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ル・シャズー‐ラ・フォイ2

 ルクスは胡坐をかき、草原を睨むように見つめている。腰に帯びた剣は、今日だけは珍しく本来の役割を与えられていた。


 茣蓙だけを敷いた空間に、学生達は落ち着きなく座り込んでいる。バニラはきょろきょろと視線を動かして、「何もいない」草原に安堵していた。


 もはや先刻の活気すら失っていた。蝋燭の僅かな明かりを頼りに身を寄せ合う人、宝飾品の数を数えて不安を紛らわす貴婦人、明日を信じて眠りについた男爵などが、垣根をぐるりと包囲している。見ようによっては、小さな包囲戦のようにも見えた。


「さみぃ……」


 黙って身を縮こませていたクロ―ヴィスが呟いた。いつも飄々と振る舞うピンギウも、余裕なさげに冷たく言い払う。


「そんな季節でもないでしょう」


「あ、クロ坊怖いんだぁー!」


 ルクスは柄を握ったまま、茶化すように言った。


「なんだと?怖いのはお前の方だろ?」


 クロ―ヴィスは歯をむき出しにしてルクスを睨みつけた。


 がさり、と草がより分けられる音が響く。即座に両者は視線を音の先に向けて悲鳴を上げた。


 草を掻き分けて、貉が顔を出す。二人は安堵の息をつき、顔を見あわせる。無防備な腹を互いに守るかのように、彼らは身を寄せて抱き合っていた。


「あああああああああああ!!」


 慌てて両者が手を放す。驚いた貉は身を隠してしまった。


「落ち着いてください、かえって獣が寄ってきますよ」


「あ、ははは……失礼、失礼」


 二人は、極端に距離を置いてもとの位置に座りなおした。蝋燭の明かりが消えんばかりの悲鳴が、寝静まった垣根の周りに響き渡る。何事かと、青ざめた旅行客たちが馬車から顔を出した。


「失礼、失礼。何でもありませんよ、ハハハ……。」


 ルクスは苦笑いで返す。柄を握ったままの手がプルプルと震えている。


「なぁ、寒いのか?なぁ?」


「申し訳ないと思ってるよ」


 クロ―ヴィスがしたり顔で手元に毛布をかける。ルクスは膝をこれで覆う。肌に密着した衣服がそれよりも重要な見栄のために隠された。


「しかし、こうも冷や冷やするというのは、度胸試しにはいいものかもしれないね」


「顔が引き攣ってますよ」


 水差し代わりの酒瓶がぽぉん、と高い音を上げて開けられる。ピンギウは静かに酒を飲み、大きなげっぷをした。


「おい、やめろよ!大きい音出すなよ!」


「あぁ、すいません」


 草原が風になびく。クロ―ヴィスは過剰に身を竦ませ、草原が黙るまで睨みつけた。草の擦れる音が止むと、今度はルクスがたかってくるぶよを払う。この手が軽く当たったことで、再び彼は身をのけぞらせて小さな悲鳴を上げた。


「クロ坊のせいでこっちまで怖くなるじゃないか」


「それは俺のせいじゃないから!」


「はいはい。体が冷えたんでしょう?ほら、お酒ありますよ」


 ピンギウは彼の頬に酒瓶を押し付ける。彼は鼻の上に皺を寄せた。


「あまり草原ばかり見てるから、怖くなるのかもしれませんね……」


 月が緩やかな鈍角へと向かう中で、バニラは空を仰いだ。彼は目を見開く。思いがけず満天の星空が広がっていたためだ。


 かつて神々や半神が帰っていった空には、その逸話が幾つか描かれている。ひときわ輝くのは白鳥の腹で、広げた両翼のすぐ下に、英雄の足裏が無防備にさらされている。彼が額を付け合う者は蛇を鷲掴みし、苦しそうな蛇の舌の先には巨大な多角形が燦然と輝いている。


 降り注ぐ光はペアリスや、その他の星空よりもなお強く、バニラは、頭陀袋を広げて観測機器を取り出した。


「おぉ、いい趣向だ、一枚かませてもらおう」


 ルクスは指をくるりと回し、眼前に凸型と凹型の水球を作る。浮動する様が星を過剰に輝かせているが、暫く調整をすると、安定した拡張レンズとなった。


「さすが、貴族様は魔術の扱いがお上手なようで」


「では、君のお手並み拝見と行こうかね」


 ルクスはそう言うと、クロ―ヴィスにウィンクをする。これに対して、クロ―ヴィスは子供が悪だくみをするような笑みを返した。彼は草を掘り起こし、手頃な土をこね回す。レンズの大きさを確認すると、土を筒状に整えた。筒は形を自在に変えられるレンズに被せられる。


「少し長いか?」


「いや、ちょうどいいよ」


 二人は手製の望遠鏡を用いて、星の様子を見る。先ほど響き渡った悲鳴は、今度は歓声にとってかわられた。


「やはり水じゃあ安定が悪いなぁ」


「あそこにガラス瓶があるぜ?」


「酒は譲りませんからね!」


 バニラは思わず声をあげて笑った。それは、雲一つない満天の星空に、遮るもののない草原の隅々にまでよく響いた。

 二人が水球望遠鏡による空の旅を楽しむと、今度はこれを発案者に手渡す。受け取ったバニラが狼狽えていると、クロ―ヴィスはニヤリと笑って彼の肩に手をまわした。


「見ないんだったら俺の番だな?」


「い、いや、見ます!」


 バニラは即座にレンズに目を当てた。不安定ながら、小さな星と星の間にある群青が、無限のように大きく思われた。


「次は僕にも見せてくださいよ」


 ピンギウは酒瓶をレンズ代わりにして空を眺めている。バニラは弾けるような笑みでこれに応える。他の二名が神話と星の関係について、難解な議論を始めた。


 この草原のいずこかにある、シャズの遠吠えが響く。茨の垣根は、夜を通して眠ることを知らなかった。

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