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ラ・サーマ-ミゼン

 ラ・サーマを出発する際に、宿の主人は学生達を市壁の前まで見送りに来ていた。寝不足の二名は目の下に薄っすらとくまが出来ており、表情もやや固かったが、主人の見送りには笑顔で応じる事が出来た。


「皆様の旅路が幸多からんことを」


「ベリータルト、おいしかったです。ありがとうございました」


 主人の差し出す手に躊躇いなく応じられることが、バニラには非常に喜ばしいことのように思えた。


「また機会がありましたら、お立ち寄りください。歓迎しますよ」


「はい、是非」


 一同は主人と握手を交わし、馬車に乗り込む。ぎくしゃくしていた二名だったが、この一事で多少心が緩んだのか、普段通りの上機嫌な様子で馬車に乗り込んだ。


 馬車は市門を出発する。手を振る主人が遠ざかるにつれ、ジェインの御旗が視界に広がる。バニラは、自分がこの都市でジェインについて、それほど思いを馳せる事が無かったことに驚いた。考えてみれば、この都市で出会ったものの殆どが、木造建築の粋を尽くした古い教会に帰結する。途端に名残惜しくなったバニラは、はためく聖女の顔をじっと見つめた。


「なんだ?一目惚れか?」


「いや、ジェイン関係の史跡にほとんど触れられなかったなと……」


「あぁ、なんだそのことか。まぁ、一日じゃあな」


 クロ―ヴィスは途端に興味をなくし、気だるげに応じる。ルクスは羽根つき帽を外すと、それをそのまま弄ぶ。


「そうでもないさ。ベリータルトも聖女にちなんだ名物料理だ。それに、僕は道中にアヤメの花を飾った家をたくさん見たよ」


「アヤメの花……?家に飾られていましたっけ?」


 バニラが尋ねると、ルクスは指で上を指し示しながら微笑む。


「窓際の植木鉢や、軒先の表札にね」


「アヤメか……。それは王権の象徴でもあるな」


 クロ―ヴィスは意地悪そうな笑みでいう。バニラは自分がジェインの像探しに夢中になっており、殆ど上を見なかったことに気づいた。


「銅像や石像は象徴的で分かりやすいが、アヤメと言うのは中々難しいね。クロ―ヴィス君の言うとおり、王権の象徴とも取れる。だが、それを、王国と戦った英雄を信奉する都市が象徴として利用するというのも面白い所だ」


 モーリスは、アヤメの花を走り書きしながら解説する。その真横に、アイリス紋を書き、これを示して比較させた。


「紋章に歴史あり。アイリスはカペル王国の初期から、王の紋章として利用されていた。ラ・サーマも、古い時代から王権の支配下にあったのだから、アイリスを重視するのは当然のことだ。そして、処刑された地の伝統的な象徴が、ジェインの象徴となった。皮肉なことだが、だからこそ王はジェインを受け入れたのだろうね」


 モーリスは自分が描いたアイリスを早々に回収しながら続ける。バニラは、遠ざかっていく古い市壁を改めて見た。もはや見送りの様子も見えないが、市壁は地平線から僅かにこちらを覗いている。


 (星を追いかけているときに似ている)


 自分では理解しづらいことと言うのは、些細過ぎて見失ってしまうものと、規模が大きすぎて視認できないものとがある、バニラはそう考えていた。そして、小さな象徴を素通りしたことにより、自分が大きな歴史の舞台を見落としたような心持ちになった。


 ぼんやりと外を眺めるバニラを載せ、馬車は再び北上を始める。


「聖女の面影の紋章と、篝火に萌えるアヤメの花


 燃え盛る薪、聖職者と敵を煙に隠し


 磔刑の棒に身を委ね、赤々とした鎖に腹を焼く


 恥辱の怒り、未だあり 聖女の祈りは灰燼に帰す


 高くはためく横顔の旗 わが胸にいまこそ掲げる」


「聖女の歌ですか」


 ピンギウは、何気なく旅程図を眺めながらバニラに尋ねる。バニラは頷き、そのまま恥ずかしさに俯いた。


「彼女のことを旅を通して深く学んだつもりでいたけど、改めて、学びなおすのもいいな、と思ってね」


 ルクスとクロ―ヴィスはモーリスを挟み、市壁の茨が今の時代にも齎す役割について議論している。かつては防衛装置として機能した壁上のまきびしは、今は観光資源として役立つかもしれない。彼らはそう語りながら、薔薇の花が咲く季節にラ・サーマに訪れるのも楽しいと語らっている。


 ピンギウは静かに旅程図を眺め、小さな字でラ・サーマに関する説明を追記する。そこには、「聖女の都市、王国の都市」と記され、不格好なアヤメの落書きも書かれた。


「いいと思います。聖女の旗を掲げる、象徴を胸に刻む。そう言う風に、考え方を取り入れていくというのは」


「とはいえ、少しかっこつけすぎたね」


「いいえ。かなりかっこつけすぎですよ」


 ピンギウは旅程図から目を離してバニラを横目で見る。その口元は、程よい皮肉を言えた達成感からか、少し緩んでいた。


「あーあ、かっこ悪いなぁ」


 バニラは天井を仰ぐ。彼は既に、ジェインの顔を見られないを嘆くよりは、ジェインについて頭を悩ます事に楽しみを見出していた。


 空はからりと晴れている。生乾きの衣服のにおいを、騒々しい語らいがかき消していた。

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