ミゼン13
ギニョール劇場は元々、生身の人間が演劇をするための巨大なホールとして建造された。建造された当初は客席も劇場も日差しにさらされ、階段状になった客席に自由に腰を掛けられるようになっていたが、今は客席に布製の日除けを掛けられた状態で残され、白い日除けと日焼けで少し赤茶けて見える半円の壁にも見える客席がコントラストを作っている。
バニラは一目見て、改めて先ほどの石像が後世のものだったというピンギウの言葉に納得した。劇場の前には施しを求める乞食たちが丁度良い日陰だというように壁に貼りついて地面に胡坐をかいており、壊れたような糸車を回して無言で寄付を募る男が座っていた。バニラは視線をゆっくりとそこまで下した後、劇場の入り口に視線を動かす。アーチがいくつも重なる中に石像の精巧な装飾が刻まれた客席の裏側は、舞台に向かって緩やかに傾斜を作っている。
二人は少し歩み進め、天井のない劇場側に回る。演目が開催されていない現在、人は疎らだが、リハーサルなのか、人形師たちの掛け声が聞こえる。平らに混凝土でならされている舞台は客席の一番下よりも子供の腰ほどの高さまで高い所にあり、最前列では人形師たちの足元が丁度目の高さにあるようであった。人形劇には十分広いこの舞台を独り占めしているのは、貴族らしい身形の整った男である。彼は前かがみで腰を丸めながらリハーサルを注意深く観覧しており、人形の身動ぎ一つ一つに眉間の皺を寄せている。どこか先ほどの警備の男を思わせる神経質な表情で、外から見ていた二人は遠慮して彼の視界の外から舞台を覗き込んだ。
「あ、あのパトロンの人、パン菓子を食べているね」
「飲み物は銀のゴブレットに注いでますね」
二人は彼の真剣なまなざしを避けるように、彼の手元を指さした。パトロンの男はパイ生地のようなパンに白砂糖を塗したいかにも高級なものを、これまた豪快に砂糖を床に少し零しながら頬張ると、長い腕をいっぱいに伸ばして人形師に指示を送る。くぐもった声はやや下品で、見せびらかすような大仰な動きはいかにも舞台的である。
「俺達もちょっと腹減ったな」
バニラが腹を摩る。ピンギウは細い目を益々細めて、落ち着いた様子で微笑む。
「あんな高級品は無理ですけど、何か買い食いしますか」
ピンギウは客席側の日陰に突き出すように建てられた屋台を指さす。バニラは「そうだなぁ」と呟き、屋台の前に掛けられた看板のメニューに目を凝らした。
「いや、たっか」
二人は同時にそう言う。そして、顔を見合わせて笑った。
「足元見てるのが良く分かるな……」
解説の際には見せびらかす為に人形劇を解放していると言っていたが、バニラは屋台に金の匂いを感じ取っていた。屋台の作業台の上には、共同出資者を示す貴族たちの名前をずらりと並べた、債権者リストが堂々と公開されていた。
「どこかいいところないですかねぇ」
ピンギウはきょろきょろと周囲を見回す。劇場なだけあって、周囲には屋台も少なくないが、いずれも総じて相場より一割ほど高い金額で食事を提供している。飲み物などは、安酒だと安心して買ってしまえば無一文になりそうなほどの金額であった。観客席の入り口には、食事の制限に関する規定が、絵と文字で詳細に書かれている。「連名で認可を受けている屋台だけが、食事を行える」という規程であった。バニラは、その余りにも現金な要求に、屋台を探しながら卑屈な笑い声を零してしまった。
「あ、少し離れたところに連名の認可が無い食事処、ありますよ」
ピンギウは指を差す。そこは劇場の向かいにある、白い壁の建物の前に展開されていた。木組みの簡素な支柱に白い布を掛けた、、土産物屋と連結して建てられた建物であり、その前には幾つかの木箱が椅子代わりに置かれている。そこに腰かける人々は談笑しながら固く焼かれたパンを頬張っている。
「なるほど、あれなら庶民も来やすいわけだ」
「彼らの暇つぶしを手伝うのも、楽しそうですね」
ピンギウはそう言って財布のひもを緩める。主人は近づいてくる二人に向けて手を挙げて、硬いパンのカットを用意し始めた。
干し肉よりも芳ばしいパンを手に入れた二人は、演劇の話題で盛り上がる集団の付近に腰かけ、彼らと談笑を交わしながら、開園の時間を待ったのであった。