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ミゼン1

 ラ・サーマを出発して二日ほど進むと、二つの河川沿いにある大きな道に合流する。そこから西方すぐには、河川を束ねるように市壁の周辺に船着き場を並べる大都市の姿があった。


 道には、一頭立ての荷馬車がひっきりなしに往来するようになる。その荷台の中には紫や赤、黄色や青の絹布が覗かれた。


「とうとうミゼンだな!」


「ミゼンと言えば商売と美食の都!教会も見事だが、何よりも食事だよ、君たち!」


「ほぉっ!」


 ピンギウが飛び上がる。その目には普段見られないような輝きが戻っていた。


「葡萄酒もエールも美味しいよ。とにかくコクがある」


 ピンギウは右手を高く挙げる。勝ち誇ったような表情のまま、無言でバニラの方を見ている。


「よかったね……」


「ふふっ……」


 ピンギウはそのままの表情で前を見る。興奮を抑えられない彼は、しきりに荒々しく鼻息を吐いた。


 ミゼン近郊には、広い葡萄園と小麦畑が広がる。風が一つ吹けば殻同士が擦れあう心地よい音が響く。青みがかった種は未だ小さく、馬車が通りかかるほどに、その未熟さをかき消すように鳴いた。


 やがて、川沿いのこうした畑を通り抜けていくと、清流の流れに角を削られた小石達の群がる川縁が眼下に見えてくる。

 幅の広い川の上をいくつもの小舟が行き交う。川沿いにある市門のすぐ前にある船着き場では、人型の荷物を山と積んだ男が手続きを行っていた。


「あれは人形ですか?」


「ミゼンのギニョール劇場か。人形芝居を専門にする劇場があるんだよ」


 ルクスは目を細めて言う。男がミゼンへと入場していくと、彼は視線をバニラに戻した。バニラは小さな相槌を打ち、今度は自分達が向かう正門の方を見やる。市で最も大きなこの門には、古代の形式を保ったままの疑似アーチが残っている。疑似アーチの前には大旅行参加者と行商人とが入り混じった馬車の行列ができ、暫くは彼らの番がやってきそうにない。

 馬車の外の様子を窺った後で、モーリスは一つ咳払いをして、旅の恒例を切り出した。


「では、入場の前に、ミゼンについて、少し解説をしておこうか」



 歴史、芸術、美食……。花の都ペアリスにも劣らぬ歴史を持つカペル屈指の大都市ミゼン。その成り立ちは遥か太古、異教の信仰の時代にまでさかのぼる。カペルを流れる主要な川二つの合流地にほど近いミゼンは、彼らの植民市の中心地として繁栄した。帝国崩壊後もカペル王国交易の分岐点として発展し、多くの異文化が交流する地ともなった。


 そんなミゼンは多くの食料や衣料品、知的好奇心をくすぐる書籍、珍しい異国の物品などが必ず流入してくる。「ないものはミゼンで買えばよい。ミゼンにないものは諦めなさい」などと、貴族が駄々っ子を黙らせるのによく使う常套句が使われる程だ。


 さて、この、異国の物品の中には、操り人形(マリオネット)も含まれている。この物珍しい商品に、パトロンたちは飛びつき、彼らは自分達が持つ操り人形の面白さを見せびらかすために、各人共同出資で人形劇専用の大劇場「ギニョール大劇場」を建設した。これは、古代の旧市街にあった円形劇場に、日除けを掛けて改良したもので、演目も「出演者」も様々だが、庶民にも一般公開されている。


 パトロンと言う言葉が出たが、こうした芸術支援の流れをミゼンに齎したものは、絹織物の中継交易だった。ミゼンは川を通してカペル王国内に異国の物品を送る中継地と言ったが、その中でも、絹織物の中継貿易は、ミゼンの市民らに莫大な財産を齎している。この財産を元手に、銀行業や鉱山業などの開発を突き進めたミゼンの大富豪たちは、その有り余る資産を利用して、こうした芸術品、珍品の蒐集を始めたわけだ。



「パトロンねぇ……」


 クロ―ヴィスが呆れたように笑う。これにおどけるように、ルクスは右手に羽根つき帽を持ったまま、両手を大きく開いて見せた。


「まぁ、僕も、見ようによってはパトロンに見えるだろう?」


「頂きます」


 ピンギウが小声で言う。ルクスは満足げに頷き、「賜った」と大仰に頭を下げる。これを見たクロ―ヴィスが鼻を鳴らして笑う。


「まぁ、なんにせよ、だ。ミゼンの滞在期間は比較的長いんだから、人形劇も見るし、うまいもんもたっぷり食おうぜ」


 クロ―ヴィスは無邪気に笑い、バニラの肩に手を回す。バニラは短い返事を返したが、その返事もどこか浮かれたような印象があった。


「まぁ、まずは、教会の参拝から始めようか」


 モーリスが言う。これに対して、少年のような高めの、退屈そうな間延びした返事が返される。一人は酒の銘柄をぶつぶつとつぶやき、市門が間近に迫ったことさえ、気づく事がない。モーリスは小さく溜息をつき、バニラもつられて深い息をついた。


 馬車はようやくミゼンの古い門を通る。イオニア式に似た渦巻飾りの柱が支えるのは、石を斜めに積み上げた疑似アーチである。頭上に角材が迫りくるような緊迫感と、ミゼンへ込めた期待感を胸に、バニラは、この古き良き造形の門を潜り抜けた。

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