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ル・シャズー3

 説教を終えると、一行は礼拝所附属の救貧院を訪問した。物乞い達が彼らを出迎えてくれた後、この簡素で薄暗い木造の救貧院には、身寄りのない子供達や、病の後遺症に苦しむ若い青年などが暮らしていた。彼らは五人の訪問者に歓迎の歌を送る。建物中によく響く、聖歌隊による天界を思わせるソプラノの清浄さは、学生達の下品さを、幾らかは癒すのに役立っただろう。

 とはいえ、放浪学生と言えば我慢の利かない事で有名で、既にピンギウは口の寂しさにそわそわと貧乏ゆすりを始めた。ルクスはよく聞いているように見えて、一流の音楽に慣れ親しんだ耳が、素朴な楽しみの賛美歌に対して、関心を持つわけでもない。彼はこの場の空気感を楽しんでこそいるが、あくまで手元の帽子を手放す事はしない。


 意外にも真剣に耳を傾けているのはクロ―ヴィスで、仏頂面で不機嫌そうにも見えるが、リズムに合わせて軽く首を動かしている。

 その点、バニラは他の学生とは集中力の面で群を抜いていた。彼は讃美歌というものを個々の信仰と秩序へ対する信頼の厚さに比例して重要性を増すものだと考えているため、自分は讃美歌を「よく聞かなければならない」と考えていた。勿論、完全な関心事項は空にあったが、幾らかでも過去の空への知見を得られる機会にもなり得た。学生達は歓迎の賛美歌を聞き終えると、胸元で拍手をして彼らを褒め称えた。


 その時、ピンギウの貧乏ゆすりを見かねた修道士が、一杯のワインを持ち寄ってきた。各人に「施し」として提供されるこの澄んだ透明な葡萄酒に、ピンギウは歓喜の声を上げて椅子から飛び上がった。


「それは、白ワインではないですか!」


「えぇ。神に感謝して、くれぐれも粗相のないようにお召し上がりください」


 修道士は苦笑しながら言う。ことピンギウについては、ワイングラスを制杯の如く仰ぎ、恍惚とした表情を天に向けながら、一口目を噛み締めた。彼の喉を通り過ぎる魅惑的な恵みに、彼は天へも昇る思いであっただろう。傍目から見た彼はあまりに滑稽で、救貧院の一同が苦笑をしながら彼の恍惚とした表情を眺めていた。


「あー、生き返るわぁー」


 ピンギウは一口ごとに再生を感謝する言葉を述べる。その間に、讃美歌を披露した聖歌隊には甘い蜂蜜のクッキーと、澄んだ軟水が振る舞われた。


 修道士とモーリスは、仲睦まじげに昔話に花を咲かせている。彼らは一杯の白ワインで十分に一時間を楽しむ事が出来るほど、ゆったりとした口調であった。


「先生の古い交友関係が分かりますね……」


 バニラに耳打ちする声は、先程まで恍惚としてワインを嗜んでいたピンギウのものだった。バニラは小さく頷き、ピンギウの表情を伺った。


「俺達もこうやって学友になっていくのかな」


 ピンギウの表情は複雑だった。モーリスと修道士の丁度間を見ながら、空虚なものを見るように半分目を細めている。バニラはその表情が何を意味するのか計りかね、今度は原因であるモーリス達に視線を向けた。彼らには特別な所は何もない。大修道院長のような強い団結があったようにも見えず、だからといって険悪な隔たりは何もない。彼らは単純な友好を噛みしめて、豊かな人生の頁を互いに捲り合うだけだ。

 バニラは首を傾げ、静かに二人の間を見つめるピンギウに耳打ちをした。


「……何か、変なところがあるのか?」


「いや。そうだと良いですね」


 ピンギウは口の端で笑う。瞳には弱々しい光が灯っており、どこか遥か遠くを見ているようにも見えた。

 釈然としない思いを抱えながら、バニラはピンギウと同じように二人を見ていた。彼らは机の上で余暇にしたボードゲームの話を始めていた。彼らの恩師が騎手の駒を用いて王と僧侶を追い詰めた話をしながら、現在は救貧院での気晴らしに使っている事、彼らは畑仕事や説教に忙しい修道士よりも既に強いことなどが、実に楽しそうに語られた。


「君達もチェスに興味があるのかね?」


「チェス……?」


「このボードゲームの名前だよ。チェスボードと駒があれば遊べるのだが」


 二人は学生達にチェスのルールを簡単に教え始めた。半分上の空のピンギウは、彼らのルール説明を全く耳に入れていない様子だった。


「今夜やってみようか」


 バニラはピンギウに訊ねる。ピンギウは我に返り、殆ど視線だけを動かして頷いた。


「あ、はい」


 ピンギウはそっけなく答える。バニラはピンギウに対する奇妙な違和感を抱えたまま、救貧院での識者たちとの雑談をこなした。

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