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ル・シャズー2

 一行はバニラに合わせて早足で教会へとたどり着く。ゲーム終了を示す二人の盛大な拍手を合図に、バニラはやっと土色以外の色を見るために顔を持ち上げた。


 彼の前には、巨大な鐘楼が、天に向けて真っ直ぐに伸びていた。青空に浮かぶ雲を貫く鋭い尖塔を、白い丸屋根が支えている。何よりも、この鐘楼には、剥き出しの大時計が取り付けられており、機械時計が人々に時を告げるために彼らを見守っているのが見て取れた。


「アル・ダアム・ド・シャズーの大鐘楼だ。チアーズ修道会派の修道院の中では有名な修道院の一つで、大修道院に次いで第二の歴史を持つ。ほら、奥にあるのが礼拝堂だよ」


 モーリスは大鐘楼の向こう側を示す。そこには、非常に小さく質素に思える礼拝所が、広大な領地の中にぽつんと建っているに過ぎなかった。


「少々インパクトに欠けるかもしれないが、この修道院はサン・チアーズ修道会の勤労と奉仕の精神を現代に受け継ぐ、最も模範的な修道院と言われている」


「むしろ、だからこそ小規模な礼拝所しか必要が無いのですね?」


「その通りだ。信仰の本質を、彼らは清貧の精神と捉えている。土地は開墾した分だけ広がったが、建立以降、一度として改装がなされていない」


 大修道院の礼拝所は、真っ白な壁を持ち、幾つかの控え壁に支えられながら、くすんだ黒色の染みを纏って佇んでいる。バニラは広大な荘園で畑仕事に従事する黒衣の聖職者たちに近づいた。彼らはえんどう豆畑を入念に手入れしているところで、この無作法な青年に気付くと身を起こし、聖職者の恭しい挨拶をする。バニラはこれに応じ、深い礼を返す。修道士は広い畑の中に足の半分までを覆い隠したまま、両手の指先だけを重ねて言う。


「こんにちは。迷える子羊よ。貴方に祝福のあらんことを」


「礼拝堂に入ってもよろしいでしょうか?」


 バニラは財布を胸ポケットから取り出そうとしたが、彼はすかさずその手を掴んで堰き止めた。

 修道士の細い目が微かに開かれる。


「どうぞ、お入りください。朋友に対して硬貨を弾ませるわけにはいきませぬ」


 質素な黒い修道服は、他のどの聖職者よりも清浄なように思われた。バニラは短い礼を述べ、礼拝所へと進んでいく。

 礼拝所は、近づくほどにその質素な様に驚かされる。タンパンも装飾もなく、純白の壁を綺麗に拭われ、一点の曇りもない。バニラは静かに扉を開くと、第一に窮屈さに驚き、第二に外観にそぐわない説教台の向こうにある祭壇の豪華さに驚いた。縦横二、三列の長椅子が並べられただけの院内は、微かな燻蒸の残り香があり、前進するたびに心地よく鼻をくすぐる。通常、燻蒸のにおいが猛烈な事は健康な人にとって耐え難い事が多く、この修道院の微かで心地よい香りは、バニラでなくても歓喜さえ覚える事だろう。そして、この香草の香りの正体こそが、祭壇に設けられた小さな炎を受ける皿である。

 祭壇は、青い布を纏った軍神オリエタスと、真っ赤な薔薇の冠を被ったカペラが並び、いたずらについて語り合う『恋の謀』と呼ばれる逸話に準えている。若々しい神を祭壇の中心に配し、コミカルで微笑ましい悪戯の案が、彼らの周囲に掘り込まれていると言うものだった。それは、修道院にしては奇妙な題材だったが、これが却って芸術の町シャズーの、写実的な肖像の良さを強調していた。


「な、凄いだろ。髪の一本まで完璧な再現だ」


 いつの間にか現れたクロ―ヴィスは妙に自慢げに言い放った。バニラは黙って頷く。恋の謀は、カペラが夫を驚かせようと愉快な悪戯をするという逸話で、各地の神の下へ出向き、良い悪戯の案を相談するという内容となっている。そのうち、東方の要塞エストーラの主宰神、軍神オリエタスとの悪戯談合は、若い神同士計画が弾み、数百もの悪戯の案が挙げられたと残されている。その人間味あふれる微笑ましい逸話は、写実的なル・シャズーの芸術家によって祭壇に刻み込まれ、命を吹き込まれた神々の溌溂とした表情を見せている。

 祭壇前の説教台には、学生達の来訪に合わせて、先程の修道士が上がり、聖典に手を乗せて観覧者達が着座するのを待機している。彼らが回覧を終え、長椅子に着座するのを確かめた後、修道士は小さな礼拝所一杯に響く澄んだ声で、祭壇画の解説と、お決まりの説教を始めた。


 この日一日の穏やかな様は、長旅を続けた学生達には程よい箸休めとなった。

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