレンデール様とアデラ様、それからアールシュ様だったけれど行き違いがそこにはあったようで今ではきちんと和解している。
どうやらアールシュ様は以前からアレン様が辺境伯という立場を重荷に思っておいでであることを見抜いていたんだそうだ。
そして、その地位を他者に預けてバッドゥーラとの窓口役専門になることで大きな責任と役割を担うことは変わらずとももっと広い視野を持てないだろうかと考えていたらしい。
勿論、人事権に関わることは他国の王族とは言え内政干渉に関する問題に抵触するため、簡単にはいかない話だ。
だからあくまでアレンデール様と相談してから、と思っておられたそう。
ただまあ『窓口にするならモレル辺境伯夫妻がいい』というようなことは王太子殿下にお伝えした、とのこと。
アデラ様のことは、その計画の途中で『万が一のために貴族位を捨てずにいる』ということに気づいたそうで、そこでドゥルーブさんが接触していたんだとか。
全然気がつかなかった……イザヤたちも知らなかったみたいだから、ドゥルーブさんがすごすぎるのかもしれない。
アデラ様はずっと、アレン様に申し訳なさがあると言っていた。
初めは『辺境伯』を押し付けてしまったことに、そして今度はまるでその場所を奪うような形になってしまったことに。
(でもそれらは全部、話を聞いていくにつれて王太子殿下が一気にことを進めてしまったからよね……)
バッドゥーラでは受け入れの準備を始めている、らしいけれど……これまで国交がなかった者がいきなりそこで暮らすとなれば気を遣うべきことはたくさんあるはずで、寝食を保証すればいいというものではないはずだ。
いずれはそうするつもりだったにしても、もっと段階を踏むべきことをどうして一足飛びに行ったのか。
王太子殿下側にもきっと何かある、そう自ずと結論づけるに至る。
「……俺を外に出すことで益を受ける人間がいる、か。心当たりがありすぎてどうにもならねえな」
「アレンデール様」
「嫌われているのは知っているからそこはどうでもいい。ヘレナは一緒にいてくれるし、アデラ伯母さんたちの気持ちも……わかったし、託せる」
そもそも預かっただけだからと笑うアレンデール様は、まだやはりどこかやりきれない気持ちがあるようだ。
幸いにもイザヤとアンナは絶対に一緒に行くと言ってくれているし、アールシュ様とドゥルーブさんも私たちの味方になると約束もしてくれた。
バッドゥーラでの暮らしは、悪いようにはならないだろう。
(でも駐在大使と言うことは、基本的には国の使節団として動くから人事権をどれだけ与えてもらえるかよね……)
あちらの国に一緒に行くにあたり、言語を学ぶ必要がある。
ディノス国内で帝国言語を流暢に話せる人間がどれほどいるのかはモゴネル先生にもわからないと言っていたけれど、難しいのではないかという話だった。
だとしたら、実際に話せる私と……まだカタコトになるけれど、大分理解しているであろうアレン様がまず最初に送られて、そこから……なんて開拓者ばりのことを期待されているなんてことはないだろうか?
そうだったら大変だなあとどこか他人事のように思ってしまった。
「ヘレナ、もう出られるか?」
「はい、アレン様」
そして私たちはちょくちょく、領内を視察という名前のお別れをして回っている。
勿論、それには一度は辺境伯家を出たアデラ様のための根回しの意味も含まれているのだけれど……そのままの通り、お別れをして回っているのも、本当のこと。
領内の人たちとアレンデール様は、これまで一緒に頑張って開拓もしてきた。
これからも……とお互いに思っていたのだから、王命とはいえ突然の交代に戸惑いを隠せない人々も多いはずだ。
だからこそ、できる限り関係者には直接別れの言葉を告げたいというアレン様の意向を私たちも大事にしてのこと。
(私がついていくのは、少しでも傍にいたいからだけど)
今日もそのつもりで馬車に乗り込み、できる範囲内であちこちを巡り帰ろうとしたその時、私たちの前に一人の男が佇んでいた。
「……お久しゅうございますね、ヘレナ王女」
「誰だ?」
私が息をするのも忘れてその男を凝視するのを見て、アレン様が厳しい顔をする。
護衛の騎士たちが、身構えた。
それを見ても、男は嗤うだけだ。
私は、震える手でアレン様の服を掴むのが精一杯だった。
「ユルヨ……」
そう、目の前にいたのは紛れもなく、あの男だったのだから。




