ラ・フォイ‐ラ・サーマ2
ラ・サーマは、通常であれば大旅行の道程から少し外れた都市だ。ラ・フォイからかなり南方に向かう必要があるうえ、そこから次の目的地であるミゼンに向かうのにも、かなり北に戻る必要がある。それでも、かの地に足を踏み入れる必要があるその理由は、この地がカペル王国と戦ったジェイン・グクランの最期の地であり、アビスの教皇によりその名誉を回復された地であり、かの地は彼女の功績と悲劇を歌い語る為に、その横顔を都市紋章として城壁に掲げはためかせたのだ。
さて、ラ・サーマの歴史は古く、カペル王国建国以前の比較的的早い段階で、丁度貴族の借金のかたのような形で王国に編入されていった。ところが、ラ・サーマとペアリスを繋ぐ道は暫くなく、グクランの星型城塞が完成するまでの長い時間をかけて、東回りの進軍によってペアリスと結ばれた。そのため、ラ・サーマは現在でもそれほど巨大な都市ではないが……町全体がカペル王族への信心深さで統一されている。
ジェインの時代、熾烈な戦いの末に、ようやくカペル王家は彼女を捕らえることに成功した。この厄介な相手をどうにかして処分したいと考えた彼らは、カペル王国に親和的なラ・サーマの聖堂で監禁し、『男装の罪』で処分することに決めた。
しかし、それだけでは不十分であったため、彼らは獄中のジェインに過酷な嫌がらせを遂行する。その結果、彼女は自身の身を守るために男性用の衣服を纏わざるを得なくなり、首尾よくカペル王家は彼女を「聖職的違法に基づく正当な権能によって」処刑をすることに成功した。
しかし、その後、彼女はカペル王国内で再び人気を博することになる。
きっかけは、アビスの教皇庁成立だ。それ以前から、一部の都市や、個人的な信仰のために、ジェインの高名は語り継がれていたが、これはカペル王国全土まで広めるには至っていなかった。
彼女と親交のあった南部都市での人気と、早い段階でカペル王国に屈することになった北部都市での人気にはむらがあったためだ。対立教皇を擁立するにあたって、時の王ロイは、聖遺物を集めるだけにとどまらず、国民を統一する一種の偶像を求めていた。そこで、白羽の矢が立ったのが、かつて教会と国王の陰謀によって命を絶たされたジェインであった。彼はすぐさま教皇を擁立し、それに合わせてジェインを聖女として迎え入れる。ラ・サーマはその時から、聖女の都と呼ばれるようになる。都市旗として、町にはその横顔が与えられ、聖女信仰の中心地となった。
現在でも町を見渡すと、小さな都市ではあるが、素朴な顔をした彼女の銅像や石像を見る事が出来るだろう。
夏の時期には、キャンドルを携えて町の各所にある彼女の像を参拝する記念行事が行われている。
この町はこれまでの都市と比べると特別高尚な都市ではないが、大都市にはない素朴な信仰を垣間見る事が出来る。
「敵に塩を送るならぬ、敵に信者を送ったわけだな」
「特にうまくもないが、政治的な立ち位置で、歴史的対立が動く時と言うのはあるね」
ルクスは心底不愉快そうに顔をしかめる。雨は風を引き連れて、彼らの足元を濡らす。吹き抜ける蒸し暑い風に、ピンギウは服で体を扇いだ。
「ですが、ここまで振り回されるのも気の毒ですね」
「しかし、残ったものもある。ラ・サーマには教会が残り、そこには聖女の像が残った。それは、何よりこの都市が尊重するべきものを尊重した証拠だろう」
モーリスは窓の外を気にしながら答える。クロ―ヴィスは恩師の回答を鼻で笑い、背凭れに身を預け切り返した。
「確かにラ・サーマの市民は、王の忠臣ってことだな」
「しかし、この矛盾こそが社会そのものだね。今でもその素朴さを保っていることに、僕は驚きだけれど」
ヴォルカ・ノアールは黒雲に紛れて消え、長い草原地帯のあちこちに、小さな集落が散見されるようになる。ルクスは木製の低い柵で守られた穀倉地帯に視線を送っていた。
これらの集落の中心には貴族の管理する要塞があり、要塞は分厚い石壁で守られている。畑は黒々とした肥料が蒔かれ、その強い臭いは馬車の中まで届くほどであった。
「ラ・サーマに着いたらまずは、町並みを散策するといいかもしれませんね。ジェインの像もいくつかあるでしょうし」
「それもいいだろう。彫刻にも歴史がある。時期によって、洗練されたものやそうでないもの、それに技師の実力が垣間見えるものまであるからね。ルクス先生は、お越しになられたことは?」
モーリスはルクスに向く。視線を受けたルクスは、肩をすくめて首を振った。
「ある意味では、この旅で一番楽しみかもしれませんね」
「ははぁ。ボンボンの趣味がここで出たな?」
クロ―ヴィスは腕を組んで笑う。ルクスは三度舌で音を鳴らし、人差し指を空に向けて振る。彼は笑顔を湛えたままで、「僕はクロ坊みたいに畑で遊ぶ年でもないからさ」と答える。クロ―ヴィスは立ち上がり、興奮気味にメンチを切った。
「こらこら、やめなさい。もう少しで今晩の野営地につくからね」
モーリスがそう言うと、車体が溝に足を取られて揺れる。体勢を崩したクロ―ヴィスがピンギウの方に倒れると、ピンギウは張った腹と両手で小柄な彼を包み込んだ。
「子供みたいだなぁ」
「うるせぇ!」
湿った空気に似た笑い声が響く。馬車と馬車は互いに泥を掛け合いながら、畑沿いの道を順調に進んでいった。