ミゼン4
「あぁ……着いた……」
バニラはピンギウと二人掛かりで、最後の段で倒れ込み、引っかかったまま動けなくなったルクスを引っ張り上げた。やっとの思いで引き揚げられた男も、暫くすると立膝を突き、荒い呼吸で真っ赤な瞳をバニラに向けて礼を述べた。
「滅茶苦茶グロッキーだな……。大丈夫か?」
クロ―ヴィスは汗が服に滲んでおり、多少疲労の色は見えるものの、無理矢理数人を引き上げたり支えたりしていたバニラより疲れているという事もなく、けろりと言ってのける。しなびた羽根帽子をぐしゃりと握りつぶしたルクスは、血相を変えてクロ―ヴィスを睨んだ。
「大丈夫に見えるか!?君のペースが速すぎて、足が捥げそうだったよ!」
クロ―ヴィスは腕をかく。首筋が汗で輝いていた。
「あぁ?そうかぁ?」
「そうなのぉ……!」
ルクスはそのまま地面に突っ伏して泣き出してしまった。もはや普段の余裕は微塵もない。議論の際の余裕綽々とした様子が想像できないほど、小さく丸まっていた。
ピンギウは足を揉むモーリスを労わり、マッサージを手伝っている。バニラとクロ―ヴィスは顔を見合わせて、地面に突っ伏したまま泣き崩れているこの貧相な男に肩を貸した。
「もう少しですから、頑張って」
「足、動くか?」
「鍛錬は……怠ってな……いわけではないけど、徹夜しても体は平気なのに……。面目ない」
「人には得手不得手がありますよ」
バニラが労わると、クロ―ヴィスは意地悪な笑みを作った。
「俺はこいつの不得手なとこが見つかって安心したわ」
「人でなし!薄情者!うんこ野郎!」
ルクスは鼻水を涙に混ぜながら叫んだ。クロ―ヴィスは面白そうにくつくつと笑う。バニラは苦笑して、クロ―ヴィスのペースに合わせて一歩ずつ、聖堂へと近づいていく。
階段を登ったすぐのあたりから、広い石畳の道が続く。左右を木々に囲まれた閑静なこの道の先に、ミゼンが誇る聖堂、アル・ダアム・ドフォヴィエール聖堂は、木々によってその全貌を隠したまま、聳え立っている。正八角形の尖塔の先に、円錐の鋭い塔を建てた、それは、白く眩く瞬いていた。そのたたずまいはさながら要塞のごとく、入り口のアーキヴォルトを支える四本のイオニア式支柱は、強固な口を開いたまま来訪者を待ちわびている。
城のような狭間、石造の飾り戸付きのステンドグラスなど、独特の造形を散りばめた聖堂は、威圧的で圧倒的な存在感を醸し出している。
あるいは、彼らの疲労感が、聖堂をそのように見せるのに手伝っているのかもしれない。
螺旋の冠には二枚の樫の葉が添えられ、白く澄んだ大理石の光沢も手伝って、朝露のような煌めきを湛えている。
八角形の尖塔から尖塔へと係る緩やかな傾斜の屋根までも、住渉空に浮かぶ雲のように明るい白色をしている。彼らの視界の反対側には、丘に面した二つの尖塔、両翼にも同様の尖塔が二つずつ、計八つの尖塔が並び立っている。彼らの位置から望む事が出来るこれらの尖塔は、聖堂を支えるに留まらず、それ単体が持つ凛とした美しさによって、聖堂そのものに劣らない美しさを有していた。
尖塔が支える聖堂本殿には、神々と天使、悪魔と人、そしてそれを区切るように幻想生物の彫刻が彫られている。彼らの世界でさえ見ることの困難な虹翼のグリフィン、悪魔と共に罪人を阻む三叉のケルベロス、カペルの森深くに整然と座する赤の巨竜、彼らの頭上には双翼の天使、四翼の天使が飛び交い、天上にほど近き屋根の飾りには、並び立つ各国の主宰神と、六翼の天使とが舞っている。
白色の大理石一色で固められた、巨大な彫刻芸術は、彼らを一気に異空間へと引き摺り込んでいった。
「……見事だな」
「綺麗ですね」
彼らはそれ以上の言葉を失った。バニラは二人を支えて登った、倒れそうな自分の肉体を誇らしく感じた。長年の極貧生活で培った、技術を伴わない単純な体力は、窮屈さ、研究時間の圧迫、あらゆる意味で彼にとって苦痛であった。
しかし、改めて、苦労をして上り詰めた先にあるこの聖堂は、これまでの二百段分の苦労を吹き飛ばすほどの魔力を放っている。生涯分の苦役、彼の汗腺から流したあらゆる汗の全てを労わるシャワー、圧倒的存在感で佇む白の貴婦人が、彼らの言葉をその佇まい一つで労ったのである。
「あぁぁー……ここまで来たんだ」
ルクスが息を切らして見上げる。くたびれた上質の衣装が、酷く矮小に見える。しかし、バニラの目には、彼もまた、同じ感動を共有しているに違いないことを確信した。
「入りましょう。この中が、気になって仕方がありません」
彼らが聖堂の戸口まで至ると、支柱は更なる荘厳さでもって彼らを迎え入れた。