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ラ・サーマ3

 ラ・サーマの名物料理と言えば、カペル王国でも祝日の馳走として広く普及した庶民食、ベリータルトである。ラ・サーマ周辺はベリーの名産地でもあり、安価で数種類の色鮮やかなベリーが収穫できる。ブルーベリーは貴族御用達の馳走であり、フサスグリの赤はジェインを示し、大衆にも人気がある。キイチゴ、スグリ、ブルーベリーなど、これら数種のベリーを好みや階級に合わせて加えてタルトを焼けば、色鮮やかで甘酸っぱい、ラ・サーマの名物料理が完成する。焼きあがったタルトをと対峙した時、バニラは庶民がこの極上の食材を、「平日に」食べられるという事実に驚愕した。 


「お待たせしました。わざわざこんなど田舎まで、お宅さんらも退屈でしたでしょう」


 気さくな宿の主人は、この賑やかな学者たちを大いに好み、宿の少ない中で特別に家を解放してくれた。無償での提供であったが、食事まで用意されていたのである。


「いや、今までで一番楽しかったかも、なぁ?バニラ」


「あの教会には感動しましたね」


「中々いいでしょう?木の匂いがやんわりとして」


 主人はタルトを切り分け、年の順番に皿に分けていく。勿論、最後はピンギウ……ではなく、クロ―ヴィスだった。


「趣のある建物だったが、それ以上に、技術の粋を尽くした良い建造物でもある。天を圧する大聖堂も悪くはないが、あそこまで技術を見せつけられると、研究者としては黙っていられないね」


 ルクスは丁子を削りながらタルトに塗している。対角線に座るバニラは、その豪奢な使いぶりに目を瞬かせた。


「やめとけやめとけ、見せびらかしたいだけだぜ」


 クロ―ヴィスが耳打ちする。ルクスは上機嫌に丁子を元に戻し、フィンガーボールに手を浸した。


「さ、さ。冷めないうちに、お食べください」


 宿主は自らも席に着く。湯気をいっぱいに吸い込んで香りを楽しんだ後で、彼は両手を差し出して彼らに食事を勧めた。


「頂きます」


 一同は各々のタイミングで手を合わせる。

 バニラは、さっそくベリーのタルトを持ち上げる。

 粗熱の冷まされた薄く硬いタルト生地が、ほのかに水分で湿り、丁度良い食べごろである。彼はまず、このめったに食べられない馳走をじっくりと観察する。蜂蜜を塗った上部は薄っすらと光沢を放ち、それが赤や青の彩りを補うベリーを宝石のように輝かせる。暫く噛みしめるように見つめたバニラは、口を出来る限り小さく開き、一口目を大切に咀嚼した。


 甘いような、酸味の強いような、かと言って足並みの乱れも無いベリーの味が、彼の口いっぱいに広がる。生地も程よくほぐれており、味覚の邪魔にならずに咀嚼と共に同化していく。それは、バニラも特別な祝日に味わった「お袋の味」であった。


 不思議な懐かしさが、彼の胸いっぱいに広がる。鼻腔をくすぐるベリーの甘いにおい、雑味のないタルト生地が、素朴だが優しい満足感をバニラに与えてくれる。


「あぁ……。なんだか懐かしい味ですね……」


「なんだ。ピンギウ、急にホームシックか?」


「いや、そうでもないですが。ただ、不思議とよく食べたような。これまでの名物料理と言うと、特別な料理ばかり食べてきた気がしますので」


 ピンギウは二口でタルト一切れを食べ切った。主人は残ったタルトを彼の皿に盛る。ピンギウは最上級の礼を述べた。


「今後も、貴方の食卓に神の恵みがあらんことを」


「ふふっ。よく食べる方は見た目通りにおおらかですね」


「ところでお前、酒は?」


 クロ―ヴィスは安いエールを注いだジョッキをピンギウに見せる。ピンギウはこれを手で遮ると、一拍置いて答えた。


「なんだか、これには水で十分な気がします」


「骨抜きにされちゃったかぁー」


 ルクスがカラカラと笑う。彼はナイフとフォークで器用に食事をとっており、首元のナプキンも相まってどこか不相応な雰囲気を醸している。


「それじゃあ、俺らも肉団子になっちまうよ」


 クロ―ヴィスが歯を見せて笑う。ベリーの皮だけを器用に隅に寄せた彼の食事は、他人ほどは進んでいない。


「皮も食べられますよ」


 バニラは良心で指摘する。クロ―ヴィスは乱暴に手を振ってこたえた。


「歯に挟まるのが嫌なんだよ、別にいいだろ」


「食べ方など人それぞれでいいんですよ。大事なのは食事を楽しむ事でしょう」


 主人はそう言って愉快そうに笑う。


「ごもっとも。フルシェットがなかろうと、食事には雑談のスパイスがあればいいのさ」


「そう言うお前がそのフルシェットを振るっているのはシュールな絵面だけどな」


「まぁ、しかし。明日には旅立つというのも惜しいなぁ……」


 バニラはしみじみとつぶやく。角が取れたような気の抜けた呟きに、周囲がやや驚いて視線を向ける。


「確かにね。まだ聖女像は少ししか巡れていないし、何より教会にはまだ様々な技法を込められているだろうし」


「珍しく同意見だな。夜も巡りたいくらいだぜ」


「気持ちはわかるがね、夜は危ないからやめなさいね」


 モーリスはやや呆れた風に釘をさす。学生達からは生返事が返された。


 主人が思わずふっ、と吹き出す。学生達の生返事ほど、信用ならないものも無いだろう。ルクスは一皿を存分に堪能すると、ナプキンで口を拭いながら言った。


「なに、夜道を用心するに越したことは無いさ。浮いた話の一つや二つ、起こるかもしれないしね」


「それ金毟り取られる奴じゃねーか」


「で、クロ―ヴィスさんは騙されないでいられるんですか?」


「無理だな!」


 クロ―ヴィスは満面の笑みで答える。ピンギウは鼻から息を噴き出して笑う。


「だろうね!」


 ルクスも手を叩いて正直者を讃えた。モーリスは頭を抱える。その光景を、バニラは他人事のように眺めていた。

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