幕間 ほろり、ほろ
「……思っていたよりもすごい子を嫁にしたのねえ、アレンデールったら」
零れた声は、感嘆だ。
わたしは辺境伯家の娘として生まれ、いずれは政略的な意味を持った結婚をするべきという古い考えに疑問を持って剣を握った。
どうしたって性別的な体格や膂力、スタミナに差は出るものの、代わりに柔軟性や俊敏性で認められる程度には実力を得ることができた。
だが、ひとかどの兵士になれたかと問われればそうではない。
貴族令嬢としては、一般女性としては『まあまあやるな』程度であることは自分でも理解していた。
兄が二人、弟が一人いた。
長男はとにかく優しく、穏やかな人だった。
次男は闊達な人だった。人との付き合いが好きで、賑やかな人だった。
弟は、自由奔放な乱暴者だった。だけど、素直で正義感のある子でもあった。
三人とも、領主には、不向きだった。
だがこのディノス国では長男による世襲が一般的だ。
兄が継がねばならないならば、弟妹で彼を支えるのが習わしだ。
だが次男は行商の娘と恋に落ちた。
三男は飛び出していった。
国境の要を担うため、武の一面も強いことからただでさえ野蛮に見られがちな辺境伯家は一気に貴族社会で孤立した。
その上、武の方面でからっきしだった兄よりもわたしに継がせてはどうだという話まで出る始末。
そんなことになれば、貴族社会で今後笑いものになるのは目に見えていた。
アレンデールはそんな時にやってきた。
母親はとっとといなくなり、わたしがあの子の世話をした。
ある程度の年齢になったのを見計らって、これ以上わたしがいても兄の負担になるだろうと関連の商人のところへ嫁いだ。
……貴族籍からは、抜けていない。父に願って、辺境伯家が所有している準男爵の地位を夫に預けてある。
有事の際の、保険として。
それから程なくして、アレンデールが跡目を継いだ。
あの子は貴族年鑑の中で、三男の息子から先々代の養子になっている。
(父の望みは別だったでしょうにね)
つまり、わたしは伯母であり、義姉なのだ。
アレンデールは頑なにそれを認めず、わたしのことを伯母と呼ぶけれど。
でもそれが正しいことだから、わたしも何も言わない。
辺境伯家の子供として、少しでも箔をつけて平民となるのに支度金を用意して、盤石な態勢で独り立ちをさせるつもりだったろうに!
辺境伯家を押し付ける形になってしまったアレンデールに、それでもわたしは戻らなかった。
夫との商売が上手くいって、もういい年齢のわたしが戻ったところで家を掌握できる気がしなかったからだ。
アレンデールなら上手くやれる、そんな風に勝手に押し付けた。
(……辺境伯家を切り盛りし、武力に対抗するため自ら出兵し、悪魔と罵られながら隣国の姫を妻に迎えたあの子は、本当は……)
本当は、辺境伯という身分から逃げ出したのは、わたしだったのだろう。
あの子がいてくれるなら、もうわたしは頑張らなくていいかと……兄の優しさに付け入ろうとする連中と争うことも、兄の弱いところからわたしを疎んじていたあの視線に気づかないふりも、しなくていいことがこんなにも楽だなんて知ってしまったから。
夫に愛されて、ただのアデラとして客の前で笑っていることがどれだけ楽しい日々か!
けれどアレンデールに頼られて、ホッとした瞬間が忘れられない。
わたしは、負い目があった。あの子に、ずっと。
だからこれで罪滅ぼしができると思ったのだ。
でもあの子の妻になったという王女を前に、私は……私は、今、打ちのめされた思いだ。
(わたしは、ただ目を逸らしただけ)
嘆いて、逃げた。
悪いとは思わない。
だけど、あの方が怒ってくれたから。
アレンデールのために、怒ってくれたのだ。
わたしや兄を怒るよりも、あの子にとって大切であろうものを傷つける存在に怒ったのだ。
初めて目にした『ヘレナ』という少女は、ただ、美しいだけだと思った。
押せば壊れそうな、繊細なガラス細工でできた人形然とした少女。
その目がキラキラと怒りに燃えて、そして堂々とした王女の振る舞いに、圧倒された。
(ああ、その振る舞いこそが)
わたしには、足りなかった覚悟も、情もそこにはあった。
アレンデールは今もわたしを伯母と呼び、慕ってくれる。
それに報いる人間になりたいと今更ながらに思ったら、涙が零れた。




