ラ・フォイ‐ラ・サーマ1
翌日、ラ・フォイを出発した旅団は、遠ざかる大山脈は黒々と遥かに聳え、ラ・サーマへと向かう旅団を見送っていた。巨大な黒火山が残した足跡を幾つか見ながら、白い馬車は豊かな平原地帯を進む。
「こうして離れてみると、溶岩の流れた痕がシロップを零したようにはっきりと見えますね」
「ブフォッ!変な例えだな」
バニラは真面目に呟いたつもりであったため、首をかしげる。ルクスが遠ざかるにつれ壮大さを増すシロップの遠景をまじまじと見つめながら、羽根つき帽の羽根を繕う。
「まぁ、確かに。溶岩には粘度によって流れ方や噴火の仕方が変わることがあるからね。水っぽいが少し粘度のあるヴォルカ・ノアールは、さながらシロップが坂を流れるように流れ落ちる事だろう」
「シロップを零したことがあるんですか?」
「なに、小さい頃だよ」
ルクスはそう言うと、羽根を整えた帽子に手を入れて形を整える。かすかな香水の匂いが、車内に漂い始めた。
今朝から続く雨は黒い岩肌を濡らし、表面をかすかな光沢を与えている。雑草は雨粒を受け止め、バニラがいつか食べたべっこう飴のような水滴を纏っている。灰色がかった雲が垂れ込める中、ヴォルカ・ノアールはその雄姿を保ったまま、白い雨の中に霞んでいく。不穏な空模様に反して、学生達は語るべき言葉を大いに持ち、車内は明るい笑い声で満ちていた。
「まあ、あれだね。昨日のピンギウの眠りっぷりを見れば、酔って醜態を晒すまいと決意をするのは容易いだろうね」
「そんなに酷いもんでしたか」
ピンギウの平坦な問いかけに、モーリスが静かに笑う。ピンギウは視線をモーリスに向けると、口元を手で隠す。ほのかに赤みを帯びた肌が、ますますモーリスの笑いを誘った。
「腹を掻き、いびきをする程度ならいいが、寝返りを打つたびに地鳴りがするほどの大きな声をあげるのは大層宿に響いたことだろう」
「じゃあ、主人が様子見に来たりしたのか?」
「一度来たね。それ以降は来なかったけれど」
ルクスは足を組みなおす。馬車が小石を踏んで揺れる。些細な刺激に見合った短い悲鳴が上がる。馬車は構わずにぬかるむ道を進んでいく。
車輪が跳ねる泥が対向車の覆いを汚す。対向車の荷台の裏には、満載の石材が積み込まれていた。
「おい、石材運んでるぞ」
「黒に飽きたのかね」
モーリスは淡々と呟く。一瞬だけ馬車に静寂が戻ると、その後大きな笑い声が響いた。モーリスは腹の前で組んだ手を組みかえて、学生達を見回す。
「じゃあ、いっそ真っ白にするといいんじゃないですか?」
バニラは珍しく恩師を煽る。彫刻用の石を山と積んだ馬車は、既に大旅団の末尾とすれ違っていた。
「純白のラ・フォイに黒のヴォルカ・ノアールは中々映えるかもしれないねぇ」
「おいおい、黒の反対は原色だろう?ルビーでも積んで来いって」
「着飾ればいいと言うものでもないさ。ここは白の石を赤い絵画で塗り重ねるのがいいだろう」
「その前に漆喰を塗らなきゃですね」
「フレスコは高くつくぞぉ」
クロ―ヴィスが指折りで出費を計算する。バニラは脳内の計算盤をはじき、同様に教会の規模に沿って改修費を試算した。
二人は全く異なる金額を同時に言ったが、まずは双方の資産額の理由を語り合う。クロ―ヴィスは、貴族や聖職者の暮らしぶりを訴え、より豪華に改装すると考えて見積もったが、バニラはこの近辺で支持を得ているチアーズ修道会の会則を基に、出来る限り質素に見積もったのであった。
「お前が思うほど、聖職者はクリーンじゃないぞ」
「そうであっても、体裁を気にするのもまた、聖職者ではありませんか?」
両者は静かに議論を展開する。ルクスはどちらの意見がよりふさわしいかを、しきりに足を組みかえながら耳を傾ける。
雨の音が激しくなるのに合わせて、馬車の群れはより高く泥を跳ねさせて、次の宿場へと向かって行く。
彼らの議論は長く続いたが、結論が出る前に、恩師の咳払いで中断させられた。
学生達は口元を緩めたままで黙り、耳を赤くした白髪の男性の言葉を待った。
「次の目的地は。……ラ・サーマかね。聖女の御旗の都市だね」
「ラ・サーマ……。確か、ジェイン・グクランの処刑された地ですね」
馬車が伴う雰囲気がやや重たくなる。雨の匂いがバニラの鼻を掠めた。
「そうだね。ラ・ピュセーで見た彼女の芸術の、正しく終着点だ」
「では、ラ・サーマについて、解説をすることとしよう」
雨音は激しさを増す。車輪が泥土を巻き上げて、目的地へと向かって行く。