ミゼン8
ミゼンの町を歩く人は、口を揃えて、流石はペアリスと並ぶ町だと言うだろう。開場直後の市場には、行き交う商人の波で溢れていた。
賑やかな歌声が、橋を通り過ぎるたびに響く。この川を跨ぐ橋の両端では、傘貸屋が冗談を言い合いながらじゃれ合っている。橋の中央には茣蓙を敷いた両替商が屯し、路地裏からぼろ布を着た貧者が顔を覗かせる。空を見上げればおまるに溜まった排泄物が降ってくるのを見る事が出来るだろう。ミゼンと言う町は、カペーリストの性格を凝縮したような町であった。
学生達の恩師は、今酷い筋肉痛のために、外に出る事を避けたのだが、若い彼らは遊ばずに過ごすというのは我慢できない。彼らは散歩がてら町を廻り、最後にギニョール劇場の公演を見ていこう、と言う計画を立てて宿を出発した。
彼らは初めに、ミゼンの中央広場を目指す。そこには、ミゼンを見下す公爵像があり、待ち合わせ場所の定番でもあった。
かくして、学生達は、傾斜の緩やかな坂をいくつか上り下りしながら、新市街の方へと歩いていく。町並みは旧市街と異なり煉瓦造りのモダンな作りであり、商店街にはペアリスに劣らぬ華美な衣装を身に纏った人々が集っている。かと思えば、井戸水を汲んで歩く汚い服装の職人や、ぼさぼさ頭の、寝ぼけ眼の学生達とすれ違う。彼らは、ミゼンの新市街に溢れるペアリスでの既視感の中で、却って違いを見つけることによって、退屈を紛らわす事が出来た。
やがて、新市街を通り抜けた町の中心地に至る。中央広場には、本来は旧市街の都市の出口であった「凱旋門」と、その前に建てられた公爵像を観光した後に至ることが出来る。中央広場にあるのは豪商の邸宅、両替商たちの出資で建てられた「ミゼン共有銀行」が建ち、商業都市、芸術都市としてのミゼンを支える名門大学ミゼン大学が建っている。新市街の商店街で彼らが見た、ぼさぼさ頭の学生も、このミゼン大学に飲み込まれていった。
さて、学生達の様子を見ていかなければならないだろう。まず、凱旋門の前に辿り着いた学生達のうち、歓声を上げたのがバニラであった。
「おぉ、ペアリスの凱旋門に劣らず立派ですね」
「このミゼンの凱旋門は、カペル王家の入場を記念して建てられた古いものだ。白い大理石も、やや汚れて見えるのはそのためだね」
ルクスは指で門を撫で、指先を確認する。埃とも煤とも見分けがつかない黒い痕が、彼の指紋に沿って指についた。
「洗ったりしないんですね」
「触るのが恐れ多いんだとよ」
クロ―ヴィスはそう言うと、興味なさげに凱旋門の隣の像を見上げる。立派な髭を蓄えた、やや小太りの男が、筋肉質の馬の上で、目を細めている。そこに偉大さは感じられないが、尊大さは良く感じられる。彼はこの小太りの男の足元に触れると、「家臣に磨かれないってのは辛いよなぁ……」と、独り言ちる。
町は立ち止まるのにかなり苦労するほど混雑をし始める。徐々に混雑する待ち合わせ場所には、仕事用のターバンを巻いたウネッザの商人や、つば広帽を被った高貴な身分の男たちなどが集い、頭を下げ合っては各々の職場へと向かって行く。
その中で、バニラは非常に微笑ましい姿を目にした。凱旋門の前で忙しなく貧乏ゆすりをする年若い男が、同世代らしい女性に頭を下げている様子だった。赤面した彼が、この待ち合わせに特別の意味を感じている事は言うまでもないことである。
バニラは微笑ましく思い、生暖かい瞳で彼らを眺めていたが、隣から奇妙な物音がすることに気づく。そちらを向くと、クロ―ヴィスが同じものを見ながら歯をむき出しにして歯軋りをしていた。
「おぅ……みなまで言うな、バニラ。俺はな、目の前で甘酸っぱいものを見せられると、鼻の奥が酸で犯されたみたいに酸っぱくなるんだ……」
「えぇ……」
クロ―ヴィスは、今にも襲い掛かりそうな形相で、カップルを睨みつける。凱旋門前の通行人の視線を一身に受け、彼は立ち去るカップルの姿に向けて叫んだ。
「いいか、俺は行くぞ。この世の豊かな愛の巣から、その枝葉や卵を叩き落とすんだ!」
「面白そうだね!僕も同行しよう」
ルクスはスキップをしながら、肩を怒らせて進むクロ―ヴィスの後を追った。
取り残された二名は、顔を見合わせる。
「……どうしますか?」
「あー……。先にギニョール劇場に向かってますねー!」
バニラは大声で二人に叫ぶ。刺すような視線が一気に散っていく。ルクスが後ろ手で手を振って応じる。ピンギウは呆れて溜息を吐いた。
「じゃあ、僕たちはのんびりミゼン観光しますか」
「そうだね、どこ行こうか?」
二人は凱旋門を中心に、案内図を確認しながら、のんびりと観光の計画を立て始めた。
あぁ、忌まわしきカペラの花冠!
この上なくいちゃいちゃと!
あんなものばかり見せられたらフォルカヌスもまた辟易するだろう!
私が愛を阻んでやろう、冥界に落としてやろう!
ゴリアルドは辟易し、巨人となって踏み潰すだろう
あぁ忌まわしき愛の花、ここでゴリアルドが踏み荒らす!