どこ行った?
「ねぇ〜!ミユちゃんど〜こ〜?かくれんぼもうおしまいにしようよ〜!」
日が暮れてきていつも遊んでいる公園のブランコや滑り台が赤く染まっている。
キーンコーンカーンコーン…
5時を知らせるチャイムが鳴った。
「もうかえらないといけないのに…どうしよう。」
近所に住んでいていつも一緒に遊ぶミユちゃんは、かくれんぼをすると必ず最後まで見つけられない。
私より二つ年上のお姉さんで4月から4年生になっていた。
「ミユちゃーんっ!どこいったのー!?もうでてきてよーっ!!」
いつもなら背の低い木の間からガサガサッと出てきてミユちゃんはニッコリ笑って言うのだ。
「カナちゃんまた見つけられなかった〜!私の勝ちだねっ!」って。
またいつものようにニッコリ笑ってどこかから出てくるんだと思っていた。
…けれど、ミユちゃんはその日を境にいなくなってしまった。
さっき5時のチャイムが鳴ったから、一緒に遊んでいた他の子達はみんな帰ってしまった。
どんどん日が暮れて暗くなってくる…心細くなり、私は泣きながらミユちゃんを探す。
「ミ、ミユちゃ〜ん!グスッ…うぅ。どこにっ…いるのぉ〜!?」
しばらく探したけれど、どうしても見つけられなかった私は仕方なく公園を後にした。
おウチまで行ってミユちゃんのお母さんにかくれんぼをしていて、見つけられなかったと泣きながら伝える。
「カナちゃん泣かないで?教えてくれてありがとう。今度はおばちゃんが公園へ行って探してみるからミユは大丈夫だよ!カナちゃんはおウチに帰ってね。」
「…うん。みつけられなくてごめんなさい。またあそぼうねってミユちゃんにいってください。」
「わかった。伝えとくね!ありがとう。」
ミユちゃんのお母さんの笑顔を見て安心した私はそのまま家に帰った。
…それっきり。
その後、ミユちゃんは跡形もなく消えてしまったかのように何の手がかりもなく見つからなかった。
私はミユちゃんのお母さんに見つかったかどうか聞こうと思って、次の日もその次の日も何度も家へ行ってピンポンを鳴らした。
でも、誰も出てこなかった。
きっとミユちゃんを探しに行ってるんだろうと思ったし、気にはなるけれど毎日行くのは難しかった。
私は少しずつ少しずつミユちゃんの家から足が遠のいてしまった。
そうして事件から半年ほど経ったある日、ミユちゃんの家の前に大きなトラックが止まっていた。
「…え。お引越し?」
学校帰りに通りがかって、ちょうど家から出てきたミユちゃんのお父さんとお母さんを久しぶりに見た。
二人とも別人のように暗い顔をして痩せてしまっていた。
ミユちゃんは一人っ子だった事もあってか、子供の私の目から見てもとにかく可愛がられていて家族の仲がとても良かった。
私はミユちゃんの両親の様子を見てどうしたらいいのか分からなってしまった。
ただ小さく会釈をしてその場を走って後にした。…そうする事しか出来なかった。
しかし、その時謝らずに逃げるように帰ってしまった事を私はずっと後悔する事になる。
ミユちゃんの両親が引っ越していったその後、やはりじわじわと周りの人達や世間は事件を忘れていった。
でも、私はあの日の事を未だに忘れられずにいる。
ミユちゃんの事件以降、その公園に行けなくなってしまっていた。
近所にみんなで遊べる公園はそこしかなく、友達に誘われても「また今度」とか「今日は塾が…」とか、適当に誤魔化して何とか公園に行かないようにしていた。
そうして断っているうちにいつの間にか誰からも誘われなくなった。
もちろん誘われない事で寂しい気持ちもあったが、それ以上にとても怖くてミユちゃんに申し訳なくて。
いつしか公園のそばに近づく事さえしなくなっていた。
…あれから4年の月日が経った。
私が6年生になった夏休みの事。
「あっつーいっ!もう無理!私、図書館行って宿題してくる。」
「そうね。涼しくて静かな所の方が捗るかもしれないわね。いってらっしゃい。」
お母さんが苦笑いしながらそう言った。
「もう〜なんでウチのエアコンはこの一番暑い時期に壊れるかね。ホント嫌になっちゃう…。」
昨日、エアコンが壊れたせいで家の中は蒸し風呂状態だ。
こんな中で勉強なんて出来る訳ない。
「…いってきまぁす。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「はぁい。」
ガチャッ……バタン。
タンッタンッタンッ…
いつも通りに階段をリズム良く降りていく。
マンションの外に出て太陽の下へ行くと、むせかえるような暑さに一瞬、上手く息が出来なくなる。
「あぁ。…蝉が煩いな。」
耳を塞ぎたくなるほどの蝉の声にウンザリしながら、額に手を当てて真夏の照りつける陽射しの眩しさに目を慣らした。
ジリジリと私を狙う太陽を帽子と日陰で何とかやり過ごしながら10分程歩いて図書館へ到着した。
「…ふぅ。暑かったぁ。」
ひやっとした風を頬に感じながら、自動ドアをくぐり抜けて図書館へと入る。
私は図書館が好きだ。
本を読むのも好きだけど、静かな空間にページを捲る音だけがしている…あの微かな気配を感じる時間がいい。
外が暑いからか夏休み中だからなのか、理由は私にはよく分からないけれど普段の図書館よりも少し混んでいる気がした。
(みんな勉強してるのかな?…どこもいっぱいだ。)
キョロキョロと辺りを見回してみる。
1階の冷房がよく効いている机には人が多くて、今から間に入るのは申し訳ないし何だか居心地が悪そうだった。
一人の方が気楽だし2階のあまり人が来ない机を探して宿題を広げた。
(やっぱり図書館は最高の環境だよね。)
静かで涼しい環境はやはり集中出来る。
思っていた以上に捗り、宿題は読書感想文だけになった。
(これは好きだから大丈夫!あっという間に終わる。)
そろそろ帰ろうと固まった体をほぐす為、うーんっと天井へ向けて腕を伸ばして肩や首などを軽く回した。
その時、チラッと窓の外に見覚えのある女の子を見た…気がした。
「…え、ミユちゃん?そ、そんなわけない!」
私は慌てて広げていた宿題を片付けた。
図書館の中を走る訳にはいかないので早足で出る。
外へ出てすぐ辺りをキョロキョロと見回すと少し離れた所にさっきの女の子が見えた。
「あ、あの子だ。…ねぇ待って!!」
手を振りながら少し大きめな声で言ったのに、その子は気づいていないのか走って行ってしまう。
私は急いで追いかけたのだが、その走っている後ろ姿を見て思った。
(やっぱりあれはミユちゃんだ。あの走り方は…)
ミユちゃんは走る時に右腕だけを横に振る癖があったのだ。
いつも後ろを走っていた私だから分かる。
「…でも、あんなに小さいのにどうして?」
すぐに追いついて話せると思ったのに、どんなに全速力で走っても追いつかない。
たぶん3〜4年生くらい…?
私の方が絶対早いはずなのに、どうして?
(…ん?もし、あの子がミユちゃんだとしたらどうしてあんなに小さいの?)
ミユちゃんは私の二つ上だ。
今も元気でいるなら私よりも大きくないとおかしい。
どう考えてもおかしいし、はっきりと顔が見えた訳じゃないのに『あれはミユちゃんだ。』と、何故か私には根拠のない確信があった。
答えのない違和感を感じながらも彼女を追いかける足は止まらない。
私の家の方へ走っていく彼女を追いかけて、いつもとは違う通りを左へ曲がろうとした。
…そこで私の足がビタッと止まる。
「この先へは行かない。…ううん。行けない。」
曲がった先には例の公園がある。
どうして…?自分の足じゃないみたい。
とてつもなく重たい何かを足につけられたようにその場から動けなくなってしまった。
「やっぱり無理。…どうしよう。行けないよ。」
Tシャツの裾をギュッと握り、唇を噛み締めた。
その時20mほど先にある公園の入り口で女の子が止まったのが見えた。
ゆっくりとこちらを振り返る。
「あ。やっぱりミユちゃん…?」
どうして?
なんで今ここにいるの?
どうして小さいままなの?
…今までどこに居たの?
聞きたい事が沢山ある。
私は動かない足を何とか引きずり、その場から動こうとした。
ズリッ…ズリッ…
少しずつ足を前に出す。
何がそうさせるのか自分でもよく分からない。
分からないが、ここで行かなかったら絶対にまた後悔すると思った。
「せめてミユちゃんには謝らないと。…ミユちゃんのお父さんとお母さんには謝れなかったから。」
あの日ミユちゃんを見つけられなかった事をずっと後悔していた。
私がもっときちんと探していたら見つけられたのかもしれない。
……ミユちゃんと一緒に家に帰りたかった。
「動けっ!動いてよ!!」
太ももをバシンッと叩く。
公園の方へと目を向けるとミユちゃんらしき女の子がこちらを見て笑った。
…私はゾッとした。
笑顔だと思った顔は口が大きく開き、耳まで裂けて真っ赤な切れ目のようにパックリと開くのか見えた。
「…えっ?アレ、何?」
何とか声を絞り出して言う。
何か言わないと頭がおかしくなりそうだった。
でも、大声で叫びたいのに声が上手く出せない。
(怖い…怖いよ!)
逃げたいのに何故か今度は足が前に進む。
(あの子、手招きしてる…?)
「や、やめて!行きたくないっ!!ヤダっ!」
必死で足を抑えようとするけど、もの凄い力で引っ張られてるみたいだ。
頑張ってその場で堪えているのに不意に誰かが背中を押した気がした。
「あ…。」
ドンッと押された勢いでトットットッ…と2、3歩前に出てしまう。
そのまま足が勝手に動き出した。
「ヤダ!ヤダヤダヤダっ!!行きたくないっ!」
ゆっくり動き出した足がどんどんとスピードを上げる。
あんなに重かった足が嘘のように、今は走って彼女の元へ向かっているのだ。
どんなに動きを抑えようと足を叩いて抵抗しようとしても止まってくれない。
どうしよう!?このままじゃ…!!
「ヤダッ!!もうやめてっ!やめてよーーっ!」
大きな声で叫んだ瞬間。
目の前に迫っていた女の子がフッと消えた。
あんなに必死に抵抗しても止まらなかったのに、ゆっくりと足が止まる。
「え?今の何だったの。…ミユちゃん?消えちゃった。」
止まったのは公園のちょうど入り口だった。
その場にペタンとお尻をついて座り込む。
力が抜けてしまってすぐには動けそうになかった。
…その時、後ろから声をかけられた。
「大丈夫?どこか怪我したの?」
男の人の優しい声がして振り返る。
「…あ、公園のおじさん。」
その人は私や近所の子供達が良く知るおじさんだった。
おじさんとは言っても、私達子供から見てなので実際の年齢はよく分からない。
でも、50代や60代には見えなかった。もう少し若いのかもしれない。
ボランティアで公園の掃除や管理、子供達にトラブルがないか見回りをしている人だ。
町内会で依頼されたとか、公園の管理人として雇われているとかではなかった気がする。
…いつだか、誰かが聞いていたのを思い出した。
「おじさんはどうして公園のおじさんになったの?」
「あぁ、おじさんは子供が好きなんだ。みんなの公園を綺麗にしたくてね。好きでしている事なんだよ。」と言っていた。
私は物好きな人もいるんだなぁ〜。と思ったのを覚えている。
「ん?…あれ?君は確か……カナちゃんかい?」
「え?どうして私の名前…?」
「あ、あぁ。突然ごめんね。いや…あの事件の居なくなった子のお友達だったろう?それで覚えていてね。」
「…あ、そうですか。」
ミユちゃんの事、まだ覚えてる人がいたんだ。
でも嬉しさは感じなくて、むしろズキンッと胸が痛くなった。どうしてだろう?ミユちゃんの事をみんなが忘れちゃって悲しかったはずなのに。
「で、大丈夫なのかい?立てる?」
私は歩道に座り込んだままだったので、具合悪そうにボーッとしているように見えたのだろう。
慌てて立ち上がり汚れを払った。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます。」
「そう。良かった。…ところで、公園に何か用事だったの?」
「い、いえ!たまたま通りかかっただけです。」
まさか、さっきまで小さいミユちゃんを追いかけてたなんて言えない。
すると、おじさんは寂しそうに笑った。
「そうか。もうカナちゃんは公園で遊ばないんだね。今日、ここへ来たのもあの事件以来じゃないかな?」
「…え?そ、そうですけど。なんで…?」
最後は小さくて声にならなかった気がする。
…背筋がゾワッとした。
この人、なんで私があれから公園に来てないって知ってるの?だって…もう4年も経つのに。
この近所に子供なんて沢山いる。
私と雰囲気の似た子もきっといると思う。
その時、おじさんの目線が私を下から上まで舐め回すように動いたのが分かった。
ここにいちゃ駄目だ。
そう思った。
…ただの直感だけどきっと当たってる。
「か、帰ります!ありがとうございました!」
急いでおじさんにお辞儀をして、さっき座り込んだ時に落とした荷物を慌てて拾う。
この時、気づくべきだった。
どうして私はこの人に背中を向けたんだろう…?
後ろから声をかけられてそのまま話していたので、荷物を拾う時におじさんに背を向けたまましゃがんだのだった。
ゴンッ!
突然、首の後ろ辺りを殴られて私は意識を失った。
…頭が痛い。
なんかここ、暑い?
「…カ、ナちゃん……カナ…ちゃん…」
え?誰か呼んでる?
「…カナちゃん!!」
耳元でミユちゃんの声がハッキリ聞こえた。
「ハッ!!ミ、ミユちゃん!?…うっ、うぅ。痛っ」
辺りは真っ暗だ。
なんかジャリジャリする。
ここはどこなんだろう?
何も見えないし、何の音もしない。
手足を動かそうとしたが何かで縛られていた。
力を入れてみるが、ギチギチッと音がするだけでびくともしない。
「えっ。私捕まってる…?ミユちゃん!?いるの?ミユちゃん!」
…返事はない。
さっきはあんなにハッキリ声が聞こえたのに。
「どこにいるの!?」
あまりにも理解出来ない状況に呼吸が荒くなる。
「ハァッ…ハァッ…ど、どうして?もう、ヤダっ!!」
「どうしよう!?お母さん!きっと心配してる…!」
勉強すると言って家を出たきり、帰って来なければきっとあちこち探しているだろう。
心配しているお母さんの顔を浮かべていたら涙が溢れてくる。
「うぅ。なんでっ!なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ!…帰りたいよ。」
涙で顔がグシャグシャになる。
意味が分からない。なんで…?
あまりに理不尽な状況にだんだん腹が立ってきた。
「グスッ…グスッ。うぅ…ムカつく。泣いたらなんか腹立ってきた。絶対帰ってやる!…負けないんだから。」
ひとしきり泣いて、冷静になれたみたいだった。
再びパニックにならないように、私はここに来るまでを一生懸命思い出した。
「えーっと…えーと、公園の入り口までミユちゃんを追いかけてきて、そのミユちゃんが消えちゃった後で公園のおじさんに会った。…でしょ?…で、慌てて帰ろうとして荷物を拾ってたら後ろから……あ、殴られたんだ。」
「え、公園のおじさんがこんな事したの?どうして…?」
何が何だか分からないけど、とにかくここから早く逃げないと。
「っていうか、ここどこなの?何も見えない!」
何とかしようと手足を必死に動かすけれどやっぱり解ける気配はない。
それにしても暑い。喉が乾いてカラカラだ。
ここは外なんだろうか?
でも、さっきまでも違って少し今の状況を把握して落ち着いた気がする。
ここにはあの男はいないみたいだし。
…目も少しずつ慣れてきた。
よく見たら微かに光が上から漏れて来ているのが分かる。
ぼんやりと周りが見えてきた。
今いる場所は部屋みたいだけれどきっちり四角くはない…と思った。
それにそんなに広くはない。
畳で5〜6畳くらい?私の部屋より少し小さいくらいかな。
で、私がいる所がたぶん一番奥の壁の辺り。
さっき少し体を動かして後ろに下がり、今は壁に寄りかかって座っている。
ここからなら全体が見えるから。
とりあえず私が座っている右側も左側も何も物はない。
私から見た正面の右側に大きな箱があり先の尖ったスコップが立てかけてあるのが見えた。
ここは洞窟みたいに見える。
何となくだけど…そこら中に掘られたような跡があり、土の地面に土の壁がぐるっと周りを囲っているようだった。
さっきの箱の反対側、私の正面左側に梯子のような物が壁に立てかけられ上へと続いていた。
梯子の先には天井に扉のような物があり、たぶんあそこから外へ出るのだろう。
「…え。ここってもしかして地下?だとしたら、声を出しても聞こえないよね?」
考えてゾッとした。
外の様子はここからじゃ分からない。
今が夜なのか、昼なのか。
というか、あれから何時間経ったんだ?
私はどのくらい気を失っていたんだろうか?
全く時間の感覚がない。
体の向きを変えて、座り直してふと思い出す。
「あ、携帯!私、携帯持ってるじゃん」
たしか、ポケットに携帯入ってたよね?
お母さんが心配して出かける時にはいつも持たせてくれていた。
GPSが付いているので、電源が入れば何処にいるのか調べてもらえるはず…!
縛られていて難しかったが、手は前で縛られていたので体を捻って何とかポケットの中の携帯を探す。
でも、何も入っていなかった。
「たぶん気づいて持って行ったんだ。…私を帰す気はないみたいだね。かなりヤバいじゃん。」
どうにかして手足の拘束を解かなくては…。
ふとスコップに目がいく。
「あれ、少し尖ってるからこの紐切れないかな?」
たぶん細いビニール紐を何重にも巻いて縛られている。
少しずつでも切れないだろうか…?
「何もしないで黙ってるなんて無理!今やれる事をやるんだ。」
離れた所にあるスコップの所まで、芋虫のように体をくねらせて張っていく。
顔や体が汚れていても気になんかならなかった。
「…このまま簡単にやられてたまるか!」
箱の側まで行き着く。
何とか手だけでも紐が切れれば…。
スコップを倒して足で挟み、尖った所に手の紐を擦り付ける。
ギリギリと音がしているが、切れているのかは分からない。でも、絶対に諦めないんだから!
…プチッ。
「え、今の音って。」
手を顔の前まで持ってきて確認する。
少しだけ紐の端っこがほつれていた。
「イケる!これなら頑張れば紐が切れるかも!」
また同じ体制で紐を切ろうと動き始めた。
…その時。
ガタンッ
上から物音がした。
「誰か来るっ!?公園のおじさん…?」
だとしたら、私はどうなるんだろう?
逃げようとしているのがバレないよう、スコップを何とか戻して箱から離れる。
「こういう時は抵抗しない方がいいって、何かの小説で読んだ気がする…。」
慌てて元いた場所まで戻る。
ギ、ギギィー…
立て付けの悪い木の扉の音がして、天井の一部が開く。
明かりが見え、梯子が照らされて足が降りてくるのが見えた。
(あ、来る。あのおじさんだ…。ヤバい。)
悲鳴を上げそうになるのを必死に堪える。
あ、でも今はチャンスだったんじゃ…。
大きな声を出せば良かった。
でも、恐怖で声なんか出なかった。
映画や小説で「そこでなんで叫んで助け呼ばないの!?」って思ってたけど、実際には怖くて出ないんだ。
…こんな実体験したくなかったよ。
梯子を降りたおじさんがこちらを向いた。
すぐに扉を閉めてしまって、上からの微かな明かりしかないので表情はよく見えない。
「やぁ。カナちゃん。いい子にしてたかい?」
嬉しそうにうわずった声。
別の人みたいだ。
この人こんな声だったっけ?
梯子の側にスイッチがあるようで、カチッという音とともに小さな電球が付いた。
部屋の中がオレンジの灯りで照らされる。
私が思っていた通り、掘って作られた土の部屋だった。
やっぱりさっきのスコップと大きな箱以外には何もなかった。
ニヤリと笑ったその男はあの公園のおじさんなんだけど、昼間声をかけてくれた優しいおじさんではなかった。
ゆっくりと歩いてこちらに近づいて来る。
ズリッズリッと私は後ずさる。
「…ひっ。こ、来ないで!ヤダッ!やめて!」
「あははは!そんな顔しないでよ。おじさんの事知ってるだろ?…あの公園のおじさんだよ?」
「…違うっ!公園のおじさんはそんなんじゃない!」
「おかしな事を言うね。おじさんはおじさんだよ?」
ズリッズリッ……ドンッ。
壁にぶつかった。もう後ろへは逃げられない。
男が私の目の前にしゃがみ込む。
「やめて!私に触らないで!」
せめてもの抵抗でキッと睨む。
「はははっ。こんな状況なのに強いね〜。頼もしいなぁ。」
男がグッと顔を近づけた。
「おじさん、そういう子嫌いじゃないよ?」
ニヤッと笑った顔をさらに睨みつける。
「ふふっ。…これは楽しめそうだ。実はあの子よりカナちゃんの方が好みだったんだよね。」
男は立ち上がり再びゆっくりと歩いて、箱の上に腰掛けた。
「…あの子?あの子って誰の事よ!…まさか!?」
「その顔っ!ゾクゾクするねぇ。そう!そのまさかだよ。ミユ…?ちゃんだっけか?あの子も気が強くてね〜。今のカナちゃんよりは小さかったのに結構楽しませてもらったんだよ?」
その時を思い出したのか男は恍惚の表情を浮かべた。
「…吐き気がするわ。なんなの?アンタが犯人だったの!?ミユちゃんは!?ミユちゃんは何処よ!」
「うるさいなぁ。そんなに慌てなくてもすぐ側にいるよ?ふふっ。…この箱の中にね。」
男はクスクス笑いながら箱をトントンと指差した。
「…!?その箱、の中?…意味わかんない。」
「意味が分からないかい?ハッキリ言ったら怖がっちゃうかなぁ?…僕が、殺したの。あの子、いい声で鳴いてくれてさぁ。…もう、最高だったよっ。」
男は自分の肩を自分の両腕で抱きしめながら、ブルブルと身震いした。
「はぁ。今思い出しても興奮するよ。もう4年も経つのにねぇ。」
うっとりした目をしたかと思ったら、今度はじっとりとした目で私をまた舐め回すように見ている。
今の私はまるで蛇に睨まれた蛙だ。
恐怖で全く体が動かない。
「まぁ、カナちゃんはしっかりお話が出来る賢い子みたいだし、少しお話しようかな?ミユちゃんの話、聞きたいでしょ?」
「……。」
一刻も早く逃げたかったが、やはり体格差で正面突破は無理だろう。今は慌てて動いてはいけないと思った。
私は黙って頷いた。
「あははは。賢いなぁカナちゃんは。いいねぇ!殺すのが勿体ないよ!あはははっ。」
だったら今すぐ逃がしてくれと思ったが、グッと堪えて余計な事は言わない。
自分が優位だと思ってくれていたら隙が生まれるかもしれない。
お願いだから子供だと思って油断して!
「じゃあ、どこから話そう?やっぱりどうやってミユちゃんがいなくなったのか。そこからかな?」
ニッコリと笑い、楽しそうに男は話し始めた。
「4年前のあの日。
みんな楽しそうに"かくれんぼ"をしてて、可愛いなぁと眺めながら僕は公園の掃除をしていたんだよ。僕は普段から子供が好きでね。あ、僕の好きはどういう好きか分かるかな?カナちゃんみたいな子供には難しいかな?」
ニヤニヤしながらこちらを見てくる。
(要は小さい子供に興奮する変態って事でしょ?)
そう思ったが何も言わない。
自分語りをしてるうちはきっと私は殺されないはず。
思う存分喋らせてやろうじゃない。
時間稼ぎしたいが、いくら時間があっても探し当ててくれるのか分からない。ミユちゃんが見つからなかった事を考えると厳しいかもしれない。
でも、少しでも長く無事で…。
とにかく祈るしかない。
お願いだから誰か助けて!!
男は困惑する私の顔を嬉しそうに眺めながら、さらに話を続けた。
「まぁ、僕はそういう意味で子供達が大好きなんだよ。お金も貰えないのに公園の掃除や管理をしてるのは、いつでも可愛い子供と触れ合えるから。みんなは安全に綺麗な公園で遊べる。僕はいつも可愛い子供達の側にいられる。みんなが幸せだろ?最高じゃないか!」
まるで演説でもするかのように男は気持ち良さそうに話している。
反吐が出る。
とんでもないクソ野郎じゃんか。
気色悪い。寒気がするわ。
「ん?なぁに?その顔。僕の事、気色悪いとか思ってるでしょう?ぜーんぶ顔に出てるよ〜?…ま、いいけど。」
コイツ…自分に酔ってるように見えてちゃんとこっちを見てる。
下手な動きをしたらたぶん、すぐに…。
「あれ?今度はマズいって顔だね。賢いけどやっぱり中身は子供だなぁ。僕には顔を見ているだけでカナちゃんの考えてる事が手に取るように分かるよ。面白いなぁ。…もう少しお話してあげるね。」
再びクスクス笑いながら男は私を見つめる。
うぅ。気持ち悪いコイツ。
あの目がイヤ。蛇みたいな目。
「で、実際にミユちゃんをどうやって捕まえたのか。…知りたいよね?」
「……。」
私は無言で頷く。
「いいねぇ!よしっ!じゃあカナちゃんには全部教えちゃおう。……あの日、みんなでかくれんぼをしていただろう?実は、みんなが隠れる場所をいつも見ていて覚えていたんだよ。」
「…いつも?いつも公園にはいなかったでしょ?」
「そうだよ。僕にも仕事があるからね。だから、公園のあちこちに小型のカメラを隠していたんだ。録画しておいて後で見たりもしてたよ?それならいつでもみんなを見られるから。ふふふっ。みんな可愛くてね〜。隠れる場所が大体決まってるんだよ。…ミユちゃんもね。」
男はそう言いながら意味ありげに笑った。
その様子は気味が悪いが気になって怪訝そうに私は聞いた。
「…どういう事?」
「ミユちゃんは誰が鬼でもいつも見つからなくて、最後にこっそり出てきていただろう?なんでだと思う?」
「え?なんで?…分からない。」
「ふふっ。さすがに賢いカナちゃんでも分からないかぁ。…ミユちゃんはね、ここにいたんだよ。」
「…え?ここ?この中にいたの?」
「そう。僕の秘密基地。内緒にしてたのにいつの間にか見つけてこっそり忍び込んでたみたい。」
あの真面目で正義感の強いミユちゃんがそんな事をしてたなんて…。私には信じられなかった。
「嘘…嘘だよ。ミユちゃんがそんな事する訳…」
「じゃあ、どうしていつも見つけられなかったんだろう?…説明出来る?」
「……。」
私は静かに首を横に振るしかなかった。
「ふふっ。素直なカナちゃんも可愛いねぇ。…で、あの日ここに入り込んでいたミユちゃんをおじさんが見つけたのさ。それからどうしたのか。そこが一番気になる所…かな?」
男は私の様子を伺ってニヤリと笑った。
背筋が寒くなる。この先を聞くのが怖い。
ミユちゃんはどんな酷い目に遭わされてしまったんだろうか…。
「僕はミユちゃんにお仕置きしようとした。だって、人の部屋に勝手に入っちゃ駄目だろう?でも、ミユちゃんが泣いて謝るんだ。何だか可哀想になってね。僕はミユちゃんに交換条件を出した。…何か分かる?」
この男は私に何を言わせたいんだろうか?
私はまた黙って首を横に振った。
「僕はね、さっきも言った通りカナちゃんの方がタイプだったんだよ。だから、ミユちゃんにカナちゃんを連れてきてくれたら許してあげるって言ったんだ。」
「…!?な、何を言ってるの…?」
「今のじゃ分からなかった?僕は、ミユちゃんじゃなくてカナちゃんが良かったんだよ。でも、断られちゃった。カナちゃんに痛い事するんでしょ?ってさ。
ミユちゃんはね……
君を庇って死んだんだよ。」
「…え?」
「だ〜か〜ら〜!ミユちゃんは、君を…カナちゃんを庇って死んだの!」
「ち、ちょっと…何言ってるのか……」
「その言葉のままだよ。僕が本当に狙ってたのはカナちゃん!君だもの。」
ふふふっと笑いながら、男は嬉しそうにこちらを見ている。
「やっとこの場所で二人きりになれたんだ!嬉しいなぁ。ねぇ?カナちゃんは嬉しいかい…?」
私は今、自分が何を言われたのか理解出来なかった。
あまりの事実に言葉を失ってしまっていた。
「あらら?やっぱりショックだったかな?そりゃそうだよね〜。自分のせいでお友達が死んじゃったんだもん。悲しいよね〜?」
「…お前が……お前が殺しといて!!何言ってんだよっ!!」
我慢出来なかった。
私のせいでミユちゃんがコイツに殺されたなんて。
公園の入り口で見たミユちゃんを思い出す。
あのパックリ開いた真っ赤な口。
アレはやっぱり私への復讐のつもりだったのかな…?
今日、この男に会わせる為にわざと呼んだような気がする。
「おぉ〜!やっと大きな声出したね?…でも、口の悪い子は好きじゃないなぁ?」
男が再びこちらへ歩いてくる。
私は何とか顔を背けるが、顎を持たれて正面を向かされる。
「や、やめてっ!イヤだ!!」
縛られた手や足をバタつかせて必死に抵抗するが、やはり大人の男には太刀打ち出来ない。
手を抑えられて床に組み伏せられる。
男が私の体の上に乗り、顔を近づけてきた。
顔をブンブン振って抵抗するが、次の瞬間。
バチンッ!
平手打ちで頬をぶたれた。
あまりの勢いに一瞬意識が飛びそうになる。
あ…コイツ本気だ。
私、たぶん家には帰れない…。
「駄目だよ〜カナちゃん?可愛いお口でそんな汚い言葉使っちゃ。これは…お仕置きね。」
そう言いながら、バチンッ!と男は反対側からもう一度私の頬をぶつ。
そこから男の手はなかなか止まらなくなる。
バチンッ!
バチンッ!
バチンッ!
バチンッ!
…私はここで意識が無くなった。
「なぁんだ。カナちゃんもう眠っちゃったの?仕方ないなぁ。おやすみ!…ふふっ。また明日ね。」
…夢を見ていた。
ミユちゃんがいなくなったあの日の夢。
「もういいかーい?」
「まーだだよー!」
「もういいかーい?」
「もういいよー!」
また私が鬼だ。
いつもミユちゃんが見つけられない。
他のお友達を探していく。
「〇〇ちゃん、みーっけ!」
「あ、〇〇くんもみつけた!」
小さい私はどんどんお友達を見つけていく。
でも、やっぱりミユちゃんが見つからない。
「ミユちゃーん!もうこうさんだよぉー!でてきてーっ!」
私が叫んでも、ミユちゃんの姿はなかなか見えない。
あちこち探して歩く。
他のお友達は別の遊びを始めてしまった。
私もそこに混ざりたかったけど、ミユちゃんを探さないと。
公園の中には木で出来た小さな小屋があった。
おじさんがいつも掃除道具やゴミを置いておく小屋。
「近くに行っちゃダメよ!」ってお母さんに言われてたから、いつもは絶対に側には行かない。
でも、ミユちゃんがここにいる気がしたんだ。
近くに行くと何か音が聞こえた。
耳を澄ませてよーく聞いてみる。
「いやー!やめてーーっ!」
「えっ!ミユちゃんのこえ…?」
バシッ…ドカッ……
何か大きな音もした。
間違いなく小屋の中から音はするのに、すぐそこの音じゃない。…変な感じだ。
「…ミ、ミユちゃ〜ん?いるの〜?」
怖くて少し小さな声で呼んでみる。
…返事はない。
「ミユちゃーん!どこー?」
今度はもう少し大きな声で呼んでみた。
…やっぱり返事はなくて、私は怖くなった。
でも、小屋のドアはすぐそこだ。
開けられない高さじゃない。
「んっ!よいしょっ!…あかないー。……あ、あいた。」
ギ、ギギィー…
何処かで聞いた事のある音だと思った。
さっきの天井の扉の音に似てる。
ドアを思い切って開けてみた。
でも…誰もいない。
いつもおじさんが使ってる掃除道具やゴミがあるだけ。
「あれ〜?おかしいな。ミユちゃんの声したのに。」
小さな声で呟きながら、中を見回すが子供の目線で見ても分かるわけもなく。
私は聞こえた声や音は気のせいだったんだろうと思って、別の場所を探しに行ったのだった。
「…あぁ、ミユちゃん。あの時いたんだね。そして、それがこの場所。」
目が覚めて自分が泣いている事に気づいた。
涙でビショビショの顔を拭おうと手を見て驚いた。
拘束が解けていた。
慌てて顔を触ると激痛が走る。
酷く腫れているのが鏡を見なくてもわかった。
口の中は切れていて奥歯が割れていた。
ペッと吐き出して痛みに顔を歪めた。
「…酷い。あんな奴、人間じゃない。」
足は拘束されたままだったが、手が自由になっていたので何なく解き、他に怪我がないか体を触って確かめる。
頭は…出血してない。
腕は…まぁ、大丈夫。骨は折れてなさそう。
両手をグッと握ってみる。
多少の擦り傷や痛みはあるが、顔に比べたら大した事はない。
足は…縛られた痕が残ってアザのようになってはいるが、こちらも擦り傷程度で大きな怪我はない。
お腹や背中など、触れる所はあちこち触って確かめたが平気だった。
これからゆっくり時間をかけてじわじわ痛ぶるつもりなんだと分かった。
「やっぱり…あんな奴人間じゃない。」
電球もつけたままになっていて、外へどうぞ出て下さいと言わんばかりだ。
「…そんな簡単に出られる訳ない。」
出来ればこのまま勢いで出てしまいたいが、きっと何か対策してあるのだろう。
「どうせ逃げられないよ?」という男の声が聞こえた気がした。
逃げられやしないと余裕ぶっているのだろう。
あの男の考えそうな事だ。
ひとまず、梯子を登ってみて出られるか挑戦してみる。
下からグッと扉を持ち上げようとするが、何か重たい物が乗っているようでびくともしない。
「…やっぱりね。」
「さて、どうしよう…?」
この酷い顔とこの環境じゃ今すぐ殺されなくてもいずれ何らかの形で死んでしまうのは目に見えている。
座って考え込むが何もいいアイデアは思いつかない。
ふと、さっき男が言っていた事を思い出した。
「この箱の中…。」
「箱の中…?ミユちゃんがここに?」
恐る恐る近づいて開けられる所がないか探してみる。
「あ、開きそう。」
蓋と箱の境目を見つけてグッと持ち上げてみる。
「…ひっ!」
そこにはあの日の服を着て、骨になったミユちゃんがいた。
思わず蓋から手を離してしまいそうになるが、ここで目を背けちゃいけないと思い直した。
「ミユちゃん…?ミユちゃんだ。……みーつけた。」
言ってから涙が止まらなくなる。
「ミユちゃん…ごめんなさい。見つけてあげられなくてごめんなさい。うぅっ。ご、ごめんね。」
私はその場で蹲り、謝りながら泣いた。
やっぱりあの日、あの小屋の地下にミユちゃんはいたんだ。
私が見つけてあげられなかったから。
実はその時、まだ小さかった私は声や音がして怖くなった事や小屋を見に行った事を親にも警察にも黙っていた。
近くに行っちゃダメ!という言いつけを破った事を怒られるのが怖かったのだ。
それに探したけれどいなかった場所なんて大人達は誰も聞いて来なかった。
「…ミユちゃん、ごめんね。」
何度目かの謝罪の後。
「カナちゃん、遅いよ!でも見つけてくれてありがとう。」
ミユちゃんの声が聞こえた。
「ミユちゃん?…ミユちゃんなの?どこ?どこ行ったの?」
声に反応して慌てて周りを見回したが、もちろん誰もいなかった。
そっと背中を押された気がした。
「…逃げなくちゃ。このままここにはいられない。ミユちゃんがここにいるって伝えなきゃ!」
再び梯子に登る。
さっきの重さを思い出して、勢いよく扉を押した…!
バタンッ!!
「え。あ、開いたっ!?なんで?さっきはあんなに…」
言いかけた時、目の前にミユちゃんがいた。
何も言わずに手招きしている。
「ミユちゃん!?待って!置いていかないで!」
急いで残りの梯子を登り切り、上の小屋の中へ上がる。
「…やっぱり!公園のあの小屋の中だったんだ。」
ミユちゃんはドアではなく、掃除道具が立てかけてある横を指差した。
「ミユちゃん?そこには何もないよ?」
私は近づき手で壁を押した。
ギシッ…ギシギシッと音がして板が外れた。
「え…嘘っ!外れた…!」
ミユちゃんがその隙間からスゥッと出て行く。
結構狭いけど私の大きさで行けるのかな?
体を横向きにして何とかギリギリで外へとにじり出た。
「…あれ?ミユちゃん?」
小さい声で呼ぶと少し離れた所でまた手招きしているミユちゃんを見つけた。
「今度は公園の入り口と反対側だけど…。でも、ミユちゃんを信じよう。」
私はなるべく音を立てずにミユちゃんの元へと走って行く。
ミユちゃんが手招きではなく、今度は手を下に押すように動かす。
「…ん?しゃがめって事?」
ちょうど小屋からは死角になる小さな丘の辺りだった。
ジャッ…ジャッ…
砂を蹴るような踏みつけるような音がする。
鼻歌まじりで誰かが歩いてくるのが分かった。
「…!?あの男だ!」
大きな声が出ないように口を咄嗟に押さえた。
ミユちゃんの方を見ると、手のひらをこちらに向けてストップを意味するような動きをしていた。
「走って逃げたいけど動いちゃダメなの…?怖い。怖いよ。」
膝がガクガクと震えているのが分かった。
きっと捕まったら殺される。
呼吸が荒くなり、息遣いがあの男に聞こえてしまうんじゃないかと心臓がバクバクと跳ねる。
しばらくして…
「どこ行った!?あのガキっ!!」
突然、男の怒鳴り声が聞こえた。
「ひっ!」
思わず大声で叫びそうになる。
口をギュッと抑えて何とか堪えた。
(怖い…怖いよ!誰か助けて!!)
声に出せないのは分かってるけど、もうすぐにでも悲鳴を上げてしまいそうなほど私は限界だった。
ガタンッ!
バタバタッと音がして、男が歩く足音がした。
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
「どこ行った?」
一定のリズムでずっと男が言いながら、公園の中を歩き回っているのが分かった。
このままじゃ見つかっちゃう…!
助けを求めるようにミユちゃんの方を見ると…
いなかった。
「え…どうして?ミユちゃんがいないっ!助けてくれるんじゃないの!?」
パニックになりそうになった私に次に届いたのは、あの男の悲鳴だった。
「ぎゃあーーーーーー!や、やめろぉーーーーーーーっ!!」
私には何がなんだか分からなくて、耳を塞いでその場で声や音がしなくなるまで蹲っている事しか出来なかった。
……しばらくして何の音も気配もしなくなった。
私はギュッと瞑っていた目をゆっくりと開けた。
トントン。
突然肩を叩かれて、思わず横へ飛び退く!
「だ、誰っ!?」
後ろからだったので怖くて顔が見られず声だけで聞く。
「カナちゃん…かな?警察の者です。大丈夫ですか?」
恐る恐る振り返る。
…お巡りさんだった。
さっきの男の悲鳴を聞いて、近所の人が通報したらしい。あの悲鳴から結構な時間が経っていたようだ。
男は小屋の前で何者かに首を絞められて気絶していたそうだ。
…死んではいない。
ミユちゃんだ。直感的にそう思った。
きっと自分を見つけてもらいたいのと、何があったのかを犯人に自分で喋らせる為。
正義感の強いミユちゃんならそうするだろうと思った。
警察に保護された私は顔の怪我が酷く、救急車で病院へ向かう事になった。
警察が連絡してくれたのだろう。
お母さんが真っ青な顔をしてパトカーから降りて走ってきた。
ストレッチャーの上に座っていた私に駆け寄る。
「カナ!?カナ!大丈夫なの?」
ギュッと抱きしめられる。
「…お母さん。怖かった。怖かったよ…。」
私は母の顔を見てホッとしたのか、すごく小さな子に戻ったかのように声を上げて泣いた。
「うん。怖かったね。痛かったね。…もう大丈夫よ。」
お母さんも泣きながら私の背中を撫でてくれる。
母にしがみつき、ひとしきり泣いた後で救急車で病院へ向かう。
救急車に乗り込む間際、公園の方を見た。
やっぱりここにミユちゃんがいたんだな…と思ったその時。
低い木の間から手を振るミユちゃんが見えた。
「…いつも出てきてた木だ。ミユちゃん、ありがとう。」
ニッコリ笑うミユちゃんがスッと消えた。
「さぁ、行こう。もう大丈夫よ。お父さんにもうすぐ会えるから。」
お母さんに手を握られ優しく声をかけられた。
ホッと息を吐き、私は公園を後にした。
その後の私は怪我の状態や精神的な状態を鑑みて、しばらく入院する事になった。
犯人の男も病院へ運ばれたそうだが、命に別状はなく順調に回復して逮捕される事になったようだ。
ミユちゃんの両親へは警察から連絡がいったようで、事件から数日後にお見舞いに来てくれた。
「…カナちゃん。大丈夫?」
「おじさん、おばさん。あ、あの…ごめんなさい。」
「えっ。どうして?」
「私、引越しの日に家の前を通りかかったのに。おじさんとおばさんに謝りたかったのに逃げちゃったんです。それにミユちゃんを見つけられなくて、本当にごめんなさい。」
二人は泣きながら首を横に振った。
「ううん!カナちゃんは何も悪くないのよ?もう大丈夫だから。…ミユを見つけてくれて本当にありがとうね。」
おばさんが泣きながら言った。
私も泣きながら言った。
「ミユちゃんが…助けてくれたんです。私、ミユちゃんに会ったから。」
何があったのか…怖かったけど思い出しながら全てを私はミユちゃんの両親に話した。
「そんな事が…。カナちゃん、本当に怖い思いしたのね。私達が言うのが正しいか分からないけど…こんなに怖い思いをさせてごめんね。でも、本当に無事で良かった。…ミユの事は残念だったけれど、それでもあの子は帰ってきてくれたから。これからはカナちゃんが幸せになってくれると嬉しいな。」
「そうだな。カナちゃんにこんな事を言って重く受け止めないで欲しいんだけど…。ミユの分まで幸せになって欲しい。」
ミユちゃんのお父さんとお母さんは、笑顔で私に言ってくれた。
「…ありがとうございます。」
そう笑顔で言った私の耳元に「ありがとう。」とミユちゃんの声が聞こえた気がした。