幕間 執事の証言
パトレイア王国の謁見の間。
美しく整えられた赤い絨毯に額をつけるかと思われるほど頭を下げたその男に、遅れてやってきた国王は玉座に座ってから大きなため息を一つ吐き、そして声をかける。
「……ビフレスクよ、久しいな。顔を上げよ」
「ありがたきしあわせ」
「今日お前を呼び出したのは他でもない。どうしてもお前の口から話を聞きたかったのだ」
このビフレスクという男は、かつてこの王城で働いていた執事であった。
国王に仕える執事たちのうちの一人、そういう立ち位置ではあったが、勤勉で穏やかな人柄で信頼できる人間であると誰もが認める人物であった。
だからこそ国王は当時『悪辣姫』と悪名がたった娘を反省させるために使用人を減らした際、王妃ユージェニー付きの侍女であるアンナが望むままにビフレスクを第四王女付きにしたのである。
当時はあれこれと国内も慌ただしかった。
第四王女の癇癪で教育係の教師たちを辞めさせたという事態に彼らと近しかった貴族出身の学者たちからの抗議が大量によせられたのだ。
そして当然、その学者たちの出身家からも。
当然そのような王女の教育係につきたくないという苦情まで来たものだから、当時は仕方なく平民出身の学者に依頼まで出したのだ。
王家の人間は、貴族家に連なる学者に師事することがそれまでの慣例であったというのに。
そう国王も王妃も、思ったものだ。
当時は『困った娘のために折れた親』のつもりでいたのだ。
「ビフレスクよ、お前は王女ヘレナが窮状にあることを何故余に直接伝えなかった」
「お答えいたします、陛下。わたくしめは逐一報告書を提出しておりました。執事長様のところで止められてはわたくしめにはどうしようもできませぬ」
「……しかし、直接伝えることはできたはずだ」
「お答えいたします、陛下。それは不可能でありましょう」
ビフレスクの声は淡々としたものだった。
その言葉に、国王はきつく眉間に皺を寄せたが、非難する言葉は出なかった。
何故ならば、ビフレスクの言葉は正しかったからだ。
いくら彼が直接国王に話をしたくとも、国王という地位にある尊き存在であるがゆえに間にいくつも人を挟まねばその願いは通らない。
ましてや、間に入ってくれるはずの執事長が敵方であったならば、なおのこと。
本来であれば娘の状況を親として国王自らがビフレスクを呼び出し、問うていたら今のようにはなっていなかったはずなのだ。
それだけ、何の報告もなければそれでいいと放置していた事実を突きつけられただけであった。
「……お前からの報告書は、かつて執事長であった者が隠していた。すべてではないが……」
「……」
「あれは保身のためにいくつか持っていただけで全てではない。それも結局、他にも大勢加害者がいたために役には立たなかったがな」
ビフレスクからの報告書の一部、第四王女ヘレナに対する虐待やその他……噂などについて調べれば調べるほど、その範囲は広かったことに国王は息をするのも忘れたものだ。
貴族の学者を教育者から外し、アンナとビフレスクがついた。
そしてその後彼らからの報告を王家の誰も見ておらず、執事長も己以外の大勢が第四王女を虐げていることは知っていても全容は知らなかった。
それゆえに、いくら『ビフレスクが報告を怠ったせいだ』と訴えようとも、あるいは『ビフレスクが自分を脅していたのだ』、または『シンナ・バァルに脅された』など言おうと、何の意味も成さなかったのである。
「……報告書によれば、姫は……姫は、お前が職務に就いた時には、手足に痺れがあったの、だな?」
「お答えいたします、陛下。はい、第四王女殿下は寡黙でご自身の希望などを口になさることはございませんが小食で、その手足は痩せ細りよく震えておいででした。王宮内の医師に診察をさせましたが、彼らは栄養失調であると診断いたしました」
「えいよう、しっちょう」
「当時の侍女長にその旨をアンナが伝え、食事内容を改善してほしいと訴えましたが届く食事は変わらず、また、普段からあまり食されないためか小鳥の餌のように可愛らしい量にございました」
「……」
「料理人たちからは『悪辣姫様は食事に選り好みをなさる』と嫌われていたようです。実際、食事の量はひどく少なかった」
「……」
「その後、植物学に明るいシュタニフ殿がおいでになった際、あの方は第四王女殿下は毒に苛まれているとおっしゃいました」
「……」
「毒ゆえに手足が痺れ、内臓が機能を最低限としているために食事も喉を通らぬのであるとお教えくださり、解毒のための植物をいくつも持ち込み、教育と共に与えられました」
「ああ……」
報告書にあったことだ。
だがそれを目にしてきた者の、自分が信頼していた人間の口から聞くとまた違う重みがあった。
国王は、ただ項垂れる。
「ビフレスクよ、戻ってきてはくれまいか」
「申し訳ございませんが」
国王の懇願に、老人は初めて穏やかな笑みを浮かべた。
それは、ビフレスクに長く仕えてもらっていたはずなのに、国王が一度も見たこともないような笑みだった。
「わたくしめのように、何もできなかった老骨めが戻っても何もできませぬゆえ、せめて陛下の世の安寧をお祈り申し上げまする」




