幕間 愚かな王子にされかかる
「くそっ、なんであいつが……!」
「よさないか、カルロ。いい加減にしろ」
「……ガウディーノ、兄上……」
ディノス国第三王子、カルロは荒れていた。
というのも、つい最近まで気に入らない男がついにボロを出したというのに。
きっと国益にならないであろうあの男を、排除できるチャンスだったというのに!
隣国の姫を娶ったからといっていい気になっているであろうモレル辺境伯アレンデール。
噂にある『悪辣姫』を押し付けるにはちょうどいいと思っていたというのに実際は異なった。確認不足だと言われればその通りだが、そのことで母親にはため息を吐かれるわ、あの男は調子づくわでカルロにとっては腹立たしいことこの上なかったのだ。
そんな時に出た噂。
それらを耳にした諸侯が不安に思うのも無理はない。
カルロを頼ったことも、王子としての責務で当然だとカルロは受け入れ、彼らの代理としてアレンデールを責め立てた。
もうじき罪を認めさせることができる、そう思った矢先にあの男は領地に戻されたのだ。
荒れるなと言う方が無理であった。
「まったく……お前は、もう少し考えろ」
「何をですか。俺はきちんとこの国のことを考えて」
「傀儡にされる王子がこの国の為になるものか」
第二王子であるガウティーノの言葉に、バッとカルロは顔を上げる。
そして兄の冷たい視線に、血の気が引くのを感じた。
筆頭公爵家に婿入りすることが決まっているガウティーノは、三兄弟の役割としては今後この国の貴族たちを見張る立場になる。
王太子であるレオポルドを支える側の人間であり、カルロにとってはいつまで経っても頭が上がらない兄でもあった。
カルロはいつだって兄たちに敵わない。努力を怠ったつもりはない。だが届かない。
唯一、剣だけは追いついた。
だがそれだって兄たちにとっては身を守る以上の技量が必要ではないから追いついただけであって、それはカルロだって理解していた。
決して兄たちは努力を続けるカルロのことを見下したりなどしない。
応援してくれ、時には手だって貸してくれる。
だからこそ、兄たちに追いつきたかった。諦めたくなかった。
だから、剣だけが彼の支えだったのだ。
それを容易く打ち砕いたのが、アレンデールという存在だったのだ。
出自も怪しいくせに、先代辺境伯の不幸から突如としてその座に就いたあの男は、あっという間に剣だけで周囲を黙らせた。
無作法で、荒々しくて、鋭い切っ先を向けられて……カルロは、勝てないと思ってしまったのだ。
(くそ、くそ、くそっ)
そして今。
兄に今、咎められているという現実がカルロを苦しめた。
「お前のその激情が原因で、俺たちは優秀な番犬を手放さなくてはいけなくなったんだ。カルロ、可愛い弟よ。お前は何もわかっていない」
「何が……なんだって言うんです! あんな噂を立てられる下賤な男も、悪しき噂しかない女も! ディノスになんの役に立つ!!」
「バッドゥーラの皇族に気に入られた。それだけで彼らの価値は今のお前よりも十分だ」
「……ッ!」
悔しげに歪められたカルロのその表情を見て、ガウディーノは大きくため息を吐く。
そして歩み寄ってもう成人して自分よりも背丈の大きくなったカルロの頭に手を伸ばし、グッと抱き寄せる。
幼い頃から癇癪を起こしやすい弟を、宥めるときの兄の仕草だ。
大きくなるにつれてそれはなくなってきたけれど、だからこそ今それをされてカルロは困惑した。
「あ、にうえ?」
「俺たちは、お前を守るよカルロ。だからお前はその責任を負わなくてもいい。だが知っておけ。……レオポルド兄上に感謝しろ」
アレンデールを呼び寄せて、この場に留めさせた貴族たち。
それは単純に噂を利用してこれから伸びて行くであろう若者の芽を叩き潰すためのもの。
別にそれ自体は本人が露払いできなければその程度、だがその裏の裏に潜む悪意は彼らを巧みに使って、カルロの足元に忍んでいた。
「それ、は……」
「お前がつまみぐいした女たちの誰か、あるいは全部かはわからん。だが、お前の命は守る。あの男のいいようにはされるつもりはない」
「あにうえ」
カルロは愕然とした。
自分を頼った貴族たちのいずれかに、いつの間にか命を狙われていた。
そんなことを聞かされて、怒りに頭の中が染まりそうだが押し黙って兄の説明を聞いた。
カルロの命と引き換えに、アレンデールは罪に問われるはずだったのだ。
証拠というにはあまりにも弱いそれを、カルロという王子の権力で押し通す。
おそらく周囲は愚かな王子の行動が原因で……と受け止められるに違いない。
辺境伯にとっては不幸だが、それで大きな騒ぎは起こさないように周囲の貴族たちが結束するのだ。
だから、王太子は国王夫妻にも秘密でアレンデールに密命を出した。
その後のことは、全て引き受けるとして。
「なんで……」
自分はまさしく兄に届かない。
兄に届かないどころか守られて、嫌いだったアレンデールに全てを押し付けることで救われた。
そのことを知ったカルロは愕然とする。
涙も、何も出なかった。




