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リエーフ‐ル・シャズー

 ブローナ、リエーフを通す川の道は、リエーフから3kmほど進んだ辺りで、二つの支流に分岐する。一つは、南西へ向かってアーカテニア国境に向かって進んでいくルートと、南東へと向かってカペル王国の教会の総本山、アビスへと向かっていく道である。アビスに向かうまでに河川は一度途絶え、陸路を中心とする旅路へと切り替わるが、アーカテニア方面に向かう場合は河川の流れに任せて下っていく方がより良い都市を見る事が出来るだろう。商業都市を巡る旅であれば、内海へ向けてこのまま水路を進んでいくのも一つの手段であるが、大旅行では、アビスへと向かう為に、この3km地点で陸路へと乗り換える。


「おぉ、久しい馬車が見えるねぇ」


 ルクスは川の分岐点に待つ馬車の集団に目を凝らして言う。ルクスの白塗り馬車は良く目立っており、大旅行に参加したほかの人々にとっても、標識のような役割を果たしているようだった。

 バニラは、凪ぐ川を往く旅に若干の名残惜しさを感じつつも、当初の賑やかな車内の事を思い出すと、却って心躍った。彼は頭陀袋の中の仲間に加わった安物のカルテを布越しに触れながら、上陸の準備を進める。


「しかし、貴族ってのは見栄っ張りだよなぁ、ルクス?」


 クロ―ヴィスは遠目に見える真っ白な馬車に目を細めながら言う。黙々と荷物を纏めるピンギウが小さく溜息を吐いた。


「そう言うものさ。僕達は才能の為に経済を回す手伝いもしているわけだね」


 ルクスは指でクロ―ヴィスの頬を捩じりながら答える。途端に不機嫌そうに眉間にしわを寄せたクロ―ヴィスは、この手を膝元の小さな荷物で払い除けた。


「やめろやめろ、鬱陶しい。金を吸い上げておいて恩着せがましい」


「ははは。では君達が金を集めて、それがどこに消えるかを想像してみるといい」


「俺なら風呂屋に消えるな」


 クロ―ヴィスはにちゃりと音を立てて笑う。空の青さに比べてどす黒い、青さが川面を揺らす。


「僕は貯金に回します」


 ピンギウが纏めた荷物を膝の上にから肩にかけなおす。船は水を掻き分けながら、白い標識へ向かって直進していく。


「俺は、月に人を飛ばします」


 船頭が櫂を漕ぐたびに船が水流に合わせて前進する。やがて船は分岐点付近で地面に寄せられ、船頭は一足先に停泊用の紐で関所に寄せた。


 手続きが済むと、モーリスを先頭にして、一行はルクスの馬車に乗り込む。久しぶりの一等車の上質なクッションが、バニラの尻を労わった。


「んー、船旅は疲れるねぇ」


「俺、船に乗ったの初めてでしたけど、中々いいですね」


 バニラは内心臀部の居心地の良さに安堵しながら答える。「椅子は硬いけどな」と言うクロ―ヴィスの言葉に彼の体が反応して、バニラと向き合っていたピンギウが小さく口角を持ち上げた。


 馬の嘶きと共に座り心地の良い馬車が軽く揺れる。これまで都市の歓声に隠されてきた車輪のカラカラという音が響き始める。川面の輝きは遠ざかり、それに従って緑色の靡く海を、馬車は進み始めた。


「さて、この草原の景色を楽しんだ後、私達はヨシルデア地方へと到着する。そこで最初の都市が、ル・シャズーだ」


「ル・シャズーと言えば、ウァロー公家の町ですね」


「デフィネル家と肩を並べるカペル王国のナンバースリー、王冠に三番目に近いウァロー家だな」


「デフィネルの穀潰し事件なんてのもあったね。ウァロー家はもしかしたら、そろそろ本気で王位を狙いに行くかもしれないな」


「そうなったらどうすんだ?お前は王党派だろう?」


 クロ―ヴィスは茶化すように言う。ルクスは暫く顎を摩って唸った後、難しい表情のままで首を傾げた。


「トップが変わってもやる事は同じさ。僕は教鞭をとるか、でなければ教壇を仰ぐさ」


「……結構なご身分で」


「まぁ、まぁ。君達。それよりも、予備知識をきちんと整理しておこうじゃないか」


 モーリスの言葉に一同は間延びした返事を返す。馬車が静まった後、モーリスは、咳払いをして語り始めた。



 ル・シャズーはカペル王国のヨシルデア地方の中心的な都市で、ブローナ、ペアリスと並ぶ大領主が治めている。ペアリスのカペル王家、ブローナ伯領のデフィネル家は強い血縁で結ばれているが、ル・シャズーを治めるウァロー家は彼らの傍系の家系にあり、第三位の王位継承権も持つ。ウァロー家の治めるル・シャズーには、由緒ある名城ウァロー城や、チアーズ修道会の教えを厳格に守る、アル・ダアム・ド・シャズー修道院のほか、大害獣ル・シャズーの伝承が伝えられている。ル・シャズー狩の名将ルイ・ド・ウァローは、王より下賜されたこの地を、自らの獣殺しの伝承に準えてル・シャズーと名付けた。彼以降、ウァロー家はシャズー紋と呼ばれる、巨大な獣の紋章を用いるようになり、それは現在まで連綿と伝わっている。


 ル・シャズーの文化はウァロー家にちなんだ城や、同家が資金援助をした教会を中心に発展し、『公爵よりなお公爵、王よりなおも王なり』と謳われた事で有名である。

 彼らの関心の一つに、都市の周辺を囲い込む巨大な穀倉地帯の開拓もあった。長年の努力の末、ダアム山の水源から水を引き、巨大な池を作り、その周囲に耕作地を建てた。これを修道士と世俗勢力の二大勢力が協力して作り上げた。

 この豊かな田園風景もまた、写実的な芸術の発展に貢献しているのだろう。その証拠に、この町にある画家工房で制作された肖像画や風景画の写実性は群を抜いているという。

 ル・シャズーもブローナ同様に多くの図書をリエーフより買い取ってきた都市であり、この写本細密画で培ったノウハウが、芸術の発展にも寄与した事だろう。これらのノウハウと、豊かな田園風景という美的空間が技術者たちを刺激し、空のグラデーションから筋肉の細部にまで拘る、新現実主義と呼ばれる芸術分野として発達して、現在に至っている。



「ル・シャズーの教会は兎に角凄いぞ。筋肉の張り、背骨の質感、髭の密度に至るまで、何処をとっても一級品の写実性だ」


「だからこそ、この町は宗教画家よりも肖像画家の方が多いと揶揄されるんだけどね」


 ルクスとクロ―ヴィスはそう言いながらも、共通認識として、ル・シャズ―の画家の実力を褒め称えているように見えた。彼らは顔を見合わせると、バニラを挟んで握手を交わした。


「家にもル・シャズーの画家に書かせた母の肖像画が残っているんだけどね、出来が良すぎて祖父が三日間寝込んだんだよね」


「それは……画家を褒めているのか?それとも母を貶しているのか?」


「母は美人ではないが聡明な人だよ。何でもお見合いに使いたかったのに、ほくろの位置から目尻の小さな皺まで完璧に書き込まれすぎていて、貰い手がいなくなるんじゃないかと心配になったそうだ。でも、その画家がいなければ僕はいなかったわけだけどね」


 ルクスはウィンクをする。彼はシャズーの画家が描いた絵画は彼の父の目に止まり、父が即座に求婚しに来たという解説を加えて、ル・シャズーの画家と母の生来の博識さを褒め称えた。


 彼の親に関する世間話が落ち着くまでに、馬車は草原と森を幾つも超えた。やがて、緑生い茂る豊かな大地から、穀物を植えた大きな荘園が広がり始める。この巨大な荘園の群れの遥か向こう側に、巨大な獣紋章が描かれた旗がなびいている。


「ル・シャズーだ……!」


 一同は真っ先になびく旗に視線を集中させる。一目見ただけで身震いするような真っ黒な狼の化物が、舌を伸ばし、牙を見せて吠えている。馬車は広がる畑の中にある背の高い市壁に向かって、整備された土の道を進んだ。

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