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ラ・サーマ5 (補足説明)

 ここで一度、簡単な補足説明をしたい。私達が普段、罪をどのように捉えているか、と言う補足である。私達は基本的に、罪に対応する罰を与える事で、罰とは基本的にその罪に対する応報であり、これに罪を犯した者が反省することも期待しつつ、その罪と罰とを天秤にかけ、個人が罪を起こさない事を期待することによって、社会のバランスを保とうとする。

 彼らの議論の肝は、罪に対して罰を課す応報によって、合理的な個人の選択に罪を犯すべきかを委ねて抑止することを期待するべきか、それとも、罰とは罪を犯した者が更正するために課される教育であるべきか、という点にある。


 正義と悪の議論とは往々にして、感情的な「正義」に適うもの以外を「悪」と断ずることで、絶対的なものとしがちである。しかし、実際には、正義とは社会を構成する文化、歴史、地域環境、諸々の異文化との関係によって緩やかに変化していくものであり、その秩序維持の手法も多様であって、「正義」を一概に定義することは困難である。


 彼らの語る議論は、最終的には、こうした正義の正否について語るものではない。彼らの秩序の中で、「個人の選択を重視して罰則を設けるべきか」、「全体の正義を志向するために罰を振るうべきか」という議論である。さて、では、どちらかの立場に出来る限り立つことなく、双方を比較検討してみることとしよう。


 第一に、前者は、一般的な価値観に合わせて正義を定義し、罪と罰を設置すれば、基本的には問題はなさそうである。しかし、この価値観の欠陥は、それら一般的な価値観が度外視される「特殊な状況」を、この秩序にゆだねるべきか、という問題にある。

 例えば、肉親を殺された子が復讐を果たすときに、「死に対する応報は死」であると定義した場合、この人物は、快楽殺人鬼と同様に死に至らしめるべきであろうか。例えば、こうした罪と罰のバランスを崩しかねない強力な反社会的勢力が存在する場合‐‐つまり、罪に対する罰と言う秩序から身を守りうる十分な組織が形成されているとき‐‐個人を罰するのみで解決できるのであろうか。例えば、一般的な価値観と対立する価値観を持つ者を、罰が止め得ないとき、その罰は機能していると言えるのか。

 これらの問題に対して、彼らはこう答えるだろう。「個人刑罰との関係は、あくまで自由に任せるべきである。但し、相応しくない状況については、裁量を与える余地がある」と。この裁量について私たちは、日本国刑法の各種法令で見る事が出来るので、参考にされたい。


 後者は、その教育が社会的正義に適う教育である場合、問題になりづらいだろう。窃盗は更生されるべきであるし、そのために社会が教育を施すことに、何らの問題も無いように見える。

 しかし、実際には、例えば、ある信教や思想を制限する罰則について、それを矯正することは個人の自由意思に反して問題はないか、という問題があるだろう。例えば、その意思を矯正するか、それが困難な場合に、その思想を無力化する行為‐‐例えば、精神外科的手法による矯正のような行為‐‐が、倫理上許されるべきか。いずれにせよ、こうした社会正義に適う教育を施すという思想は、容易に自由意思を侵害しうる危険性をはらんでいる。

 これに対して、「行き過ぎた更生は相応しくない場合もあるが、刑罰には社会正義に反する行為を排除する目的がある以上、これを完遂することは致し方ないことである」と答える事で、この議論はある種完結してしまう。そして、この強力な論理が、倫理を蹂躙するとしても、歯止めが効かない時に、私達は果たしてそれを「正義」と言い得るかについて、考慮しなければならないだろう。


 私達は、これらの中道を志向する思想の持ち主であると言える。つまり、悪い部分は正すべきであり、しかし、基本的に刑罰は犯罪を抑止する機能を期待するものであって、例外を除いて一般通念上十分機能しうる程度の罰則を設ければ足りる。そうでない例外を想定することは、容易に国家の暴走を招き得るし、そうでなくても、罪に対する罰が不相応に大きければ、基本的に罪を犯したいと考える者は減り、それを実体験した場合には、「教育的効果があった」と言える。


 こうした中道派の議論はしばしば非常に曖昧な部分に対する質疑に弱い傾向がある。とはいえ、現状、私達の思想の少なくない部分が、彼らの議論双方の思想に影響を受けている事は、否定できない部分があろう。


 この補足については、専門的な問題が記されてはいない。社会がより議論を深める事を私は期待しているが、一方で、それはこの作品の主題でもない。よって、これは補足説明として述べる程度に抑えるのが良いだろう。


 それでは、再び彼らの視点に戻ることとしよう。朝を迎えた彼らは、思想的対立を抱えつつも、同胞として旅路を共にする。その旅の行く末を語ることが、拙著の主題である。



 神の教えに反するわ 人の心を踏み躙るわと


 散々お前はそうやって 人をヒトたらしめる


 白質を切られた人間は しおらしくなり 不幸を失くし


 誰にも見られぬ程純粋になり 人と成らずに生涯を終える


 空虚な暮らしの中に消える 命をこそ憐れむべきで


 お前はいつもそうやって 人をヒトたらしめる

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